月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

玉田さかえ 海江田文 シャンソンライブ

2020-09-07 23:08:00 | コロナ禍日記 2020

 



 

  

     6月27日(土)晴れ

 この日は夕方まで仕事。5時半に家を出て、一度だけ仕事をご一緒したライターの友人のシャンソンライブへ行く。玉田さかえ 海江田文 ジョイントのシャンソンライブ。

 

 阪急西宮北口から岡本駅で下車。車通りの少ない道に、パン屋や総菜屋、洋服、雑貨の店がならび、イタリア料理の食材の店や日本茶カフェ、貴味蛸、本屋など、懐かしい通り。Nが小学生の頃に、梅林公園へ花を見に行ったり、台湾飲茶の店へ行ったりと、よくここを歩いたことを思い出す。学生街らしい、のんびりとした街。

 阪急の摂津本山駅すぐのサンジャンが会場。私たちはマスクをして、用意してくれていた一番後ろのバーコーナーのカウンター席に陣取った。

 

「少し官能的に」というテーマ。海江田文さんの「澄んだ泉のほとりで」で幕開けた。

 

ログラム 

1st

[海]澄んだ泉のほとりで  頭から足の先まで愛を感じます  逢引き  過ぎ行くはしけ

[玉]街 釣りが出来ます まるでお芝居のようね 水に流して

2nd

[海]眩しい陽射しの下で 行かないで

[玉]美しい夏の雨 朝日のあたる家

3rd

[海]ロコへのバラード 後朝にて 出逢いの星 ルナ・ロッサ

[玉]バルバラソング 夜明けのタバコ 愛してくれるなら キサス・キサス・キサス

 

 シャンソンの世界は、一曲一曲の中にドラマが刻まれていて、語り聴かせるように進むのだが、メランコリック、あるいは自虐的な歌も多い。朝起きた時から、もうたそがれている。

 喜びの唄のなかにも、深いところでは孤独や哀愁にいきつく井戸とつながっているのがシャンソンだ。あるいは生きるエネルギーにも。人生の賛歌だ。

 クラシックなピアノも緩急をつけて。激しい旋律。うつくしい。

 

 彼女らは、普段の会話をしている時とステージに立った時には違う女だ。年齢を飛び越えて、とても華やかな美女となって歌う。海江田さんのシャンソンライブは、彼女の訳詞の解釈がすばらしい、(さすがコピーライター)。

 昔はソプラノの声が自慢だったそうだが、一時、声をうしない、トレーニングの末に、ようやくもどってきたものの、以前のような声質でうたいあげることはできなくなったと嘆いていた。

 唄の心は、新しい声の中にも脈々とある。誰にも真似のできないアルトを手に入れたのだから、と少し心配しながらステージをみつめる瞬間も。







 

 今回の演目、3ステージは情熱的で特に良かった。日常と離れてフランス映画をみているようだった。玉田さかえさんのくぐもった声と、魔性(妖艶)の歌い方にも惚れ惚れした。

 途中、海江田さんがステージとステージの間にお喋りにきてくれる。この人の十八番は「酒飲み」ヴィアン、ボリスである。

 

 20代のNを誘えたのは収穫だ。彼女はシャンソンライブが初めてで、かなり影響をされたみたい。

 

 帰る夜道で、暗く広い道路をあるきながら、星空のほうに顔をむけて唄っていた。帰宅してからも、わたしの部屋へ来て、(明日提出の原稿を書いていた)覚えているフレーズを熱唱した。「愛してくれるなら」がお気に入りのよう。

 

 この夜。今までみたことがないおしゃれな夢をみて目が覚める。すべてモノクロ。シャンソンの世界が私の潜在意識のなかに深くきざまれたのだと思う。写真家のサラ・ムーンが撮ったみたいな画のなかにいた。

 


バカバカしいほど芸術だ。度がすぎた韓国映画のこと

2020-09-04 00:35:00 | コロナ禍日記 2020
 
 


 

 

6月25日(木曜日)晴れ

 

きょうはゆっくり起きて、ヨガと瞑想。

朝から夕方まで仕事の原稿にあてる。毎月書いている月刊雑誌で、何十年もやっているのに、毎号テーマが新しく、最新分野の事例なので慣れるということがない。毎号が斬新すぎて、取材のほかに情報収集をし、勉強をさせてもらいながら自分の中に落として書く。提出前夜にようやくわかり始める(面白くなる)という具合だ。

 

Nは、手持ち無沙汰のようで最初はゲームをしていたが、ガタガタと音をさせて、あっちへこっちへ行ったり来たりしていると思ったら、部屋の片づけをしてくれていた。不要な郵便物のたぐいを廃棄し、ダイニングのテーブル、キッチンカウンターなどなど。拭き掃除をして、流し台も冷蔵庫もアルコール消毒して、ガスレンジを磨き、床ごとぴかぴかになっていた。

 

5時から映画をみにいこうと約束していたのだが、気づくともう5時10分だ。

「映画どうする?」と聞くと、

「なにもいわないから」(N)

「集中して時計をみていなかった」(私)

「……」(N)

肩を落として目を伏せたNの体をつかったアピールから考察し、ナイトショーに行くことにする。

 

開演前までショッピングをして、シルクのセーターとカーディガンのアンサンブルを購入した。アンサンブルなど流行らない、とは思ったが鮮やかなグリーンで、袖を通した時の着心地が、穏やかでよかった。

 

Nが見たのは、「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」

私は「パラサイト半地下の家族」モノクロ版

 コロナ後のはじめての映画だが、ソーシャルディスタンスを保つために、一列につき一組か二組に限定され、席がゆったり。快適このうえなく、劇場を独り占めしているようだ。

「パラサイト半地下の家族」。

 見終わってからも、そして翌日も、映像が執拗に頭にこびりついて離れない。これでもか、というほど予想を裏切る展開が奥の奥まで。急スピードで落ちて曲がり角を大きく急回転して曲がり、さらに井戸の奥まで落ちていく、そして……。意図したわけではなく、偶然見たのがモノクロ映像なのだったが、えぐい、臭いシーンはモノクロ化によって、おそらく軽減されたのだろう。それでも、爆弾のように降る雨の画は、鮮明。美術監督であるポン・ジュノ監督は、自身が大学時代に暮らしていた半地下を思い出して美術の構想を練る。微細な小道具やガラスや壁についた垢、ニオイまで再現。

 貧富の差として下流者のほうを、渾身をかけて凄まじく描く。頭脳プレイの限りをハチャメチャに錯乱させて。悪も善も、度が過ぎれば変わらない。自我をもっての強欲は凶器、狂気、狂喜である。バカバカしいほど、芸術だ。

(ここから若干ネタバレ)

