日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

君はずっと一緒だった〜自閉症だった息子〜 ①

2020-06-22 15:35:00 | 本の紹介
届いたその日に、夕飯、お風呂など全て終わって読み始めたこの本。


途中、ブログを書き、残り数章でしたが、よみ終えたのは午前3時になるちょっと前でした。

それから横になったのですが、頭が起きていたのか、夢うつつな感じで、桜の病院があったせいもありますが、7時頃には起きました。

親という人たちは、1歳数ヶ月の頃からこんなにも子どもの将来を考えているのですね。

そして、より良く生きて欲しいとお子さんをとても慈しんでいらっしゃるのが文章を通して伝わってきます。

また、「この子にはこういうことも言わなければ」と誰に教えられたわけでなく、何か本能が働いていて育てていらっしゃる姿に、ただただ、「すごいなぁ」と感心するばかりでした。

私はこの本を読み、中学校で支援員をしていて、関わったとも言えないくらい、出会った、くらいの言葉がちょうどいいのか、やはり、二十歳になる前に自死してしまった子のこと思い出していました。

本のお子さんとは、どちらかと言えば真逆の振る舞いをする子でしたが、感性が鋭く、いつも自分を追い込んでいる子でした。そして、孤独で繊細な子でした。

お家も真逆で、母親にとにかく嫌われて、罵倒され、税金や光熱費など督促が来ると、「いつも自分が払いに行かされる」と担任の先生に言っていて、担任の先生が親御さんに、それは良くない!と抗議されると、「子どもがウソをついている!」と言い合いになったりもしていました。

その子はそれを、「言ったの?ばかじゃねーの?」と言い、でも、ニヤッとした顔をしていたのを覚えています。

下の妹、弟はかわいがられていて、その子は「問題を起こせば、児相に行ける」と家出をし、児相に保護され、「家に戻ろう」と言われると「まだ期限がある」とギリギリまでいて、ふっくらとなって戻ってきました。

私は顔を合わせると、なぜか呼び捨てにされ、絡まれたり、叩かれたりしていたので、いつも追いかけ回して、お返しをしていました。もしかしたら、追いかけて来ることを見抜かれて、絡まれていたのかもしれません。それがその子と私とのやり取りでした。

高校行ってもしょーもな!が口癖でしたがお父さんはその子をとても大事に思っていて、高校に合格したと、私は転勤先で風の便りとして聞きました。

そして、高校を卒業し、「ああ、あの子たちも二十歳になるのだなぁ」と思っていた桜が咲くくらいの季節に、その地域の人たちが集うとても賑やかな場所で、亡くなってしまいました。

中学の同級生がたくさん集まって、中学時代その子とよくトラブルになっていた子が、色々な手配をしてくれたと聞きました。

その子の担任をした先生と会うと、私たちはもっと気がつくことはなかったのかな、できることはなかったのかな、と今でも話します。

他人の私でも、もう、ここ数日、本を通して蘇ってきた、その子のことを考えています。

診断名に依らず、お子さんを愛しく思い、その賢さに目を見張りながらも、言い知れぬ危うさを抱えていることに気づきながら、それでも目の前からお子さんが消えてしまった卯月さんの心と頭の混乱は如何許りだったことか!と胸が苦しくなります。

でも、幼稚園の頃までのお子さんの色々なエピソードを卯月さんが面白いなぁ素敵だなぁと感じながらお子さんを育てている姿は、子どもを愛するご家庭では、きっと当たり前にある光景だと思います。

大きくなっていくお子さんに、小さい頃の姿を重ね合わせながら、「この子だったら大丈夫」といつも信じて向き合っていた卯月さんは、本当に素敵なお母様だと思います。

そして、「なぜ、自死を選ばなくてはならなかったか」と辛い中でも、手を尽くしてくださって、『君はずっと一緒だった〜自閉症だった息子〜』という書籍の形で私たちの手に届くことになった。

私が出会った子もこの本のお子さんも、今なら、何かできたかもしれません。

身体をゆるめてあげてみたら、ちゃんと呼吸ができているか見てあげてみたら、自分の体の存在を感じてみたら…。

そんなことをやってみたら、少し、何かが変わっていたのかなぁ、ここ数日、本の感想なのか、出会った子に語りかけているのか、そんなことが頭の中を巡っています。

自分のでき得る限りの精一杯を生きたお子さん。今も、そうやって混乱の中、精一杯生きているお子さんたちがたくさんいると思います。

どうか、その混乱の一端を崩す方法と出会ってくださいね。そうすれば、少しラクになり、余力ができます。余力ができれば、また、混乱を解消できます。そうやって、まずは体がラクになれば、思考もラクになっていきます。

