アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

「演奏家なんて誰でも同じ」の誤解の土台となったもの

2017年07月13日 | ピアノ
昨日見たように、ピアノなんていちおうちゃんと弾けていれば(音が並んでいれば)誰が演奏しても同じなんてとんでもない言説が生まれてしまう(それも、ずいぶん詳しくていろいろ考えたであろう人から)というのはなぜか、ということを考えるに…

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「火のないところに煙は立たぬ」というか、やはりピアノという楽器やピアノによる音楽が置かれた状況というものが、こんな誤解を生じやすい特性を持っている(持っていた)というふうにも思える。

まずひとつ重要な基盤となっているのが、やはり「猫が歩いても音がする」という楽器の特徴だ。バイオリンで私がひとつの音のロングトーンを出した場合、その同じ楽器を使って中川先生に同じ音を同じ強さで弾いたもらったとして、その区別はどんな人にだって簡単についちゃうわけだが。

ピアノの場合、超初心者がとりあえず丁寧に単音を鳴らしたとすれば、それは別に特に耳障りな音ではなく、ふつうに鳴る。バイオリンでいう「のこぎりの目立て」とか、管楽器の裏返った音なんかとはわけが違う。

つまり、タッチによって音色が変わるにしても、その変わり方はかなり控えめであるということだ。それに、発音の仕組みがかなり間接的(人が直接触っていない)ことから、タッチと音色の関連は直感的にわかりにくく、理屈のつけにくいものとなっている。

打鍵の瞬間の速度によって、出る音に変化があることは誰もが認める真実だけど(簡単にいって速いほど音量が大きくなる)、それ以外に、物理的に何の差が音色を決めているのかがわかりにくい。

そしてまた、美しくピアノが弾ける演奏家だからといって、自分のやってることを物理で語れるわけじゃないので、ますますその技術は謎に包まれオカルトの域に達してしまう。

「音楽界の迷信」(兼常清佐)では、そうやってオカルト入り(?)してしまったピアノ教師の類がカリカチュアライズされているともいえる。

「お前は手の形、指の形などを十分によく注意して、よく先生の言うとおりに直して、いいタッチの出来るように勉強しなくてはならない。」…まぁたぶんそれはそうなんだけど、先生が実際に行っている動作のうち、ある部分が真に音色を変える動作であり、それ以外に迷信行動ともいえる、実際には音色に影響を与えない動作も含まれているということは、今よりもずっとあっただろう。

「もう音の出てしまった後の鍵盤で、どんな手踊をしてみたところで、その音と何の関係もあるわけがない。ピアノ演奏家の生命といわれているタッチの技巧は、まず大抵こんなようなものである。これが迷信でなくて何であろう。」ピアニストがついやってしまう動作の中には(手を高くあげる、ドヤ顔をするなど)、確かに結果として音には反映されないものも混ざっているし、優れたピアニストだからってそのへんの切り分けがうまいとは限らないから、生半可、物理のわかっているらしい筆者に馬鹿にされてしまい、

「つまり槌の速さだけが人々で変えられる唯一のものである。この距離をsとし、槌の動く時間をtとすれば、槌が絃を叩つ途端の ds/dt[#「ds/dt」は分数、縦中横] はピアノの音を変えうるただ一つの要素である。そしてこの ds/dt[#「ds/dt」は分数、縦中横] をきめるものは、簡単にいえば、鍵盤が沈む時の角速度である。今パデレウスキーが鍵盤を押し沈めた時と同じ角速度で猫の足が鍵盤を押し沈めたとしたら、この猫の足のタッチからは、パデレウスキーが指のタッチと同じピアノの音が出たにちがいない。」…こんなことを言われてしまう。

実際のところ、ここでいうds/dtはピアノから出る音を決める主な要因ではあるけれど、パラメーターがそれしかないわけではない。アタックの際の初速(ds/dt)がどのくらい速やかに減衰し、そして弦からハンマーが離れていくのかはアナログに変わりうることであり、たぶんこのへんが通常、重い音/軽い音とか、明るい音/暗い音、硬い音/やわらかい音といった表現で指し示される現象なんだろうと思う。

しかしそこをコントロールするための動作については21世紀の今になっても結局「定説」はできてないような気がする。あちこちでいろんなピアノ教師が互いに違うことを言っている現状に変わりはあまりない。

当時のピアノ教師は、今よりずっと、自分のやり方を問答無用で弟子に教えこんでいただろうし、その教えるタッチなるものが、(美しい音を出すために)正しいことと間違っていることと、どちらにも関係ないものがごちゃまぜになったものだとしたら、そりゃ評論家風情に突っ込まれてしまうことにもなるだろう。

また、弟子のタッチについて云々するわりには自分の耳のほうが鈍感で、タッチ以外に音の響きを左右するあれこれ(その一部はこの評論の中にも述べられている)については無頓着であったりしたら、そりゃもう追加で突っ込まれてしまうというわけだ。

(もちろん、自分が理解できない/観測できないもの(音色の差)をそのまま「ない」結論づけてしまう態度はちっとも科学的とはいえないけどね)

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