 伝えたかったのは、なんだろう。シーンとして印象に残ったのは、そうお父さんが地下で発信していたモールス信号の手紙の解釈シーン。妄想か……、すべては頭のよすぎる長男の妄想かもしれないが、(この映画の全てが)父は地下に隠れて息子だけにわかるメッセージをモール信号に託して、送る。それを息子が読み解く。

 息子の父へのリスペクト(家族愛がテーマと思うほど)、ラストのところで父が地下から太陽が照りつける広大な芝生の庭に現れる……。この手紙がよくて実に数学的な妄想である。

 半地下でみる雪景色が美しかった。(最後の10分がなければこの映画は嫌いだったかもしれない)

 父の言葉「人生そのとおりにはならない。絶対に失敗しないのは無計画。ノープランこそ計画」

 ポン・ジュノ監督がくれた教訓である。

「地下にいると、全てがぼやけてみえる。なにが現実かわからなくなる」。格差社会といえども、監督は頂点にいる金持ち家族ではなく、半地下に住むこちらの家族に温かい眼差しとエールを送っているように思えた。エンドロールの音楽がそう物語っていた。

怖い物みたさで、カラー版もみたい。

もうひとつ私が個人的に学んだのは、とことんやりぬくこと。それもマニアックなまでに。そこそこ、はすぐに通用しなくなる、と。

 

 


手、足のケアが上等なオンナをつくる

2020-08-26 23:57:00 | コロナ禍日記 2020

 



 

6月22日(月曜日)

 

 朝7時に起きる。今朝はパパさんが仕事へでかけていったので、私とNだけ。

  ストレッチのようにヨガをして、肢体をやわらかくし、瞑想はベランダでした。お腹がすいたので、岩手県産の生乳を使用した湯田牛乳のプレミアムヨーグルトにオールブラン、抹茶グラノーラをまぜて台湾バナナをいれて食べる。



 

 紅茶は、ウーフさんのタルザム茶園ダージリンセカンドフラッシュ。口をつけると、マスカットフレーバーがふわっと香り、飲み口は甘い。余韻も長く、最近一番気にいっている。

 朝。今週火曜日の日記(京都へ散策した時のもの)を書く。久々に内容が濃いので2部に分けた。

 

 10時、Nが起きてきたので、同じ朝食を準備。一緒に、熟れたびわを食べた。

 11時から仕事を開始。

 

お昼は、盛岡冷麺に。ゆでたまご、トマト、みょうが、ネギ、豚肉のしゃぶしゃぶ用をカリカリにしたもの、甘酢などをいれて。

 

 2時から仕事再開。構想的なところをよいのか、まずいのかと何度も考え直す。煮詰まってくると紅茶をいれてNと少しおしゃべりをし、また原稿に戻るをくりかえしながら。Nがいるとどうも本調子が出ない。

 

N「ねぇ。ツメを切ったあげるよ」

わたし「いいわ、自分でやれるから」

N「大丈夫、私きれいに切れるから」といいながら、もう洗面所に走っている。

 

 足のツメを1本1本きれいに、カットしてくれ、そのまま洗面所の水をながしっぱなしにして、ハンドソープのポンプを2度、ぎゅっぎゅっと押し、泡をたてて、わたしの足の膝から下をすっぽりくるむ。

 「もういいわ」「いいわ」と遠慮するも、足を引っ込ませることがないよう手で押さえつけられるのでやむなく観念。バリ島のスパのお姉さんの施術の仕方、冷たい手の感触などを思い出して目をつぶった。Nはエリザベスアーデンのeight hour creamを指先につけて丁寧にマッサージしながらオイルを塗っていく。足の指先から熱くなってきて、体の内まですべすべになるよう。8時間、保湿が保てる優れモノらしく、脚が手指になってしまったよう。心地よかった。

「普段、足って場所はそんな大事に扱われていないでしょ。だから、きれいにしてもらわれると足がうっとりするのよ」っとNはいう。(なるほど……!)

 

4時。Nは友達とごはんを食べると出かけてしまった。

 

 5時から8時まで原稿を書く。足がさらさらして上等な女になったようで気分がいい。風が小さな葉をゆらし、さらさらと音をたてる。6月のひんやりした風が、机を置いている掃き出し窓から入ってきて素敵だ。

 

夕食準備を。きょうは赤パプリカとタマネギをいれたゴーヤチャンプル、ピーナッツ豆腐。枝豆。パパさんはレモン缶チューハイをきょうも飲んでいる。

9時。まだNは帰らない。

 

 BSプレミアムで川端康成原作の「伊豆の踊り子」をみた。



 山口百恵ちゃんの映画デビュー作。私の思う薫を、完璧に演じる、友和さんの書生役もバツグン。ふたり初々しくて、せつなくて、踊り子との旅が、リアルで胸に迫るものがあった。百恵ちゃんは、不滅の女優だ。清い心を内に秘めた、魅力ある人。あの人の人間性が内から滲み出て、層の深い人間をちゃんと演じられるのだ。

 BSプレミアムのチャンネルを替えないでいると、今度は大林監督さんが伊豆の踊り子を片手に伊豆を旅する番組をしており、引き続きみた。

 

11時。NからLINE。

「駅から歩いてかえるから、もし散歩したかったら迎えにきてくれてもいいよ」という内容を、今日ばかりは眠いのでスルーして、お風呂で本をよみ、12時に就寝。

 


コロナ禍でのあじさい散策「神戸・森林植物園」

2020-08-24 23:44:10 | コロナ禍日記 2020

 

 

6月20日(土曜日)

 朝7時におきて、ベランダにヨガマットをしいてヨガと瞑想10分。

 シャワーをして、8時40分に家を出る。JRから神鉄電車に乗り換えて北鈴蘭台まで。待ち合わせ時間の10時に到着したらすでにYちゃんは来ていて、森林公園行きのバス停で順番待ち、私をみつけて手を振ってくれる。合流し、神戸市立森林植物園まで無料のバスで行く。

 

 入り口から、まるい葉っぱの広葉樹や杉、松などいろんな木々に迎えられる。入り口のところで、森のカフェ「ルピック」で、弓削牧場のソフトクリームとシフォンケーキを購入。

 午前10時30分。あじさい坂をくだり、あじさい園まで写真をとりながら歩く。Yちゃんとしゃべりながら笑いながら、森をいく。





 





 森のなかに、沸き立つように開くあじさい。緑を借景に、ぽっかりと紫、水色、赤、それらが幾重にもバリエーション豊かに。どちらをみても美しい。水色の花が多いせいだろうか、それとも6月にみることが多い花のせいか、しみじみと、水の似合う花よ。

