北京オリンピック、「平野くんすごかったな~」だけで通り過ぎてしまった私が、終わったほんの数週間後に、羽生くんに落ちていた。
1996年の「flower」からの筋金入りのラルクファンである私は、フィギュアスケートに関してほとんど知識がなく、ただ、平昌オリンピックの「バラード第1番」と「SEIMEI」(当時は曲名も知らず)は本当に美しかったなと思っていた程度。何より、フィギュアスケーターのお尻を突き出して氷を漕ぐようなスタイルがあまり好きではなく、背筋が伸びて美しい羽生くんの演技だけは、放映されていれば、よくわからないなりに、キレイだなと思いながら見るという感じだった。
そんな私だが、何気なくYouTubeで見た北京オリンピックのエキシビジョン「春よ、来い」のあまりの美しさに感動し、ほんのちょっと踏み込んで羽生くんについて辿ってみた。すると、怪我は多いけど、出場すれば絶対的に強いと思っていた彼の、華々しい舞台しか知らなかった彼の、いばらの道とも言えるようなこれまでの歩みを目にすることに…。
「なんて人だ」と、ため息まじりに出た正直な感想。避けてもいいのに、かわしてもいいのに、なんで正面から困難に立ち向かうのか。若く、美貌にも才能にも恵まれた彼には、もっと楽に生きられる選択肢がいくらでもあっただろうに、どこまでもアスリートで、どこまでもスケーターで、どこまでも王者であり続けるその姿は、神々しくもあり、痛々しくもあり、とても美しいと思った。本来ならば背負わなくてもいいはずのものを人のために背負い、ともに悲しみ、人生をかけて灯火となろうとする彼の姿に、胸が震えるのを感じた。
震災後のWhite Legendから、北京オリンピックの演技まで。幼少期までは遡ってないけれど、ざっくりと彼の歩みを辿った。
この頃から彼を支えていたファンには本当に頭が下がると思った。すごく幸せで、すごく辛かっただろうな、と。そして、そんなファンの存在が、彼の心にそっと寄り添ってきたのだな、と。ラルクの活動休止期だけで吐きそうだった私には、とても彼を支えるようなファンにはなれなかったと思う。こうして、今になって彼の足跡を辿るだけで胸がいっぱいだ。
唐突に、本当に唐突に、彼に心からの安寧と幸せを、と思った。
もう、十分に与えられたじゃないか。
こんなにもたくさんのものを貰ったじゃないか。
人は欲深い生き物で、そして、忘れていく生き物だ。与えられなくなった途端に、今までどんなに貰ってきたのかを忘れてしまうんだ。きっと、世間の人たちは、そうやって忘れていくのだろう。だけど、彼がこんなにもいろいろなものをかけて、全身全霊で捧げてくれた最高の贈り物を、彼を愛したファンだけは、いつまでも大切に守り続けるのだろう。彼の幸せを心から願いながら。
そんな想いの連鎖が、彼を優しく包んでくれることを、にわかファンの私も心から願いたい。
スケーターのお尻が苦手だった私が、熱心に羽生くんの演技を見続けた結果、短期間でジャンプの種類を見分けられるようになってきたというミラクルな展開に驚きつつ、微力ながらこれからも羽生くんとフィギュアスケートを応援したいなと思っている。
もちろん、ラルクファンは健在で~す。最後のライブは昨年6月の中野サンプラザだな。アコースティック最高だった!そろそろHYDEさんに会いたい。30th、1回しか参戦してなくて不完全燃焼。次のライブはいつだか分からないというツンデレバンドに、これからもついていくだけの気概はあります(笑)。
推しに注ぐ無償の愛は尊いと思う。