アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

突然ショパンを思い立つ

2012年01月15日 | ピアノ
「おろしあ」オフが迫っているのでロミジュリを弾かねばならないが…

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なんかつい、ベトソナばっかり弾いてしまうのはなぜ。なんか楽しいというか気持ちいいというか。不得意に違いないし、確かにこの曲は好きだけれども、ロミジュリだってめちゃ好きだしね。発表会の候補曲として考えている、ラフマニノフ前奏曲(以前、人前で弾いたことのあるリサイクル品)をちょっと弾いてみておこうと思いつつ、そっちにはなんか手が伸びないし…

発表会の候補曲というのは、バイオリンの中川先生ほか数名の先生が、合同で生徒を集めて行う小規模なもので、私はバイオリンのほうではエックレスを弾くことになってるんですが(伴奏はこまたろう母さん)、ピアノも出してくれるというんで、何を弾こうかなと。

ロミジュリは長すぎるし、ちょっと雰囲気違う感じ。

今弾いてるベトソナは、こじんまりしてて規模はよし、いい曲だと思うし、ただ人前でベートーベンというのは、なにもそんな、一番自信の持てない領域で(いや、もっと自信ないのはモツソナでしょうけど)、しかもみんなによく知られてる曲というのもどうなんだろう。

ラフマニノフの前奏曲は、マイナー具合もちょうどよく、長さよし。きれいな曲で、ほら、カンタービレのときも「曲」ほめられたし(^^;; けど、せっかくだから別のを弾きたいというのはあるのね。

そんな状況の中、最初の話に戻ると、なぜつい得意でもないベトソナに足が、じゃない、手が向いちゃうのかということ。

…それで、やっぱりこれは難易度的に自分に快適だからだろうという結論に達しました。

易しいというか、別にその、「ベートーベンらしく」かっこよく弾けるとかそういう話ではなくて、手に収まるサイズ感、音を並べられる安心感、そういうこと。

それだったら、もっと自信のもてる領域で、かつ「手に収まるサイズ感、音を並べられる安心感」のものがあればもっといいのではないかと。

ぱぱっと思い立ったらすぐ、手にとっていたのはショパンのワルツ集。ピアノを習いにいっていた間、結局一番弾いたのはショパンだよね。ただ、いつも難曲にばっかり目がいってたせいで、バラードとかノクターンでも規模の大きいやつ(13番…)とか。ワルツはほとんど弾いたことがないな。

ワルツ集の冒頭にあるのは、「華麗系」のワルツ。私は、なんというか、コレ、指が回らないからうまく弾けないし、ノリ的にもこっぱずかしいというか、ダメなのよね。もうちょっと華麗でないやつがいいな。

いくつか冒頭だけ弾いては飛ばしていくと、目に(耳に)とまったのは9番と12番。これを、両方弾き比べながらしばーらく悩んでいて、結局1時間くらい、あっち弾き、こっち弾きしていたかも。

それで結論。12番を弾きたい!!

これなら、人前で弾けそうな度合いと、自分のために弾きたい度合いが調和してる感じがする~(←やや意味不明)

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表から裏からレッスン記録、そして歌

2012年01月14日 | ピアノ
ブログやってることの利点って、習慣として自然にレッスン記録がつけられるから、いつ何をやってたとか後からでもわかるし、先生からのアドバイスの復習もできて便利ってことなんだけど…

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←「歌」「モーツァルト」どっちも苦手分野かも

今回、「初の連弾レッスンは、モーツァルト魔笛から」って私が書くと、先生がもうその晩にはすかさず「連弾レッスンでモーツァルトを歌う」というのを書いてくれてるわけですよ。同じレッスンについてなのに、まず何から書きたいかは違うし、それでちゃんと補完しあってる。

これ、めっちゃおもしろいよ(o_o)
それで、その二つのブログが、ブログ村ピアノカテゴリーでは隣接して並んでいる…
読者の皆様も、この滅多にない機会をお楽しみください(^^)

私のほうの記事は、連弾レッスンをお願いしようと思った経緯と、それで「よさげな」楽譜を選んだよ、えっへんというところでほとんどのボリュームを費やしてしまい、あんまりレッスンの中身にまで到達してません(^^;;