そして、自分らしく、自由に生きていける、と顔をあげられますように。

そんな思いを本を読み終えて、数日抱くことでした。



心があるものに触れる。

2020-06-20 23:57:00 | 本の紹介
今日は待っていた、読みたいと思っていた本が届きました。

本が入った段ボールを開けると、ハードカバーで、どっしりとした持ちごたえに身が引き締まりました。

繊細そうな少年のカバーのイラスト。カバーを外すとまぶしいような白にイラスト、本を開けると気持ちがいい空が高く感じる日のような青空色。

ああ、これはお母様の思いを受け取って、
大事に作られた本なのだ、ということが伝わってきて、読む前から涙ぐんでしまいました。


「自分のことだけを考えていた毎日から、子どものことが気になって仕方がない日々に突然変わったのですから。」

生まれた子どもは、どんなに大切に育てられるのか、こんなにも日々に煌くものをもたらすのか、お母様のお子さんを思う気持ちにドキドキします。

何度も何度も、人間性、仕事人としての在り方が最低最悪の、でも、私も知っている、と思う多くの「先生」と呼ばれる人たちに出会います。

あと数章で終わってしまいます。

胸が詰まりますが、目が止まらないので、このまま読み進めようと思います。

感想は、全部読んでから。

途中だけど、読ませてもらえて良かったです。ありがとうございます。




猫本読書会に参加!

2020-05-02 14:03:00 | 本の紹介
祝日が関係のない仕事なので、今日も良い天気の普通の土曜日です。




『支援者なくとも自閉っ子は育つ』の読書会に参加しました。

読み直して、これまで気がつかなかったり、素通りしていた言葉があったり。自分の読むタイミングで捉えるものが変わりますね。そして、いつ読んでもすごい本だし、良い本です。

2016年の11月だったと思うのですが、浅見さんに「こよりさんとコラボで講演会してください」とお願いして、翌年の3月におふたりの鹿児島での講演会を大盛況で開催することができました。

そのときは「支援に繋がらなくても、お子さんは育つし育てられるよ」ということを知って欲しくて「こよりさんの支援に繋がらずにお子さんを自立に導いた子育てのお話をしてほしい」と思い、講演会を計画しました。

今回、読み返して2015年の時点でこよりさんが「遅れがあったって、治りますし育ちます。」(P 119)と言われてることを改めて確認して拍手!

たぶん、この頃はまだ「早期療育」が言われている真っ最中。

私自身は灰谷さんのブレインジムの講座や発達支援コーチ受講を通して、「できることを増やすことはできるんじゃないの?」と思っていた頃。

ここから、更に4年後にやっと、DSM-5を読んだり、浅見さんの『NEURO』が出版されて、発達障害は「神経発達障害」だ!ということが白日のもとに晒されて、ならば、治るではないか!と確信を得たのです。

本で言語化されたのを読んだのが、2015年ですが、こよりさんはそのずっとずっと前から、「治りますし育ちます」とお子さんを育てていらっしゃったわけで、本当に凄いことだ!と改めて心震えながら読み直すことでした。

だからこそ、この2020年の時点で「一生治りませんませ」と言っているお医者さんや支援者の方がいたら、それは時代遅れ、というより不勉強だし、嘘つきですね。

その「一生治りません」を新コロナ後の医療や療育で継続して行って、一体、誰が得をするというのでしょうか。

日常が崩れたとき、お子さんたちに生じたストレスに対処できないお家の悲惨さを報じる報道を目にしますが、それをこれまで野放しにしてきた医療や療育からの新たな方向転換について、報じられることはありません。言わないだけで、計画されているのかもしれませんね。

話が逸れましたが。

今回読み直して、どうやって自分の感覚、勘、本能を優先して生きていくか、ということもすごく考えました。

こよりさんは、読書家だと思うのですが、その知識に溺れていない。それはご自身のことを学校にある本を片っ端から読んで自閉症の母親の手記を読んで「あ、これだ!」と思われたエピソードでも、悲観するでも楽観するでもなく、淡々と受け止められていることでもうかがえます。

物事の受け止め方、受け取り方は人それぞれではありますが、この知識に溺れず、知恵を増やすようなあり方は、見習いたいなぁと思うことでした。

また、感覚が育つことを待つ大切さや表裏一体の感覚でも同時に育つとは限らない、そんなことも本の中でのこよりさんと栗本さんのやり取りで改めて、認識することでした。

10年がかりで世に出た、直す近道がお家だということを教えてくれた嚆矢の猫本。

浅見さんの今後のZoomでのアナウンスにあった「支援を整理する時代」に突入する今だからこそ読み直して、本当に必要なものを見極める目を養っておきたいですね。








知的障害は治りーーーます!

