藤原の宮跡の広大な土地に立った時、朱色の柱列が目につきます。
この広い宮跡より更に広いのが当時の都藤原京です。その藤原京の中心施設が、一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていました。
藤原京は、大体大和三山を結んだくらいの広さだと言われています。その中心だった都の跡に立つ時、いつも柱列以外の何も建物の無いこの地に、1300年前からの時間が止まった空間を、一人想像しながら季節の花とともに楽しんでいます。
いまも発掘調査が行われていますから、当時の建物や道路の跡など、次第に現在に顔を見せてくれることでしょう。
この日は風がやや強かったので 秋の爽やかさをまるで歌うように、踊るように風に任せて揺らいでいました。
天の香久山
耳成山
畝傍山
大和三山に戯れるような、コスモスの花に、今年も出会えることのできた喜びの感謝を込めて、例年とはまた違って祈りに似たような気持ちで大和三山と秋桜をいつまでも眺めていました。少し気弱になっている私を秋桜は見抜いたように、優しく優しく風に吹くままに癒しの雰囲気を作り出してくれました。
このすすきの群れを取り巻いて、まだこれから咲く遅咲きの秋桜が、命の背伸びをしているようです。藤原宮跡の秋桜を、まだ楽しむことができそうです。
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列柱どなたが考えたのでしょうか、
いい構成だと思います、いってみたいと思います、
いい歩数ですね、
平城宮跡のように大極殿や朱雀門の建築の復元はなくて、発掘からわかった、道幅や、建物跡など、を朱色の柱列でここに出現させていますので、想像の世界が広がりますね。
ありがとうございました。