そして、先生の記事のほうは、のっけから、モーツァルトは歌であるということから入っています。もちろん、オペラの編曲ものなんですから、「歌」から離れられるわけはないのですが、あらためてほんとうに声に出して歌ってみると、いろんなヒントが見えてくるというわけです。

だから、先生がパパゲーノ部分を歌って、それ以外をピアノで弾いてみるという「実験」はとてもおもしろかったんです。「なるほど」という感じ。

ところで、連弾の楽譜にある歌詞(ちゃんと、歌詞が書いてあります)は、こんなふうです:
「おいらはみんなのにんきもの ゆかいにハイサホイサッサ
おいらをしらないものはない とりさしぐらしさ」

私は、この歌詞はどうも違和感があって歌えません。馴染んでる歌詞はこうです:
「おいらはちょっとこのへんで めいぶつだよホイサッサ
だれにでもしられた とりさしの大将だ」

別に、どっちの歌詞が優れているとかそういう話ではなくて、単に若いころ染み付いたものはなかなか取れないってことなんですが。
(参照: 「深い記憶にある歌をみんなで歌おう)

それで、まぁ後者のほうの歌詞であれば、何回歌ったか数えられないくらいなのですが、そんなに「歌いこんで」いても、私の場合、ピアノを弾くときは「歌」用の神経回路がオフになっているようです(笑)。歌いながら弾くということが非常に難しい。先生は、2ndを両手で弾きながら、1stの一部分となっている「歌」をちゃんと歌えてましたからさすがですね。

もちろん、ピアノ作品を完成品として弾くときには、別に声に出して歌う必要はないですけど(グールドみたいな人もいるけど)、それでも、回路が完全に切れて別モードになってるのは違うでしょう。そうすると、「歌心」のないつまんない演奏になっちゃう(私)。

ということで、モーツァルト魔笛連弾で、ちょっとそのへんもほぐれてくるといいかなと。

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初の連弾レッスンは、モーツァルト魔笛から

2012年01月13日 | ピアノ
今日は、初の連弾レッスンでした~

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←モーツァルトさんともだんだんとお近づきになりたい

保護者会で休みを取るなら、何か合わせ技で!! という時間貧乏根性を発揮して思い立ったもの。午後半休いっこで、一時間レッスン+保護者会+鍼灸院と回れちゃうのも、地理的条件の良さのおかげ。ふふ(^^)

弾いてみたい連弾曲が数ある中で、今回チョイスしたのは、録音なども聞いたことがないこの一品。

モーツァルト魔笛の連弾編曲です。なんか、楽譜見ただけでわくわくしますよね。絵本みたいになってるの。


原曲のイメージを生かしつつ、シンプルでなかなか聞かせる編曲です。いや、そうみたいですよ。まだこれからなんで、いろいろ弾いてみないとわかりませんけどね。

これまでも、何かの機会に友だちと連弾したことはあって、別に譜を読むのとか拍を数えるのとかは不得意じゃないから、そんな「激」合わないってことはないけど(ピアノWeb発表会の連弾もそれなりによかったでしょ)、さてこっからどうしたもんだか、というのはいつも思っていました。どうつっこんでいったらいいかわからない、合わせ練習する機会ってのもそんなには作れないし。いややっぱり、何を目指せばいいかわからないところのほうが問題かな。

だから、「先生と連弾を弾く」レッスンというのをやってみたら新たな地平が開けてくるんではと思ったわけです。

とっかかりに選んだ「鳥さしパパゲーノ」は、ノリも軽快でかわいらしいけど、長さもたった四ページ(パパゲーノの絵こみで)。一人分に直せば、まさに「見開き二ページの世界」ですね。

でもやっぱり、レッスンで見てもらうとこんな小規模で、音符はちょびっと(^^;; の曲でもつっこみどころは満載!!