 シチダンカ、ヒメアジサイ、コアジサイ、ガクアジサイ、蔓アジサイ……、ぽこぽこ浮かぶ。かわいい小花。

 

 






 あじさい園から長谷池方面へ。ここは、ピンクの睡蓮が、今、ひらいたという清純さで浮かんでいた。

 長谷池の周囲をぐるっと半周し、北へむいて睡蓮をみる。睡蓮の池を包む、揺れる木々と深緑のグラデーションに見惚れる。風と光と土、人々とが葉っぱの饗宴をすり抜ける。

 








 

 このあと、シアトルの森、ブリスベーンの森、香りの道へ行き、高低差のある山をのぼり、ふうふうと息を切らせて、リガの森、天津の森、あじさい園までもどってきた。約2時間半のコースだ。

 

 たくさん歩いているのに、森の散歩は空気がよくてちっとも辛くない、たのしくていくらでも歩けてしまう。ヨーロッパの小説や童話などでは、森を歩く場面がたくさん出てくるが、こんな遊歩道が整備された森を歩けるのは、幸せなことだ。 

 


 Yちゃんも健脚。コロナ後の家族での生活ぶりや、職場での奮闘と気くばりについて、お孫さんの話題をたくさん聞かせてくれた。高校からのおつきあいだが、こうして歩いていると、当時のままの気のおけない関係である。

 正面入り口までもどり、西洋あじさい園、メタセコイア並木まで行って、Uターン。


 それから市内バスで三宮まで40分。満員バスの中、立ったままで、六甲山道の激しいカーブをぐるぐると目がまわりそうになりながら山を下っていった。

 

 さて。久しぶりの三宮・元町。トアロードからすぐの「良友酒家」でランチ。

 

 Yちゃん「なにをたべてもおいしい。たべやすくていくらでも入る」と上機嫌。わたしは、40分のバスがたたり、絶好調の胃袋ではないが、満足していただいた。

 

 その後は、北野ホテル、生田神社で御朱印を書いてもらい、元町商店街を少し歩き、リネンと香りの店「フランジュール」に立ち寄る。最後のおしゃべりは、マリアージュフレールでのティータイム。この日はインペリアルアッサムで。高貴な香りのたつお茶を飲みながら、2階のやや高い位置にあるガラス越しから、大勢の人々が往来する姿をながめる。

 コロナ禍からしばし解放され、だれもかれも、たくさんしゃべって楽しそうにみえた。満席だったので、少し感染が気になりながら、家路へ。

 







コロナ禍の中グランドフードホール芦屋店を初訪問

2020-08-19 22:31:50 | コロナ禍日記 2020

 

6月18日(木曜日)

 

 ここのところ、やることが増えてしまい夜が遅くなっている。

 7時に起きて、ヨガ、瞑想。

 この日は朝9時15分から健康診断の予定がはいっていた。旅館「若水」のロビーには誰ひとりおらず、掃除のおばさんが武庫川沿いにあるブラインドの紐をするすると上げているのがみえた。

 エレベーターホールで待っていると、窓際のところに大きな池があり、見事な錦鯉が10匹はいたと思う。大きいので、のったりと静かに泳ぐ。黒鯉は口のところに、なまずのような髭をたたえ、白地に朱色の模様がある鯉は優雅に黒鯉のうしろを、悠々と泳いでいた。

 

 

 検診のプログラムは、聴力、体重、身長、視力、肺のレントゲン、胃のバリウム、心電図、婦人科系の超音波、血液検査、問診・診察である。(肺のレントゲンと胃のバリウムは屋外のバスの中で)

 検診前は、落ち着かないが、1時間20分で開放されるのだから、たいしたことはない。再び、1階まで降りて、鯉を少しみて、武庫川の岸景を写真におさめる。今にも降り出しそうな雨、曇天が、濁った川面を宿している。



 

 阪急百貨店で、買い物。よこわのお造り、とようけ茶屋の揚げなどを買う。

 滋賀の和菓子処の叶匠壽庵で、「あも」と抹茶で一服。

 

「終わった?パパさんの会議もそろそろ終わると思うわ。私たちも合流してもいいよ」とNからメール。「じゃあランチでも?」と、インド料理のランチ。この店は、焼きたてナンが特においしい。

 以前、取材したことがあるが、浅黒い顔に、にこにこ笑顔をうかべて、ネパールから来たシェフが沢山いて、気さくに話しかけてきて楽しい。


 私とNはほうれん草のカレー、パパさんはキーマカレーをオーダー。ほか、プレーンナン、ネパール料理(煮込み)、タンドリーチキン、サラダ、スープ、ラッシーがついて1100円と安い。

 

 午後。芦屋のグランドフードホールまでドライブ。

雨がぽつぽつとふってきた。ケヤキの林道みたいな道、越木岩、越木岩神社の森もぬれている。

 

 先日、カンブリア宮殿でグランドフードホール岩城紀子社長が出演されていたシリーズを見て以来、食に対する考え方に激しく共感したのだった。家族には、こだわりすぎ、と連呼されるのだが、Nがお腹にいる時、添加物ゼロをめざして食養生をしていたので、体が加工食品や添加物をあまり受け付けなくなってしまったのだ。

 添加物を極力除いた安心安全で、職人が心をこめてつくるもの おいしさを追求することは、決して傲慢でなく、それは生き方でもある。人は食べるものでつくられている、という考え方は10年前から私が大事にしてきたものだ。

 さて。グランドフードホールは、いかりスーパー芦屋本店のすぐ近く。

(兵庫県芦屋市東山町6-6)

 





 

 そう広くはない店内だが、雨のせいか客足は少ない。手にとるものが珍しくて、テンションがあがる。以前、お取り寄せのコラムでとりあげた、「ハニーローストナッツ」は陳列棚の目立つところで、大きくコーナーがとってあった。




(1商品に付き1点をセレクトした店内)

 

(ピーナッツバターのマシン)

 Nが手にとっていたのは、シリカウォーターとheave brewer smooth と書かれた代謝を整えるハーブティー。

 コーヒーローストナッツ。パパさんは、アーモンドバタープレミアムシナモン。パンを焼く前に塗るタイプのピーナッツバターだ。



 

 湯田ヨーグルトプレーン、島ざらめ、八朔かんづめ、玄米ミルクバゲット、

 バリアーニのエキストラバージンオリーブオイル !隣の陳列棚と値段を勘違いしていて籠に入れたが、レジで4000円(450ml)だと気づいて仰天。

 豊かな大地に実るミッション種。マンザニロ種。まろやかな味わいの中に新鮮さを保つポリフェノーの辛みがあり1本で料理がレストランの味になるのだとか。自家農園栽培の手摘み果実で植栽後、一貫して農薬不使用という。




(本日の購入品)

 買いすぎてしまい、車の中で猛反省。めずらしさもあって、試食してみたくいろいろ買ってしまった。

 

 本日の夕ご飯は、よこわのお造り、小松菜のピーナッツごま油炒め。揚げと人参のみそ汁、あと、グランドフードホールで購入したニンジンとキヌアのラベサラダ、やりいかとオクラのさっぱりパクチーサラダ。

 またグランドフードホールさんの総菜が秀逸で、デパ地下で総菜をもとめてもどれも、やや酸化しているか、濃い味付けが多いが、こちらはつくりたてのようなおいしさ。調味料がいいのだろう。とても感激した。

 おそるべし、グランドフードホールよ!! ぜひリピートしよう!

