病室の入り口からジジ様のベッドをみると起きているようだ。
ベッドに近づく前に眼があったので手を振った。
何かをいっているようだけれどわからなくて。
声をだすと咳き込んで苦しそう。
肩をさすって、触っているのわかる?と訊くとうなずいた。
暫く時間がたつと少しずついろんなことを話す。
言葉に敬語がまじるので私だとわかってないのかな?
マスクしてるし。
「私、だれかわかってる?るみこさんよ~」
「むすめだよ~」
「いくつになった?」
「え~~~~。年をきくかぁ~?いわないよぉ~」げらげらと笑いながら
「自分はいくつかわる?」
「61」
「うっそっだね~。なんでそんなにさばよんでるのよ」
ふたりで大笑い。
9月に唐黷ト
弱ってゆく父親を眼にするのが辛いと思った
思うようにならない不自由な身体のもどかしさや思いをぶちまけられて怒りを覚えたり
何も出来ない自分に落胆したり
病院という組織に????と色々と社会勉強をしたり
最近思うのはね。
親って自分が意識するしないにかかわらず、自分の最後の姿をさらさなければいけないというのは、子供への最後の教育なんだなと思うんですよ。
今を大切に生きろよ。死ぬ準備をちゃんとしろよ。とかね。
樹木希林さんが痴呆老人の役を演じるCMを観ておもったんです。
どんな動物も赤ちゃんがかわいいのには、意味があると。
そしたら、痴呆になってしまうのにもきっと意味があるんじゃないかなって。
樹木さんのCMをみてそんなことを感じました。
どんな意味があるのか、ひとりひとりが考えることにしましょう。ね。
ぼけてもいいかもしれない。
完璧でなくても
人を笑顔にできる。
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