Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 44

2020年04月24日 | ダマスクローズをさがして — Ⅰ

2007年、カナダの研究者マリア・エヴァ・サブタルニー(Maria Eva Subtelny)が、【Maria Eva Subtelny, 2007, “Visionary Rose: Metaphorical Interpretation of Horticultural Practice in Medieval Persian Mysticism” ;「13世紀の農業および園芸マニュアル;”Āsār va aḥyā※1 ” Rashid al-din Fadl-allāh Hamadānī “ (1247?-1318)」】※2の中で、“100弁あるいは200弁になる園芸種について”、“黄色・赤花品種であるファイアリー・ケンティフォリア・オブ・マシュハド(Fiery Centifolia of Mashhad:マシュハドの炎色ケンティフォリア;マシュハドはイランの都市名)”について言及があることを報告しました。その内容は『これらは西洋においては、キャベッジローズと呼ばれ、16世紀あるいは17世紀に、アッバース1世(Shāh Abbās I)の治世下であるサファビー朝とオランダ間の文化および交易が盛んであった時代に、特にバラおよびバラ精油に前例がないほど熱狂したオスマン帝国のスレイマン大帝(Sultan Süleyman the Magnificent)治下の宮廷を通じてオランダ経由で導入された。』というものでした。

 

※1 ラシードゥッディーン・ファドゥルッラーフ・アブル=ハイル・ハマダーニー( رشیدالدین فضل‌الله ابوالخیر همدانی‎, Rashīd al-Dīn Faḍl Allāh Abū al-Khayr Hamadānī、1249-1318, イルハン朝後期、第7代君主ガザンから次代オルジェイトゥ、アブー・サイード治世のもとで活躍した政治家。) イラン中西部ハマダーンのユダヤ教徒系の家系に生まれ、医師としてイラン各地を遊学した後、アバカの時代にイルハン朝の宮廷で典医として出仕しました。

※2 モンゴル人の中東侵略は、中国とイランの間に密接な関係、開花した交流をもたらしました。イランは中国文明の影響を深く広範囲に受けました。イルハナートの著名な医師、牧師、歴史家であるラシュドアルダンハマドゥーニによって農業ハンドブックĀsārva Aḥyāが書かれました。 この本は、植物の栽培方法を教えることが目的の農業書ですが、中国についての多くの情報が含まれています。中国の植物だけでなく、モンゴルの支配下にある中国の政治、経済、社会、科学をも記録しています。


イルハン朝(ايلخانيان, Īlkhāniyān, Ilkhanate)は、現在のイランを中心に、アムダリヤ川からイラク、アナトリア東部までを支配したモンゴル帝国を構成する地方政権(1256- 1353)。首都はタブリーズ。グレーで彩りされた地域がイルハン朝の最大版図。

     

          Ilkhanate  ایلخانان 1256–1335/1353

             The Ilkhanate at its greatest extent

 

 

                          


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