 

 

 


京都寺町「スマートコーヒー」から一保堂の喫茶室「嘉木」

2020-08-09 23:17:00 | コロナ禍日記 2020

 

ある日。6月16日(火曜日)曇り時々雨 (1)

 

7時半に起きる。ベランダでヨガ、瞑想10分。Nも一緒に1セットを行った。

 

 紅茶にはウーフのダージリン タルザム茶園 2019年夏摘み。木次牛乳を入れて、オールブランのシリアルで朝食。デザートには石垣島の熟成パイナップル。

 

 この石垣島のパイナップルを食べながら、数十年前の時間に心を馳せる。

 広告の制作会社に入社してすぐ、2週間くらい石垣島に出張した。東京支社からの女の子もきていて南西観光ホテルに滞在。杏里のコンサートの動員を手伝い、昼休みにはプールで泳ぐ。滞在の間、果汁のしたたる黄色く甘い熱帯のフルーツをくる日もくる日も、ホテルのバイキングで食べた。昼にはきまって小麦の風味がする八重山そば。

 食べ物の記憶は褪せないと思い出す。

 

 さて。午前中は原稿を書いて、午後にはNと京都へ行く予定にしていた。

 京都行きの目的は、こんなヨーロッパのペーパーを買いにいく予定である。

 

 

 一目惚れして、ブックカバーにしてから、「積ん読」「持ち歩き本」数冊にもカバーをつくりたいと思っていたのだ。

 

 阪急電車にゆられて、約100分。阪急河原町から寺町方面にむかってあるく。おなじみの「スマート珈琲」へ。ソーシャルディスタンスで、1席ずつ空間をあけて座るので、とてもゆったりと過ごせた。椅子も照明も、レトロな珈琲喫茶店。京都にはこういう大人が珈琲をたのしめるいい店が多い。

 お決まりのフレンチトーストと珈琲。Nは、ホットケーキにカフェオレ。



 化粧っけがない品のあるおねえさんが運んできてくれた。胸まである黒のエプロンがかわいい。

 フォークを刺すと、つんと固く焼かれているのに中はふわりとなめらか。卵とはちみつの風味。黄金の卵をまとうことで食パンの味わいを完全に飛び越えたおいしさ。しつこさがない正統派の味。Nのホットケーキも、1口いただく。しっかりと固く厚みがあって、中はふわっとほどけた小麦の風味でこちらもよかった。ああ、この濃くすっきりした珈琲の味だ。

 

 珈琲の豆を購入して、寺町界隈をそぞろ歩く。なんだか新鮮、2ヶ月近く外出自粛していたから。


 見慣れた寺町商店街と京都市役所の通り。鳩居堂京都本店、器の大吉、西洋民芸の店グランピエをのぞいて、夏用の暑中見舞いのハガキやお香立てなどを買う。

 明治創業のお菓子の店「村上開新堂」へもたちより、ダックワーズ、ロシアケーキ、ガレットを購入。今度はNが一保堂さんの炒り番茶を東京の自宅用にほしいというので立ち寄り、喫茶の「嘉木」へ。

 

 こちらも、距離をしっかり確保し、スタッフの目前で消毒液をシュッとしてから入室。部屋に入ると広い空間はシーンとして、お茶室にいるような清々しさだ。

 さあ運ばれてきた新茶。

 

 とろみがあって若葉のしずくを啜っているよう。あまくて、奥行がありしぉっぱい宇治本場の新茶だ。お茶菓子にはアジサイ。葛がきらきらっとしてきれいだ。餡も、ほど甘く、粒がはんなりよい味。

 途中で、いかにも茶が大好きというような黒眼鏡のおじさんと若い女性が来た。おじさんは京都のよさを熱っぽく訴えかけていた。大学教授なのかな。

 Nといろんなことを話したようで、なにも話していないようで、ふくしい時間が流れていた。ふと、格子越しに表の通りをみる。ぱらぱらと雨がふりはじめ、湿気を感じる。あぁもう行かなくては。今朝、夢のなかでみた朝蜘蛛がつーっと部屋の角のすみを降りていったのを、みえないはずなのにみたような、いにしえの時間が隣にあった。

 


紅茶と映画とおいしいもの

2020-08-07 13:16:47 | コロナ禍日記 2020

ある日。

 

6月15日(月曜日)

朝7時半に起きる。ヨガ、瞑想10分。

 

 ハッとする瞬間がある。今朝の場合には紅茶だった。

 芦屋のウーフで買い求めたダージリン タルザム茶園2019年夏摘み(セカンドフラッシュ)。茶碗のはしにそっと口を付けて息をふーっと吸う。若々しい香りだ。水玉のワンピースをきた少女のようなきれいな味。深い余韻にはマスカットフレーバーの芳醇な味と香りが続いた。思わず文庫本を置いて目をとじた。朝の紅茶のひとときでその日一日がきまる。

 

 昨晩。

夕食時にみたDVD「マチネの終わりに」の中の一つ一つのセリフが重たくて、真夜中3時、4時と1時間おきに目がさめて、クラシックギタリスト槇野聡史の腑に落ちない衝撃的な性格の役柄について、考えていた。意味のない台詞がひとつもなく、うつくしい詩みたいな作品でもあった。 

 

 婚約者がいることを知りながら想いを抑えられずに、あれだけ過激に洋子さん(石田ゆり子)に想いをぶつけ、いかにも人間的というか、ツメが甘い。自己中心的なアーティスティックなタイプだ。映画好きのNの友人は「主要な登場人物が揃いも揃ってサイコパスなので、それがノイズになってきれいな画に浸りきれなかった」といっていたらしい。

 

 しかし、焦がれるほどの人と成就する人なんて一体どのくらいいるんだろう。初恋が実る確率なんて、ほとんど奇跡に近いのかもしれないのに。誰かの、何らかに阻害されて諦める。理由なんて何千通りもあるのだ。たとえ気持ちを伝えあったとしても、よほどの運(タイミング)と両者の強い想いがないとむずかしい。再びそんなことを思い出す。