曲もいい曲で、しかも変化に富んでいるんですよね。パパゲーノが歌う、オーケストラのTutti、笛のピロリロリ、と、かなりめまぐるしく入れ替わります。それぞれのパートを、どういう表現、音色で弾くのか。

1stと2ndのからみはどうで、何を意識していないといけないのか。合わせるのが難しいところは具体的にどうやって合わせるのか。

なんか、一時間のレッスンで、こんな短くて譜づらは簡単な曲なのに、もう、あっちゅう間でした。というか終わらなくて次回もういっかいやりましょうねになったんだけど(^^;;

最初は、拍子感を皮切りにダメ出しの嵐でしたけど、じゃあこうかな?? こんなふう?? とその場で修正していくことについては「反応がいい」とほめていただきました。けどね。実をいうと、私は「その場で(リアルタイム)マネ」が非常にうまい性質(たち)で、そのわりに家に帰ると感触さっぱり忘れたになりがちなの。

悪いんだけど、気長にお願いします~。次はいつ行けるかな…

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年取ってから、記憶力が向上する可能性

2012年01月11日 | ピアノ
昨日引用した話では、いずれも「若いころは簡単に暗譜できたのに」となっていたが、私はそれには当てはまらない。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←暗譜チャレンジはボケ防止にいいかもね

なにしろ、若いころ(というか幼いころ)のピアノは、最大規模で「エリーゼのために」。中田喜直の「小さなお花のバレエ」とか程度の曲であれば、今でも暗譜できるしね(人前で堂々と弾けるかどうかは別の問題)。現在暗譜できないくらいの曲は、昔はそもそも弾いたことがなかったんだからなんともかんとも。

それで、若いころブイブイいわせてた人ですら、暗譜には苦労するようになると聞くのに、若いころの経験がベースになくて暗譜にチャレンジするとすれば、どうなるのだろうか?? という疑問に関連して、「記憶力を強くする」の本からいくつか。

まず、脳の細胞は、増殖しないってのが小学生でも知ってる大前提。これはこれでほぼ正しいんだけれども、例外がある。

例外が見つかったのは、脳の真ん中近くにある、海馬。マグワイアという人がタクシー運転手(ロンドンの細かい複雑な道路状況がすべて頭に入っている…)の脳を調べたら(ずいぶん奇抜な調査をしますね!?)、ここが大きくなってたというわけ。運転手をやるのなんて、大人になってからに決まってるけど、それからでも増える。ベテランになるほど増えてる。その後、ネズミの実験などでも、使えば使うほど海馬は成長し、そういうネズミでは記憶力が良くなっていることが確認された。老齢ネズミでも、刺激の多い環境においてやればちゃんと海馬の細胞が増殖するのね。これポイント。

海馬は、記憶力においては非常に重要な役割をしていて、かいつまんでいえば、側頭葉から情報を受け取って、なんか処理(重要な記憶の選別と整理?)して、側頭葉に戻す。海馬が働かなくなると、重大な記憶障害になって、新しい経験がまったく蓄積されなくなっちゃう(でも、長期記憶に入っているものの再生には問題ない)。

とはいっても、海馬は新しく作る記憶のすべてを司っているかというと、そんなことはなくて、例えば赤ん坊では海馬がちゃんとできていない…一番古い記憶がせいぜい三歳ごろだったりするのはそのためだけど、その前だって記憶をしないどころか、いろんなことを日々身につけている。ただ、「エピソード記憶」が未発達なだけ。

記憶にもいろんな種類というかレベルがあって、手続き記憶、プライミング記憶、意味記憶、短期記憶、エピソード記憶。手続き記憶ってのは、動作とかそういういわゆる「身についた」もの。身についたといっても実際には脳に記憶されている。小さいころから発達するし、逆にボケても最後まで、洋服の着脱とか動作関連は忘れない。

最後に発達してくるのが「エピソード記憶」で、これが海馬と深くかかわっているもの。自分の経験として結びついている記憶。

それこそ、タクシー運転手がお客さんの行き先を聞いて、たちどころに最適経路を導き出すように、そして新たな道路状況や変化も心に(というか脳に)刻み込むように、深い関心を持って、記憶に照らしていろいろ思考をめぐらせていると海馬はフル回転。そして使えば使うほどそういう記憶力は伸びていくというわけだ。

年取ってなお、伸びていく可能性があるのは、海馬が司る「エピソード記憶」。それに対して、「手続き記憶」はどう考えても子どものほうが上手そうだし、「意味記憶」(自分の経験と結びついていない、いわゆる知識的暗記)もね…

