次にご紹介する銅版画は、最初見たときは、衝撃でした。
Basilius Besler※、 Rosa damascena flore pleno ( from Hortus Eystettensis ) ca. 1640
※ バシリウス・ベスラー( Basilius Besler , 1561-1629、ドイツの薬剤師、植物学者、植物画家)はドイツ, アイヒシュテット ( Eichstätt ) の司教で植物愛好家の, ヨハン・コンラート( Johann Konrad von Gemmingen )が造った庭園の植物を描き、『アイヒシュテット庭園植物誌, Hortus Eystettensis 』の中で銅版画の詳細な植物誌を出版したことで知られています。
真ん中の花がダマスクローズです。Rosa Damascena floreと書かれています。いろいろなことを考えさせる絵です。双方に同じ銅板を使ったようです。「何故こんなことが??」 と、この絵を見ていると、今まで経験してきた色々な事柄が頭の中をぐるぐると回ります。古代から中世に書かれてきた植物学、小説、料理書、絵画。その中で現れたダマスクローズらしき「薔薇の花」。あれは矢張りダマスクローズそのものだったようですが、頭の中が整理していないようです。
これまでブログで取り上げてきた薔薇に関する内容ではもはや説明ができなくなってきました。中世、及びそれよりも前の記録からダマスクローズをさがすことに限界がきたようです。もう少し詳しくお話しすると、ダマスクローズをヨーロッパ世界の中から眺めてもこれ以上の情報は期待できないのではという思いです。
これまで得られた知識をまとめると、ダマスクローズはおそらくギリシャ以東の地域で生まれ、ヨーロッパに。それとは別に西の方向へも運ばれたようです。西の方角にはペルシャが、インドが、中国が、ヨーロッパよりもはるかに文明の高い国々がひかえています。不思議な力を秘めた薔薇の花がこれらの国々に注目されなかったとは考えられません。最後にお見せしたイスラム発の医学書;タキュイナムサニタティスには、ダマスクローズと一緒にローズウォーターを作るグラスの容れものが描かれています。ヨーロッパ以東の国々で今も宗教行事に、化粧品、医薬品、飲食物に使われています。このあたりに次につながるヒントがありそうです。大きな広い視野で眺めなければ全体像が把握できないようです。
次回からは、21世紀の視点から、東方に目を向けた“ダマスクローズさがし”を試みようと思います。どのような ”ダマスクローズ” が見えてくるのか、楽しみにしていてください。(先にさんざん申し上げていた学名ですが、これから先は立体で書かせていただこうと思っています。)
私もフォローさせていただきました。
これからも宜しくお願いします。
コメント欄を閉じていますので、こちらで失礼しております。
オートシェイプの絵素敵ですね。
新しい一歩は踏み出せそうでしょうか?
期待しています。