 午後から、打ちあわせにでるので、借りていた(今日が返却日)「存在のない子供たち」を観る。

7/20(土)公開『存在のない子供たち』予告

 

こちらは言葉にならないほど、至高のシネマ。高い視点から、空や屋根、人々の暮らしを映すカメラワークがたとえようもなく美しい。

 12歳のゼンイの生き方は、健気で、プライドがちゃんとある。「自分を生んだことが罪。育てられないなら産むな」というメッセージ……が痛い。やはり観てよかったと思った。

 

 急いで、電車を乗り継ぎ、うちあわせ場所へ。持参した企画のプレゼン。まずまずの好感触だった。ZOOMのスタジオもみせてもらい、コロナ後の新たな会社の体制を目の当たりにした。

 

4時。ひとり「たねや」のあんみつ。

 



  固く歯触りのよいきらきらした寒天、小豆もほの甘く上手に焚けていて、おいしい。もう何度となくここで一服して食べた味だが、なんだか初めて食べたみたいに新鮮だった。

 阪急梅田の地下で、芦屋「竹園」のミンチカツとコロッケを買い、沢口醤油のさしみ醤油と淡口醤油、京都の嵯峨豆腐森嘉のとうふ、揚げを買う。ついでに「盛岡冷麺」も買った。さすが関西一のデパートだ。

 

 帰ろうとするところへ。Nからメール。「5時の便で帰阪する」のだという。予定変更をして、大阪空港へいく。ディーン&デルーカで待ち合わせ。一緒に家へかえってきた。

 

にぎやかで騒がしく、楽しくて笑いっぱなしの日々が、また始まるのか。

 

 夜ごはんは、コロッケとミンチカツ。野菜の付け合わせ、ブロッコリーとトマトのサラダ、生春巻き、お味噌汁。夜にお茶とケーキ。

 

 

 

 


日記 数カ月ぶりの打ち合わせで大阪へ

2020-08-05 23:10:00 | コロナ禍日記 2020

 

 

6月12日(金曜日)

 

朝7時に起きる。

 朝フランのシリアルに干し柿やレーズンをいれ、牛乳をかける。野菜サラダ。朝ドラをみながら朝食を食べ、パパさんを駅まで送迎する。

 

帰宅後にヨガ、瞑想10分。

 

 カフェオレをいれて、原稿をもう一度チェック、校正、推敲、、、。ちょっと違うのではないかという箇所がみつかる。インタビューの言葉をもとに想像でかいているが、真実はもっと奥にあるのではないかという気がして、テープおこしをした原稿に戻って読み、訂正した。ほか数カ所、小さな発見もあって、1時半後に2本だす。

 コロナ禍の中、社会のニーズを感じて立ち上がった老舗企業。社長の気概など原稿にできたことで、わたしもほんの1ミリでも役に立てたかと、感じた。企業の広報部やクリエーターを志す方が主要読者の専門誌なので、書くテーマが面白くいつも刺激をもらう。

 

昨日のスープの中に中華麺をいれて、味を調整し、5分でお腹のなかにいれて、シャワーを浴び、大急ぎで外出準備。坂道を走って駆け下りる。

 

 4時から、梅田で打ち合わせ。ちょうど2ヶ月ぶりに電車にのるが、コロナ前とさほど変わらない。

 ヒルトン大阪の喫茶室。人は多い。最初、マスクをしたまま話していたが、周囲をみわたすと、ほぼ誰もしていない。ディレクターもマスクなし。途中でマスクを外すが、少し距離のある話し方になってしまう。40分もすると、離れていた時間が徐々に薄まってきて2時間を過ぎたあたりから、普段の関係性に戻っての打ち合わせとなった。

 

 外にでると、街が新しくみえた。ヒルトンイーストから西梅田あたり。阪急梅田の改装後のビルなど。夕方の光の紗による魔法だろうか。美しく完成された彫刻みたいなビルに夜の照明が灯りはじめたばかり。数メートル先では、恐竜みたいな工事現場の中の機器が、ゆっくり、恐る恐る動いていた。

 

 ヒルトンハービスエントの「アンジェ」で文具をみて、食器をみて、ホームウエアをみる。購入欲を押しとどめて、書棚のコーナーへ。5冊ほど本を手にしていて、結局、ジュンパ・ラヒリ「べつの言葉で」、雑誌「トランジェスタ」を購入。

 神戸の好きな店「フランジュール」で、水牛の皮を用いたレザーバッグが気に入って、もう少しで5万円もの大金をはたくところだったが、「少しだけ考えてみます」といって、きょうのところは諦めた。久しぶりのひとり外出に、最寄りの駅についた頃はすでに8時近くになっていた。

 

 薄曇りで鬱蒼とした緑が連なる湿気の中を歩き、あぁリゾートっぽいこの街にかえってきたと思いきや、どしゃぶりの洗礼を浴びる。こんなの久し振り! 頭から肩から、重たい水をどんどん浴びせられ、周囲は高い木々に溢れているのに、わたしの通り道にはなくて、ちっともかばってもらえず、真っ暗な大雨の中をずぶぬれの犬の気分で駆け出すみたいにして帰る。

 

 帰宅後、シャワー。着ている洋服をすべて洗面台のボールにいれて、液体洗剤をいれた。きょうはパパさん出張である。

 サラダと、トマトのスープだけつくって、デパートで買ったささやかな和風弁当。しかし……、楽しみにしていたのに、なんて味気ない。かぼちゃをたべても、海老フライもきんぴら……、どれも似たような味。口がへの字に曲がってしまいそうだ。

 

 そこでジントニックを1杯だけつくり、映画をみながら、ごまかして食べることにした。

 

「男と女 人生最良の日々」 男戸女の53年ぶりの再会。

 



 クロード・ルルーシュ監督が1966年に手がけた「男と女」のスタッフ&キャストが再結集した続編。前作主演のアヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャンが同じ役柄を演じ、53年後の2人の物語を過去の映像を散りばめつつ描いた作品だ。

 クロード・ルルーシュ監督の衰えない台詞のうまさに、あっという間に世界観に連れ戻される。女優、アヌーク・エーメは最高。コロナ禍からよみがえるパリの美しさ。道路から霧がたちのぼる夜明け前。凱旋門からコンコルド広場と、朝のパリの街を走りまわる車のシーンが特にすばらしかった。彷彿とする。

 

 満点の星空の中、洗濯物を干し、11時に就寝。

 

 


休むより働いているほうが気分が明るい

2020-08-04 00:55:00 | コロナ禍日記 2020




 

6月11日(木曜日)


 朝8時に起きる。ブランのシリアルに干し柿やレーズンをいれて、牛乳をかける。サラダ。パパさんを駅まで送迎。帰宅後にヨガ、瞑想10分。

 