若いころ、たちどころに出来た暗譜というものは、「手続き記憶」+「意味記憶」で支えられていたと考えればなんとなく納得がいく。特に、「手続き記憶」は年取ってから新規獲得するのは難しくなっていると思うから、ここに頼って暗譜しようとしたらうまくいかないはずだよね。

そこで、年取ってから伸ばすこともできるはずの「エピソード記憶」を駆使した暗譜というのはどういうものか、という話になる。つづく、のか?(^^;;

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大人になってからの暗譜

2012年01月10日 | ピアノ
「ピアノ・ノート」が届いたので読み始めた。

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これ、「ベートーヴェンを"読む"-32のピアノソナタ」と同じ人が書いた本だが、あっちが論文的ならこっちはエッセイ的、マニアックといえばどっちもマニアックだけど、その読みやすさには大差がある。「ピアノ・ノート」がイケてたからってつい「ベートーヴェン」の企画を通しちゃったとしたら出版社さんはかなり計算が狂うと思うんだけれども。

そこにこんな一節がある。「投票年齢に達してからは、記憶する速度が落ちるばかりでなく、記憶があやふやになるのも速い。十六歳のころ、わたしはショパンのノクターンを一度初見しただけですぐに暗譜で弾けた。…(略)…だが、ほんの五年前なら記憶に頼って弾けた曲が、今では(まったくの新曲というほどではないにしろ)馴染みの薄い曲のように、楽譜を見なくては弾けない。」

加齢とともに、暗譜がしにくくなる、怪しくなるという話はほとんどのピアニストが共通して言っているようで、ちょうど、かおる先生もその話を書いていらっしゃいますね(「成人式おめでとう(読まないほうがいい)」という記事)。

ところが一方、最近読んだ本で「記憶力を強くする(池谷裕二)」というのがあるけど、これには真逆のことが書いてある。曰く、「脳を詳細に調べてみると、確かに、神経細胞の数は歳とともに減っていきますが、シナプスの数はむしろ反対に増えていくことがわかります。…(略)…この事実は、若い頃よりも歳をとったほうが記憶の容量が大きくなるということを意味しています。」

えーっ。まぁ仮に容量とか大きくはなってるとしても、過去のがらくたとか詰まってて、やっぱり新しいことは覚えられないんじゃないの?? という気もするけど…

しかし池谷さんは重ねてこうも言う。「それなのに人は「歳のせいで覚えが悪い」と嘆きます。この嘆きはたいへんな間違いで、私から見ればそういう人は単なる努力不足であるように思います。そしてまた、昔自分がものを覚えるのにどれほど努力したのかを忘れているのです。勉強がその生活の大半を占める学生時代の経験を忘れ、ただただ老化を嘆くのはとても愚かな行為です。」

うーむ。「勉強がその生活の大半を占める学生時代」というのにはちょっと疑義があるが(^^;; それはともかく。池谷さんは脳科学的な考えからこのようなことを述べているわけで、それはそれで根拠のないことではないけれども、それでは多くのピアニストの切実な実感とのギャップをどう考えるか。

もちろん、この続きに書かれているように、必要な努力すら怠って、ただ「覚えられなくなった」とか嘆いていると、そういうマイナスの暗示が正常な記憶力を妨げるって面はあると思う。それでも、もともとそう思うだけの何かがあったから嘆いているわけだし、とてもそれだけでは説明できない。

むしろ、記憶には階層構造があって、年齢ごとにそのバランスというか発達のレベルが違っているから、記憶するときには「その年齢に見合った記憶の仕方がある」ということがこの謎を解く鍵になると思われる。

つまり、若いときに合っていた方法で記憶しようとしたらできない、ということがあったとしても(たぶんある)、それは脳科学的にもリーズナブルである、と。では、大人には大人の暗譜方法…というのはどういうものなのか…

…なんか話のマクラだけで一回分の量を書いちゃったよ(^^;;
また続き書くけど、でも「こうやれば大人も暗譜できます!!」とかいう話にはならない(だって私は暗譜、超~苦手だもん)ので変な期待はしないように。

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