アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

脱・偽暗譜から停滞へ

2017年06月27日 | ピアノ
もう15年ほど前のことになるわけだが…私が大人ピアノ再開するにあたってヤマハ教室に通い始めたとき、既に譜読みはわりと得意だった(ピアノが下手なわりには)。

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それは、小さいころ昭和の音楽教室で行われた教育の賜物でもあっただろうし、後には合唱クラブやらフルート同好会やら、ピアノ以外のシーンで五線譜を読むことが多かったからでもあるだろう。

そんなわけで、譜面を読んで、そのとおりに弾くというのはとりあえずできたんだけど、これが極端なことを言えば
「譜面を見る(目)」→「打鍵(手)」
の直結というか、人間インタープリターみたいな、要するにただカタカタと音を並べているというのに近かった。もちろん、弾いて楽しいと思っているからには、そのように「音を並べた」結果の音列を自分の耳で聞いて、それを音楽として楽しんでいるという面はあっただろうと思う。でも、シンプルにいってしまえば

目→手→耳→脳
というようなプロセス。

「偽暗譜」つまり手の運動的記憶に頼って弾く場合は

手→耳→脳
となる。

この状態で初発表会に臨んで大崩壊したのち、私はこの「偽暗譜」ができなくなってしまったけれど、これはひとつには恐怖…半端な暗譜でステージ上の大崩壊をするのが怖いということがあったはず。だけどそれだけではなくて家で一人で弾くにも譜面なしで弾けなくなった理由としてはもうひとつ別のことがあると思う。

それは、いちおうこのとき私なりの反省に立って弾き方を変えたということだ。自分の中にある「歌」つまり音の流れと無関係に、手の運動に演奏を任せるのは怖すぎる、というか怠惰であった(^^;; という反省。

ということで、譜面を見て、それにしたがってタイピングをして音を拾ってそれを聞いて音楽として感じる、という順序をやめて、譜面を見たらまず頭の中で音の列を意識して、それに合わせて打鍵をするように変えたのだ。

まぁそんなにクリアに事が進んだわけじゃないけれど、ともかく音を思い浮かべることと打鍵がちゃんと沿っているように心がけたというか…

目→脳→手→耳

それで演奏がどうなったかというと、おそらくは良くなった部分というのがあったと思う。
ともかく翌年の発表会では大きな破綻なくラフマニノフのエレジーを弾き、しかもそれなりにイイタイコトの伝わる演奏だったので先生は舞台袖で狂喜乱舞していた(笑)

最近になって、この演奏を聞きなおしてみたところ、確かにそんなツマラナイ演奏ではないけれども、音がキタナイのがめちゃ気になるし、あと停滞感があるよねやっぱり。

脳みそ経由に切り替えた副作用としては、とにかく処理が遅くなった。音を探している間がどうしようもなく形作る停滞感というものが切っても切り離せないものになった、ような気がする。

それと、「偽暗譜」ができなくなっちゃった、というのがもうひとつ。運動の記憶で(脊髄反射で-笑)カタカタ音を並べるのではなくて脳みその指令を待ってるから、自動再生モードがなくなっちゃったらしい。

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