 きょうはおもしろい発見があった。仕事がはかどらず、いつまで経っても文章がおちつかないので、「仕事場」の位置を転換してみる。陰陽の法則ではないが、山の尾根が望め太陽も存分に入りやすい南の仕事部屋から、いやし効果の高い北側、(寝室)の鏡台をライティングデスクにしてみた。

 すると、半日かかってもまとらない原稿が1日でおしりまですーっと迷いなく書けた。なにもない空間がいかに自分の頭も整理される、というのが実感として理解できる。

 

 夕方。もっとクリーンにしたいと、おもいきり全部屋に掃除機をかけ、拭きまくる。どの部屋にも。いつもより念入りに。そのままお風呂に入りたい心境を我慢して、ふたたび原稿を校正、推敲に。

 

 7時、家の周囲を散歩。白のあじさいが梅雨空に咲いている。たくさん集まると、薄いグリーンにみえて美しかった。いつも、角のところにみえる三角屋根の大きくて赤いレンガの家。人が出入りするのをみたことはないけれど、ヨーロッパの絵本に出てくるような家なのでどんな人が暮らしているのだろうといつも関心を寄せながら、窓辺にうつる洋棚とカーテンの影をみているのである。いいな、かきたてられる家は。わたしが勝手にエミリー(詩人エミリーディキンソンと少女の出会いを描いた作品)の家と、名付けている家。。。







 帰宅して、明日提出原稿を再度、見直して書き上げる。

 

 9時。食事の準備。きょうは豚肉ときゃべつ、万願寺唐辛子などをいれた蒸ししゃぶしゃぶ。めかぶの酢の物。にんじんとタマネギ、トマトのスープ。夕食の支度をしながら水素吸入をして本を読んだ。最近にないゆっくりとした時間だ。

 一人で夕食を食べ、さらに本を読む。

 

10時。パパさんを駅まで迎えに行く。

 痛風で足の甲と膝が相当に痛い様子だ。ロータリーのところへ止めて待っていると、後から邪魔だとばかりにクラクションを鳴らされ、少し移動。足をひきずるように歩いてきたパパさんが、「なんて奴だ」と猛烈に怒っているのだが、誰のことだろうかと思えば、クラクションをブッブッと鳴らしていた後ろにいたおばさんのことであの人はいつもおばさんに対してはふつう以上に厳しすぎるのだ。(誰だって女性はおばさんになるのに)


  見知らぬ他人に、ぷんぷんしている人をみるとおかしくて笑ってしまう。いちいち出会いがしらの人に腹をたてていたのでは、エキサイティングする必要がある時に、立腹できないのではないかしら(なんて笑)

 

 夕食の準備をして、「世界はほしいものにあふれている」をみてからお風呂へ。本の続きを読み、あがってから、12時まで原稿。

12時40分に就寝。

 


おうち日和 仕事三昧

2020-08-02 23:28:00 | コロナ禍日記 2020



 

6月10日(水曜日)晴れ

 

 昨晩は、2時までテープおこしをしていたので眠くて8時半に起きる。

すでにパパさんが起き出していたので、北と西にある寝室の窓をすべて開け放ち、ヨガマットを敷いてここでヨガをし、瞑想10分。

 マンションはヴィラのように独立しており、とりどりの植栽が植わっている。例えば、玄関側には椿の大きな木が3本、ケヤキに囲まれている。ポプラ、サツキなどもある。

 外階段をしゃーーしゃーという掃除のおじさんが掃く音。人のあるくときの咳払い、鳥の鳴き声、車が通過していく音。さっきまで、隣の棟の1階から女の子と男の子の声がきゃーきゃーといいながらドンドンと足を踏みならし、走ったり、すべったりしている音が聞こえて来ており、とても騒がしいのに、静かなのだ。

 こいうのを気に入って、パパさんがテレワーク中の間はこの部屋で私も私の作業をする。あの人は持病の痛風のため、ほとんど動かない。どかっと腰をすえたらそこが定位置。足の甲あたり、膝が痛くてたまらないようだ。トイレに行くのも大儀そう。一言も愚痴や文句はいわないけれど。

 

 

午前11時までは、長いものを編みながら書く。

 午後からは1本テープおこし、原稿作業。久しぶりの月刊ブレーンでコロナ時代にブレイクした商品開発について書く。





(刷り上がり)



 

 6時半。夕食のことが気になり始め、近くのスーパーで買い物。はも、いさぎ、地物のトマト、冷しゃぶ用の肉、台湾産のマンゴーなどいろいろ買う。和歌山産のレモンをみつけ、帰宅後、レモンサワーをつくって飲む。 

 夕食は、はもの梅肉、いさぎの焼き物、キャベツをたくさん入れた旬の野菜スープ、野菜サラダ。山の芋のとろろ。

 

夕食後、12時半まで仕事をして就寝。本はほとんど読めなかった。

 

 

 

 


AIよ、やる気になって音声データーをテキストにしてくれ

2020-08-01 22:40:50 | コロナ禍日記 2020

 

 

6月9日(火曜日)晴れ

 

 朝6時に起きる。

 ベランダにヨガマットを敷いてヨガを15分ほど。瞑想を20分する。室内でするよりやっぱり快い。空から、近くの植栽から、心地よい気を享受している、と感じる。瞑想しながら音に耳を澄ます。ふぅ。喉が乾いたので、鉄瓶でお白湯をつくって飲んだ。

 

 このところパパさんが痛風で調子が悪い。昨日も、朝と夜に駅まで車で送迎をしたほど。きょうから2日間は在宅テレワークとのこと。部屋はコロナ自粛中と同じく、テレビが鳴りひびき、会議の声が聞こえるので、北向きの寝室に移動。こちらで、わたしは作業をすることにしよう。

 

 午後。原稿を書く。視点ということを考えていて、誰が誰をみて語っているのか。原点のところに立ち返って考え直していた。

 

3時。

 携帯が鳴る、と思ったら得意先から原稿の依頼。そろそろ……と思っているところに一気にきた。

 膨大なテープおこしが壁だ。Noteの記事やいろいろなネットの記事をみて、Googleドキュメントを使ってAIに音声入力で「テキストデーター」にしてもらい、そこから自分の手で整えられたら随分とラクだとたくらみ、あれやこれや苦心して初期設定を試みる。電気製品にもメカにも弱いので書いてあることがさっぱりわからない。

 

 3時間かけてどーにか準備し、いざ音声データーを読み込むところまで、3度の失敗をくりかえし、ようやく辿り着く。

 ドキドキしてスタート!はしてみたがAIは漢字変換にたいそう時間を要し、聞き取りも、鳥あたま。すぐ忘れる。取材のスピードに百歩追いつけない。テキストを10文字書いたら止まって、書けない。手動で動かすも、すぐにフリーズ。先に進まない。その都度ストップ。小学1・2年レベルの出来だ。それも、やる気のない子ーー。

 

 すでに9時。夕ご飯といえば、湯豆腐にネギと針ショウガをのせたもの。青菜炒め。納豆。以上。

 

 結局、夜10時から自力でテープおこしに切り替える。アナログの弾丸スピードでとりあえず1本はできた(まだテープおこしが、である)。

 就寝は2時。(しかし眠れず!)

