雑木林の足元、ヤブランさんの青葉撮る。
見上げれば、ちょっとしたイヌシデさんの群落あり、ほっと一息。
一昨日は、城郭研究家の皆様をご案内し、飯田城址周辺を現地調査いたしました。
とはいえ、いつものことで、ここまでは来る間にも、アズマネザサさんの藪漕ぎの連続。
たとえば、こんな感じですなのが、中にはノイバラさん混入の難所あり。
さらにまた、ネザサの極太の茎が密生するという、いわゆるドヤ . . . 本文を読む
花の都でiPadシリーズも、大詰め。
再び、コースは梅林坂へ。
寒梅さん香る、有り難い皇居の北東。
地下鉄竹橋駅前より平川門を入ると、じきにこの坂に掛かりますが。
こんな感じで、皇居は案内板が懇切丁寧。
頷きながら、謂れを学びつつ、坂を上れます。
それにしても、やはり重厚。
城址を歩くこと多いブログ主ですが、やはり別格。
普段はお城に無関心な人でさえ、この大仕事の破格さには圧 . . . 本文を読む
今朝は、国土地理院さんの空中写真閲覧サービスを拝見。
昭和36年、8月10日の里の上空画像を拝見しておりましたが。
右下には、三瓶神社の森もくっきりと見えました。
拡大すると、こんな感じですね。
ありがたや、ありがたや。
さらに、画像の左上ですが。
指さしている上のあたりが、飯田城址の中心部です。
城址研究には、空中写真の検索も有効と伺いました。
もっと古い米軍撮影のものも、ど . . . 本文を読む
飯田城址の調査の午後は、谷津田を挟んで東の尾根に取りつきましたが。
ここにも、実は、謎の段差が続々と折り重なっているのです。
以前の記事で一度、泥田堀をまたいだ対面にある出城として、画像をアップしておりますが(→こちら)。
拙ブログリンクの余湖さん解説にも、出城の記述がございます(→こちら)。
さて、森の中へと歩を進めますが。
その奥もまた、幾重にも土塁らしきものは重なり。
余湖さ . . . 本文を読む
では、いつものコースに戻り、城内中心部に向かいつつ。
東側のくぼ地に面しております、二段構えのテラス状の郭の上から。
切岸状の急斜面をご案内したところ、防御の意図が確認できるとのご解説。
当時の長槍のサイズに合わせ、敵との距離を保ち迎撃するという、防御には最適の切岸スケールと納得。
一段降りるとテラスになり、ここを目標に這い上がる敵兵を待ち受けて、一気に仕留める。
誘導と防御という、 . . . 本文を読む
チゴユリさんの時節。
山笑う飯田城址でございますが。
野の花さんを愛でつつ、古道を分け入りました。
こんな感じで、オカレンジャーさんが。
西峰最初の堀切を踏査。
そこは、菅井信市議さんの後方の盛り上がり部分ですが。
藪の中に、二重の土塁有り。
峰を完全に遮断しておりますので、やはり堀切であることは確実とのお墨付き。
さらに、その内側の城内に至る部分に、平坦なスペース有り。 . . . 本文を読む
カスミザクラさん、麗し。
こちらは、里の高天原こと、篤農家さんの牧草地跡。
現在は陶芸家さんのお庭の続きですが、春は特に良いですね。
実は昨日、このルートから、飯田城址をご案内したのです。
なんと、ゲストはこちらのお方。
常総戦隊ヤブレンジャーこと、茨城城郭研究会のオカレンジャーさんでございますが。
オカレンジャーさんにおかれましては、笠間城址・飯田城址のオリジナル図面と、茨城の城郭 . . . 本文を読む
飯田城址を、ご案内しました。
画像は、はるばる長野から来訪の、ブログ主旧友。
茨城城郭研究会さんのTレンジャーさんご案内に、ちょうどタイミングが合ったため、同行願いました。
背広は脱いでもらって、ご覧の通り、拙宅あり合わせのヤッケとヘルメットにゴム長のなりにて現場へ。
それでも来た甲斐はあったようで、終始コーフン気味。
さらにまた、笠間市としても、ここは是非保存公開すべきとの見解も強 . . . 本文を読む
小幡城址の続き、長い堀底もこれにて詰まり、主郭に続く土橋の前。
振り返れば、長い道中の堀底でした。
このあたりは、土塁の比高が少ない感じですが、堀底の凹凸が防御に有効な感じ。
右奥を見れば、左に主郭の虎口、右手に帯曲輪が。
いよいよ、背後の土橋の側面、仮設の階段から取り付きましょう。
土橋に登ればこんな感じで、両側が切り立っております。
にもかかわらず、四百年余も風雪に持ちこた . . . 本文を読む
昨日の続きですが、まずは、城内の解説版に感謝しつつ。
(※上図の黒マジックの矢印は、ただ今画像に加筆した昨日の撮影順路、〇印が後年の掘削切通しです)
昨日のラスト画像、杉の大木さんを通りスギたところから。
雪中辿った堀底道を、心静かに振り返りましたが。
再び前を向けば、こんな感じで。
にわかに、堀底にも起伏が施されたエリアに突入します。
城に攻め込んだ往時のもののふさん達には、このあ . . . 本文を読む