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スピリチュアルな出来事☆ 治った癌の不思議なお話

2012-03-28 21:35:04 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事治った大腸癌・・・続き3

〇治った大腸癌・・・けれども

誤解が有っては困る。彼女は食事療法(マクロビ)で、病が治った訳では無い。しないよりは良かったのだろうし、役にも立ったのだろうが、それはついでの事に過ぎない。私にとって、過度の食事療法は、正直如何なものかと思う。彼女の拘りと要望に答えたに過ぎない。

彼女の癌を消滅したのは、私のヒーリングによるもので、正式に言えば、私を通じての神仏の力に他ならない。ヒーリングは、彼女が来る様になり、癌病完治まで2回行った。ヒーリングの仕方は、神仏の教えに従い行った。神のみに有らず、御仏の力も併せてのヒーリングで、私は手翳しと言っている

2回のヒーリングの際、1回目に行った際の事、彼女は、目をとじだその後、物凄い体験をした。

ヒーリング際し天より言われた手順を行ている最中、彼女はいきなり起き上がり、涙して「済みません御免なさい。」・・と何遍も言い出した。「口が過ぎる・・・。」と怒られた。そう言って、再び横になり目を閉じた。その後、彼女は宇宙の様な空間に身を置き、輝く幾つもの光を見た・・今までに経験の無い気持ちの良い美しいものだった。けれど、最初は、夥しい数の切り立った竹やりの上空で、物凄い風に吹き飛ばされそうに成ったと様子をヒーリング後に話してくれた。私は、最初に彼女に施した事は、彼女の悪しきものを除く事から始め、後に治療を行ったmのだ。吹き飛ばされそうに成ったのは、悪しきものを除く際の出来事である。

2回目のヒーリングの際は、怖い事は起こらず、言葉にならないほどの素晴らしい美しい光の噴水を見た。体は宙に浮き上がっていた感覚で、言われ事は、「お前は、〇〇を軽く見てはいないか・・。共に助け合いなさい。」と言葉が聞こえたそうです。〇〇は、私の事で有る。

2回目のヒーリングは、最終の病院検査に合わせ、数日前に行った。最終ヒーリングを行う前夜に、彼女は食事をしながら、かなり私を罵倒した。絶えられない言葉の数々だった。ただただ、耐えた。

最終ヒーリングの日、朝から私は、仕事をしながらも辛く悲しくやり切れない思いでいっぱいに成った。このままでは、ヒーリングは出来ない。

ヒーリングを行うには、限りない愛が、慈悲と慈愛の力が必要だ。それは、天より教えられていた事だった。しかし、昨夜の彼女の罵倒の言葉が私の頭の中から離れない。何とか、そんな気持ちを打破しなければならないが出来ない。

彼女は、例の如く平然とやって来た。何時ものように食事を済ませ、今日はヒーリングをする。その時間がとうとうやって来た。しかし、私の心は整理が出来ず、慈悲も慈愛も持てない。ヒーリングをするには愛の力が足らない・・。

私は、一人別室に入り瞑想し、天にお願いをした。「何とか彼女を救いたいけれど、昨日の彼女の言葉が頭から離れず苦しい・・このままではヒーリングは出来ません。とうか慈愛と慈悲を心魂にいっぱい満たせます様に、、、。」と懇願をした。すると「今、お前が着ている服は、誰から貰ったか?今、履いてる履物はだれからの物か?今、座っている椅子は誰からのものか?」と言われた。

普段着のお古だけれども、履き古しの草履だけれども、彼女が、「家で仕事するのなら汚れても気兼ねが要らないから。」とくれた物だった。気が付くと服もズボンも履物も座っている椅子も彼女から頂いたものだった。私は、涙があふれ出た。決して高額な物では無いけれど、彼女の心遣いを思い出し、色々としてもらった事を次々と思い出した。

そして、彼女への感謝の気持ちと慈愛と慈悲の思いを満たし、無事、ヒーリングをする事が出来た。

ヒーリングの翌日に、癌の完治の様子を天より見せられ、この翌日に彼女が確信的な不思議な出来事を体験し、その翌日、病院の検査で、癌消滅を確信したのだった。

人は2面性を誰しもが持っている。善と悪の心を持ち合わせ、良い所も悪い所も持っている。肉親で有ろうが友で有ろうが夫婦で有ろうが、全てを満たす人などは居ない。良い所は当たり前で見え難い。悪い所、気に入らない所ばかりが浮き出て見えてしまう。近くに居れば居るほど尚更である。

もし、気に入らない周りの人間を全て入れ替えたとし、気に入った人ばかりを回りに置き交えたとしても、やがては気に入らない所が浮き上がって目に付く様になる。気に入らない所ばかりを見続けると、やがては回りに人が居なくなり、自身も煩わしい人付き合いを避けてしまう。

しかしながら人は一人では、生きて行けない。今は良いとしても、永い人生の間には、必ず助けられたり助けたり人を必要とする。言い換えれば、愛されたり愛したりが必要なのだ。側に人の息づかいが有ってこそ人は生きて行けるものだろう。

つづく

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