 

 

 

 


コミュニケーションは大事か行動が先か

2020-07-31 22:48:00 | コロナ禍日記 2020




 

 

 6月6日(土曜日)晴れ

 

 昨晩、夕食のあとに「台北ストーリー」という映画をみた。80年代半ばの台湾・台北を舞台に、過去のことが心に引っ掛かっている男と未来を夢見る女のすれ違いを映す。

 

エドワード・ヤン監督作!映画『台北ストーリー』予告編

 

 日本のあの混沌として、突っ張って生きることが美学とすら思えていた陰鬱な時代。ファッションやカルチャーが台湾も日本もよく似ていた。カラオケバーなどで集まってはくだらないことで笑い合って、人間が抱えている澱や空虚さを吐き出す。他人と寄り添いながら、なお寂しい人たち。この時代は小説もそういうものが多く、今読んでも惹かれるものがある。

 

 映画のラストの展開に目が離せなかった。結婚というかたちで、いきる道を模索した女性、「考えさせてくれないか」と女をおいて、出ていき、その女のまわりをうろつくチンピラみたいな男とけんかをやりあい、ふりきったと思ったら、最後に刺されてしまう男。路上で刃物を突き刺されたまま、死んでいく姿をあわれにも俯瞰でみせられ、自分の人生の振り返りを悲しく回想するーー。こんな風にやり残したまま、果てるように死んでいくのかあっけない、と思いながら息絶えていく姿に。どこか焦るわたしがいた。

 7時に起きてヨガ、瞑想。

 

 昨日の余韻をひきづっていたのか。朝、起きたら、いろいろ昨晩までの仕事のことや友人関係などの思うところを、手書きでノートに書きつけていて、それについての思うところや、なぜだろう? ということを勝手にしゃべっていた。

 パパさんは、受け止めて、うん、うんとうなずきながら、シャワーを浴びにいく。誰もいなくなったあと、自分で考えてみる。ふとパパさんが何をいいたいのか、考えたのか、わかってしまったのだ。

 

 風呂からでてきた相手に、こう思っているでしょ?と聞くと。そのとおり、だという。「すごい聞かなくてもあなたの意見がわかるのね」とわたし。

「暇なんやな。あれこれそんな余分なことを考える時間があったら。今、目の前でとりくんでいる中身のことを真剣に思考したらどうや」といわれる。あぁきっとそういわれると思うことをまたしてもいわれた。「議論や意見交換は不毛で、言葉にしたらそれで満足してしまうのが君だ。あぁだこうだいう前にとっとと、やれ!手を動かせ!」というのがあの人の心理。会社から帰宅して不機嫌な時には「口ばかり動かしてしゃべりすぎるやつのいうことは信用できない。嫌いだ」と日常茶飯事からぼやいているから。

 

 じゃあ。なぜわたしは話してしまうのだろう、相手に理解してほしいというより、自分でものいいながら確認したいのかもしれない。間違っていないよねと。それともどうにも話しておきたいのか。パパさんは少しストレオタイプすぎるが、きっと物言わず黙々とやる人なんだろうと思う(ま、地域の行事でもよく働くから)。

 

 

 お昼ごはんは、ほうれん草と卵のチャーハン。オニオンスープ。

 

 午後から机にむかうも、もやもらと不完全燃焼のよう。突然、大雨のなか、水蒸気がたちのぼる山と青や緑や紫のあじさいの咲く光景が浮かんできた。おそらく神戸森林公園あたり。想像力には助けられる。

 

 青森のりんごジュースを冷蔵庫からだしてきて、思い切って開封した。

あぁ、昨年、青森を旅した時に買い求めたりんごのにおいとみずみずしさ。おいしい。思わず、奥入瀬渓流ホテルがいま、宿泊できる状況などだろうか、と考えて検索した。

 いきなり、4時間くらい缶詰で原稿を書く。森のなかのあじさいと、青森のりんごジュースが救ってくれた。

 夕食は、しゃぶしゃぶ。(ししとう、しいたけをあぶってポン酢をかけったもの。お味噌汁。フルーツにりんご、すもも。

 15分くらいテレビをみたあと、1ヶ月前の日記をさーっと見直して原稿に。

 お風呂にはいって本を読み、1時半に就寝。

 

 


午前3時にご用心

2020-07-29 22:27:00 | コロナ禍日記 2020
 

 



 

 ある日。

6月3日(水曜日)晴

 

 朝8時に起きる。昨晩、パパさんがしくしくと鼻をすすって泣いている声で目覚めてしまい、もしやと胸に手をあて、自分がよくないことをしてしまったのじゃあないかと、思いめぐらす。昨晩の些細なことが思い出されてきて、隣のベッドから寝息が聞こえてきたころには、すっかり目がさえてしまい、リビングで水を飲み、寝室に置きっぱなしになっていたパソコンを移動させ、このまま起きてしまおうかと時計をみたら、まだ3時だった。

 3時という時間は不思議。よく昔、夜中にできない原稿をもったままソファに横になって、ハッと目覚めるのが大概が3時。3時半から朝まで書き始めると、びっくりするほどすらすらっと書けてしまうのがこの時間。深夜とも早朝とも違う、別次元の時空が流れている気がした。起きて机の前に座っているが、なにを始めてみる気になれなくて、ソファにごろんとなってぽーっと回想のひととき。格言めいたことを思いつく。ベランダから空をあおぐ、もう4時頃だろうか。鳥が鳴き始めた。あまりに気持ちよくて、鳥の声をBGMに、しらぬ間にソファで眠ってしまった。

 

 きょうは、パパさんはスーツ姿だ。プロポーザルのプレゼンへ行くのだという。全く知らなかった。先晩のすすり泣きの理由をたずねるが全く意識ないという。やはり!

