日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

再度、南雲さん講演会について。

2016-02-28 12:12:56 | 発達応援
 天気のよい気持ちのいい日曜日です。
4月並みの気温だそうで、長袖のTシャツとカーディガンで十分です。

 今日は温泉行こうと思っていたのですが、気温に負けそうです。

 昨日の南雲さんの講演会について、追加です。

 南雲さんの講演を聞いていると、小中高と学校に通っていた南雲少年は、
自分が本を読めないことや字が書きづらいことを自分で自覚しています。

 それをSOSとして、
「黒板の字が読みにくい」とか本を読むときに読み飛ばすなどという形で、
学校の中では発信しています。

 南雲さんが小学校~中学校時代を過ごした1990年代頃、
私も高校で国語を教えていましたが、
何度言っても、範囲を指定しても、漢字の書き取りが出せない、ノートが取れない子たちがいて、
放課後に残したり、昼休みに呼び出し、そのあまりの字の書くことの遅さに、
「こいつ、なめてるな!」と怒りまくっていた時代と重なります。

 目の前で、書くのが極端に遅い子を見ていても、
一応、進学校の部類に来ている子どもたちだったので、
字が歪んで見えるかも、なんて、思いもしませんでした。

 そういうことを誤摩化すためだったかもしれません。
その子たちは、のけぞるように座り、イスからは落ちそうでしたし、ノートも斜め、字も薄く、
「なめられてる!負けんぞ、おらぁ」としか、当時の私は思っていませんでしたから、
子どもたちがSOSを出していても気がつくはずもありませんでした。

 きっと、南雲さんの周りの先生方も私と同じような感覚だったかもしれませんね。

 SOSを出している子どもがいても、
受け取る側が既成概念やこうなるはず、という常識にがっちりハマっていたら、
そういうサインはキャッチできないでしょう。

 今、支援員を経て、少しの子どもさんと学習を重ね、
保護者の方を通じて、お子さんの話を聞くことがあります。
以前より多くの子どもたちと接して、自分の中に色々な例、色々な取組みが溜まってきても、
出会った子は、別人、違うひとりだよ、ということを意識しておかないと、
以前同様、SOSを見誤るぞ、と肝に銘じています。

 経験は私を助けてくれますが、ときには足をすくいます。
ワークショップで習った、様々なことも鋳型のように用いるのではなく、
形を変え、流れを変えながら、その子仕様に用いなくては意味がないな、と思っています。

 講演の最後の質問を聴きながら、保護者であろう人も支援者であろう人も
何かの型についての質問が多かった気がします。

 南雲さんの講演は、「学習障害の困り感=南雲明彦」ではなく、
ボクは、こんなことに困ったよ、そんなことに困っている人がいることを想像することで、
別の思いもしないことで困っている人がいるかもしれないよ、そこにも気がついてね、という、
聞き手に、他者への共感と想像力をうながす講演会だったと思います。

 柔らかく動くことの大切さを考えさせてくれた、本当に良い講演会でした。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 南雲さん講演会。 | トップ | 見えないものを見る。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

発達応援」カテゴリの最新記事