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文化を果てさせるもの【動画紹介】ヒトコトリのコトノハ vol.19

2023年08月18日 | 動画紹介
☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
 ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!

 ●本日のコトノハ●
  国民的憎悪というものは一種独特なものだ。
  文化のもっとも低い段階のところに、いつももっと強烈な
  憎悪があるのを君は見出すだろう。

 『ゲーテとの対話(下)』エッカーマン著/山下肇訳(1969)岩波書店より


 この言葉の中でゲーテが言っている「憎悪」とは具体的に誰かが嫌いとか、個人的恨みをはらすというものではなく、不平不満を持つ人間たちが集合して、抗議行動を起こしたり、それが暴動にまで発展したりすることを言っているのだと思います。
 ゲーテが生きた18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパでは特にフランスで、団結した一般市民による革命が勃発し、まさに激動と呼ぶにふさわしい情勢が続きました。

 ゲーテの人生観は完全なる保守ではなかったと私は思います。
 貴族と平民という身分の違いによって生じる様々な面倒事を彼は身をもって経験していましたし、自分の作品の中でそうした問題を扱ってもいます。

 ゲーテは確かに公平な考えの持ち主だったでしょう。
 けれども、それは貴族の処刑という形で実現されることを望んではいませんでした。
 そもそも、「文化のもっとも低い段階のところ」の人々の生活を、ゲーテは知っていたのでしょうか?

 なぜ自国の王を処刑するまでの憎悪が生まれたのか、ゲーテは考えたでしょうか?
 この言葉から察するに、それは彼の想像が及ばないことだったと思われます。
 東洋には「衣食足りて礼節を知る」という言葉があります。
 革命を起こした市民たちは経済的に安定した生活を送っていた人たちでしょうか?
 衣食住に不安のない人たちがわざわざリスクを冒して暴動を起こすでしょうか?

 2020年に新型コロナウイルスが世間を騒がせ始めて、真っ先に切り捨てられたのは音楽をはじめとする文化的事業だったことを思い出して下さい。
 貧困、疫病の流行、災害などが人々から文化を奪うのです。
 ゲーテの時代、人々から文化を奪ったのは身分制度によって生み出された貧富の差です。
 そして、そうして生きざるを得ない人たちに対して向けられる裕福な人たちの侮蔑の言葉や眼差し、あるいは、貧困層への無関心だったと私は思います。
 それらが「国民的憎悪」を生み出したのだとは考えられないでしょうか。(ねえ、ゲーテさん?)

 どんな状況でも、思いやりの心を失わずにいること、それが人が文化的であることの基本だと思います。


ヒトコトリのコトノハ vol.19


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