 

 わたしは起き抜けの頭で、ジュンパラヒリさんの「セクシー」という短編を読む。体にじわじわと浸食されていくような言葉の置き方。

 ブラック珈琲をいれる。さらさらという音がすると思ったら、外階段を掃いているよう。掃除のおじさんが箒でレンガタイルをサーサーと擦る音だ。涼しげ。こういうのを朝の贅沢というのだとおもいながら、心地よく読書していたら、結構な時間になっていて、あさってまでの締め切りの原稿にかかる。

 

 お昼は、ひとりなので冷たいおそばで。ネギ、ブロッコリースプラウト、みょうがなどをいれて、固めのところをスルスルッと口に吸い込むと、さっぱりして喉ごしもいい。野菜もたくさんとれる。

 

 6時まで仕事。足腰をのばすため、簡単なスクワットをして、散歩へ。帰宅して、ヌワラエリアにレモングラスの乾燥した茎をもみしだいて加える。チョコレート2粒。タンニンが疲れた頭をすっきりさせる。湿っぽい梅雨時期にぴったりのお茶に。

 

 夕ご飯には、鯖の塩焼きと蒸し野菜料理(4品、カリフラワーにんじん、空豆、じゃがいも)。納豆。

 

 夜。プリンターの調子が悪く、原稿がうまくひきこまれず、何度やり直してもうまくいかなくて、イライラ。仕事道具が破綻しかけると、こちらの調子まで最悪指数を示し始める。

 パパさん帰宅。プロポーザルが終わって、飲み会帰り。無理を承知でお願いしてみてもらった「いや、わからんから。無理やから」と拒否される。両手にパソコンを抱えて眼前までもっていってパソコンの蓋をあけてみせる。

「どうせ、ホコリが原因でローラーがまわらないだけやて」といいながらしぶしぶ、中をあけて点検、基本的なところを1つ1つ確認しながら掃除をしてもらった。ふっふっと息をふきかけたり、綿棒と雑巾で部品やローラーをふいたり……あぁ額に汗が出ている。かわいそうに、と同情した。15分後。祈るような気持ちで電源をオン。何度も行き帰りをした末に、ローラーが回り出したようで8枚の原稿を全て排出してくれた。

 おそくなって2時就寝。

 

 

 

 

 


 仕事場=遊び場で考える

2020-07-26 22:54:18 | コロナ禍日記 2020

 

 

 

6月2日(火曜日)晴れ

 

 朝7時に起きる。朝食には紅茶とバナナ、甘夏。ナッツ。

 

 4月上旬以来の、一人の仕事場=遊び場がもどってきた。朝からお風呂に入り、ゆったりと手足をのばしてシャワーを浴び、小説を読む。あがって、ヨガをしてから瞑想20分。ぼっーと考え事。それを紙に書き出して、ようやく仕事にかかる。開放感を感じ、誰の目も気にしない自由を味わった。

 ZOOMでの次号の打ち合わせ。切り替えて長めの原稿にかかる。(原稿2500文字)

 

 4時。郵便局に手紙と請求書を出し、コンビニで支払いをし、車で5分のケーキやさんへ。朝注文していたスイーツ「タルト・リュバーブ」と「リュバーブのジャム」を受け取りにいく。

 

 

 BS「美の壺」日本の避暑地スペシャルにて、リュバーブのジャムが紹介されているのをみて以来、憧れの食材。

クリーム色のタルトの下に敷きつめられた、ガーネットのような光る赤。クリィーミーなヨーグルト仕立てのクッキー生地をほおばったら、こぼれる青リンゴのような新鮮で酸っぱい甘さ、リュバーブならではの香りだ。初夏にぴったりのスイーツ!甘いものは、体にはよくないが心の栄養源だ。

 

 

 月刊雑誌の記事をざっと最後まで書いた。

 

 夜ごはんは、丹波の山の芋のオムレツ、サワラのムニエル、野菜サラダ、水ナス。

 AM1時に就寝。

 

 

 


くじら飛行機を見ながら

2020-07-25 23:24:00 | コロナ禍日記 2020

 

ある日  <5月31日(日曜日)>

 

 午前から2時半まで月刊雑誌の原稿のためテープ起こしと資料収集。

 

 お昼はタケノコご飯。小松菜に、にんにく、しょうがをいれて、ちりめんじゃこをいれた炒め物。お味噌汁。水ナスのおつけものがおいしい。

 

 夕方。パパさんと買い物へ行き、コーヒーが切れていたので、ヒロ珈琲の伊丹いながわ店まで足をのばしてみた。河原の堤防をこえたら、伊丹空港とあって、横目にみて車をはしらせると、翼を休ませた飛行機が何機も並んでいる。コロナ前の日常なら、頭上を赤い翼や、青い翼が過ぎていくはずなのに、一機もみない。

 ここは、お世話になった広告代理店のクリエイティブディレクターK氏が偏愛する店で本人曰く、「伊丹のホテルカリフォルニア」と名付けた店

(エアフロントオアシス下河原の郡行橋対岸)。

 クリーム色の外壁に、白枠の窓。オリーブの木をモチーフにしたイラストが目印だ。気になったのが、駐車場の上階(2階)テラス席。屋根のある席と、屋根のないオープン席がある。



 

 ブラジル郊外にある建物をイメージしたとされるカフェで、最近ではちょっとない雰囲気。ブラジルにいったことがない私には、黒人のマスターでも現れそうな重たい空気を感じた。

 1階には珈琲焙煎工房、ケーキや、珈琲豆を販売するショップ。幅の広い木の階段をあがると2階で、2つの部屋にわかれる。ソーシャルデスタンスを保ために、席は1席ごとに空席がはさんでいて、人は少ない。が、ゆったりとしたソファや木のイスが置かれた空間が、いかにも寛げそう。ワイルド、そうビッグ。全てにゆとりをもって設計されている。





 案内されたのは、テラス席がみえる革張りのイス席。2シート。ここで、トランジット(講談社)の雑誌を読む。(パパさんはネットでニュース)

エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト海沿岸からの景色や手仕事を紹介していて、非常に興味深い。特にリトアニアでは、松田沙織さん(・LT shopオーナー下記)のリトアニアへの旅の追憶がかかれていて、雑貨の可愛さもさることながら、センスのよい文章に想いが溢れていた。今度、東京でぜひ訪れよう。







 珈琲は、キリマンジェロだった。窓外には雨がふりそうな雲の下、オープンのテラス席でのんでいた2組のカップル。風雨をよけながら、それでもしつこく珈琲をのんでいた。なんか、いいな。

 

 コーヒーを買って帰り、車に乗り込む時に遂に来た!ゴーゴー、ゴー!!すさまじいエンジン音。頭上、約10メートルに鉄の塊が。真っ白なクジラのような腹が、頭上を過ぎていく。手を高くあげて伸ばしたら、届きそうな距離に思えた。

 

 帰宅後。夕食には、はもの梅ジャムづけ、たけのこの若菜煮、コロッケ、鳥の肝を炊いたもの、サラダ、味噌汁。

 深夜まで仕事。

 

文中のリトアニアの雑貨店