スピリチュアルな出来事~★~魔神との戦い篇・・霊能力者Aとの事・・・その3
魔神との戦い篇・・霊能力者Aとの事・・2のつづき(再記載)
神懸り・・。
有る日の事、スサノオ尊がその彼女の家に幾匹かのおろちが居る為、退治に行く・・・と言い出し、私は言われたままにその準備をし、友といきなり彼女の家を訪問し、数箇所、おろち退治を始めた、、。いきなりである。
1匹目のおろちは家の横の草に覆われた空き地に居た。スサノオ尊が剣を振り降ろすと、天から稲妻の様な光がその場に、剣の如く鋭く差込み落ちた。周りに居た者はあっけに取られた。その後、家の中に入り数箇所、剣を振り、おろちを退治し本星のおろちが咥えた巻物(天の巻物)を取り戻し、天に放り上げ返した。
スサノオ尊は私の体に降り、私は神懸りとなり動かされた。訳の分からないまま体も動き言葉も出てくる。勿論、おろちが私にも見える。私は、自分で有りながら自分で無い。しかし、わずかながら約1%は、自分が存在する。物凄いパワーを感じながらも、1%の私は「なんやねん・・これ・・・。どうなっとるん・・。勝手に体動くし物言うし・・・変や・・・嘘やろ・・・。」そう思いながら動かされて居る。
スサノオ尊が入った際、一瞬にして分かった事は、彼女が大切な天の巻物を知らぬ間にその教団から、おろちと共に持ち帰って居た事。その教団に横恋慕しようと(言い方は悪いが横取り)しようとした事で、その教団のおろちが怒り居座って居た事。スサノオ尊からも神からも、彼女への多大な愛(小さな子供を思う様な)を感じ事。そして、その天の巻物には、神の教えが書かれて居る事。魔神がその巻物を神から横取りしていた事が分かった。
後に、数十万円もする何冊もの神の教えの書物がその教団には有り、彼女はそれを購入していた事を知った。
その教団は、神の教えを写し取り、自分の教団の教えとし高額で販売をしていた。その為、神はその天の巻物を取り上げたのだ。
80%、もっともらしい教えを言い事を成し、後の20%で、正体を現すとは、正にこの事だ。まだまだ、この教団には魔神が存在する。この後も、魔神退治は続く事と成る。
神と対座して魔神は存在する。神事をする者は、何時も清く謙虚で、渇欲に溺れる事無く、強い心魂を養っていなければ決して手を出してはならない。彼女は、子供の無邪気な心魂を持ち合わせているが、悪しき者を追い払う事も消滅する力も全く持って無い。にも拘らず事を起こす・・。なので、神も守護霊も彼女の子守に手をやいている状態だ。
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在り得ないお話をするのには、訳が有ります。神仏の存在を知って頂き、神々や御仏から教えて貰った事を、皆様に伝えたいからに他なりません。何故なら、その教えには、人が誰しもが、真の幸せや安らぎを得る為の教えが説いて有るからです。
天から私への教えは、教えに留まらず不思議な体感や神仏の手足と成り、共に働いた事もさることながら、何よりも難儀と苦悩の体感こそが、一番の学びと成りました。
あの時、人生のどん底・・と思ったけれど、まだまだ、どうしてどうして、そんなものでは無かったのです。
苦難は、かなりの年数を要し、終には限り無い理不尽に至り、そこには、神仏の存在は無かった。光は無く真っ暗で、目の前には死のみが存在しました。
ここに至って尚も私は、「例え貴方々(神仏)が、私を見放し嫌だと言っても、私は変わらずに貴方々(神仏)を愛し信じます。足だろうが衣の裾だろうが、私はしがみ付き離しません。」と叫んで言った。
そこから、真の教えをより深く悟る事が出来たのでした。導かれたのです。
究極の理不尽は、正しく、理不神(理に適わない。報われない。神の存在は無い。)そのものと言えます。しかし、そこに至った時こそ、深い深い神仏の愛が存在します。真っ暗闇には、深い神仏の愛が存在します。
目覚めてから気が付けば10年余り経っていました。浦島太郎では有りませんが、すっかり容姿は老婆に成っていました。30才は老けた感じです。或る日、自分でもびっくりしました。「何時の間に、こんなになった~んやろ。」鏡なんてこの10年余りろくろく見た事が有りませんでしたから。強烈な苦難は、身も心魂もぼろぼろにしてしまったのです。
目覚めた時、もうこれで救われる・・。そう思ったけれども、おっとどっこい、そこからが、苦行の始まりだった。星一つ無い、真っ暗闇、死のみが存在するに至るまで、追い詰められ試されて初めて解る真の神仏の教えが有る。
この世は無常である(釈迦の言葉)。常に変わっています。明日は分からない・・と言う事です。だから、悔いの無い様に、今を生きなくては成りません。私も同様です。明日は、生きているとは限りません。まだまだ修行の身で、至らない者でありますが、明日が分からないからこそ、教えて頂いた事を伝える必要が有ると思ったのです。
私は、天より教えられた事を伝え、一人でも多くの人に幸せに成って頂きたいと願っております。
近日、カテゴリーの中で、幸せに成る為の学び舎を開校します。多少、難しい事も出てきますが、それは、しっかりと自分と向き合う事に他なりません。
どうか、ブログをご覧頂きたいと深く願っております。
そして、真の安らぎと不動の幸せを手に入れて行きましょう。
共に・・・。
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