2020-02-18 17:45:00 | 本の紹介
雪模様の桜島が見える、今日のおいどん県です。

「知的障害があるんじゃない?」
「知的障害があると言われました」

これまで何度か聞いてきた言葉です。

前者は、支援員をしているときに普通のクラスで学んでいるものの学習に困難さを持つ生徒についての相談で担任や教科担から発せられた言葉です。

後者は、幼いお子さんを発達支援センターや療育の場に連れていくように促された親御さんが、そういう繋がった場で言われた言葉だったり、就学指導の場で言われた言葉だったりです。

これまで私に相談として発せられてきた「知的障害」という言葉は、ほぼ「学習が覚束ない」や「IQが低い」の同語として用いられ、私もそう受けてめて来たように思います。

その一方、そういう相談でやって来た子どもたちと接すると、学習面では覚束ないもののその豊かな表現力や秀でたコミュニケーション力、発想の豊かさ等々「この子を知的障害がある子と言って良いのだろうか?」との疑問がいつも湧き上がっていました。

愛甲さんの新刊『知的障害は治りますか?』が届きました。




本章の冒頭、知的障害という言葉が定義付けられています。

知的障害とは認知発達に遅れがある状態で、認知発達とは「文字や言葉を使って生きる力」のことだそうです。

この定義、とても大切だと思いました。

子どもに何か表現しようとする力や世の中と関わろうとする「生きる力」が感じられても、これまで、「知的障害」というとこの定義の「文字や言葉を使う」部分にのみ焦点が当たりすぎていたのではないでしょうか?特に学校や発達検査の場では。

その理由も明解にこの本には書かれています。簡単に言うと親御さんはじめ、お子さんと関わる人たちが、なぜか「行政の論理」に巻き込まれてしまっているからでしょう。

それって、どう言うこと?と思われた方は、どうぞ本を読まれてくださいね。


そして、全て読み終えて思うことはこの本は、「知的障害を治す」ということがどういうことか、ということに留まっていないということ。

自分の中にある、何らかの負の部分について、治そう、治したいと努力する行為が本人にもたらすものは、個々人の人生を自由に豊かに送ることに繋がることを提示していると思います。

親切なことに、治すための方法も「目詰まり」という示唆に富んだ表現のおかげで、何をしようかとワクワクと考えさせてもらえます。

知的な活動がまるで淀み、停滞し、一生発達しない印象を受ける「知的障害」という手垢がついた言葉。

この本は「知的障害」という言葉をじゃぶじゃぶと洗い、その言葉の持つ意味を考えさせてくれます。

それは心に血が通い、心身を整え、それぞれが持つ知的好奇心を満たし能動的に生きていけるようする大きな一歩だと思います。

表紙のじんわりとしみる、でもどこか楽しげで弾むようなハートの絵のような豊かな人生を誰もが送れることを確信した、ほんとうに豊かな本でした。

たくさんの人に読まれますように!





治る最強三部作!

2019-11-09 23:02:08 | 本の紹介
 毎日天気が良くて快適な毎日です。

 先日の栗本さんのコンディショニング講座開催のとき、地元の新聞社に「取材してほしいのですが」と連絡をとりました。

 私の話はは「担当になるものがいないので」ということで経済部の方が受けてくださいました。

 私は、以前ブログで取り上げた新聞の記事(都落ち)の話をしながら、「一生支援が必要だ、と主張される方がいらっしゃるなら、支援が必要でなくなるよ、というやり方を広めている方の話も聞いてくださいませんか?」「必要な方に必要な支援をまわすためにも、支援が必要でない方はそこから外れた方がいいと思うのです。」と言うことをお話ししました。

経済部の方は「そんなことができるんですか!」と驚かれた様子でしたが、興味津々という感じでした。

結局、担当部署の方に、思いは伝わったのか伝わらなかったかわかりませんが、特に取材はなくコンディショニング講座は終了しました。

でも後日、メールで「発達障害は治るということを鹿児島でも広がってほしい」という感想をお寄せくださた方がいらっしゃいました。

嬉しいなぁと思いながら、そうだよね、「発達障害は治る」というということを
まずは多くの人に知ってほしいなぁと思いました。

そのためにどんな取り組みがあるか、どんな本読んでいるのか、日々の暮らしは?と発達障害のことだけに留まらない、発達障害のお子さん育てに勤しむ方々の日常の普通の暮らしも想像できるのが良いなぁと、ブログでどっとこむ(治そう!発達障害どっとこむ |)をご紹介したのでした。

そして、そういう風に「治るが広まってほしい」という灯火をなんとなく心に抱いている方々に読んでほしい、三部作があります。

私が「治る方に進んだ方がいいし、治るじゃない!」「ん?支援ってどうなの?利用するのが良いとは限らなくない?」との思いを抱き、そういうことを親御さん方にも話すきっかけになった『自閉っ子と未来への希望』。

発達障害、知的障害界隈の医療、療育、特別支援教育は、子どもたちを自分たちの給与を生み出す打ち出の小槌として懐で一生持ち続けようとするかもしれない、という一面を炙り出し、どうやって社会に出ていくか考えられる『発達障害、治るが勝ち!』。

そして、「一生治りません」のお札を破り、「脳の機能障害」の呪縛から思考を解き放った『NEURO 』。

治るへの思いがフォルテッシモになっていく三部作です。





読めば治るへの思いが強くなるプロテインのような本です!ぜひぜひ、読んでそれぞれの「治る」の思いに肉付けしてください!