日本歴史紀行

和歌 短歌 俳句 紀行 16 西行法師 歌碑



西行法師 歌碑

西行 歌碑
撮影場所 静岡県島田市佐夜鹿、小夜の中山公園












西行法師は、元の名を佐藤義清(のりきよ)といい、平安時代後期の武士だった僧で、同時代の武士に平清盛、源 義朝がいて、祖父に平将門を討伐した藤原秀郷を持ち、鳥羽院(鳥羽天皇)を警護する北面の武士として活躍しました。

23歳のときに突如出家して諸国を旅する僧となり、小夜の中山には、2度訪れており、最初の訪問は、1146年久安2年、西行29歳のときに訪れています。

2度目は、西行晩年の1186年文治2年に訪れており、この時は、源平の戦いにより焼失した奈良の東大寺の大仏の再建のため、黄金の勧進を奥州、藤原氏へ求める道中でした。

小夜の中山で呼んだ歌は、【年たけてまた越ゆべしとおめひきや命なりけりさやの中山】というもので、どこか切なさを感じます。





1600年 慶長5年7月、関ヶ原の戦いの遠因となった上杉氏討伐のため、上方から江戸に下る道中の徳川家康を、当時、掛川城主だった山内一豊が小夜の中山の古刹、久遠寺にて饗応の場としてもてなしました。

山内一豊は後の下野、小山評定の席で徳川家康に掛川6万石の領地と掛川城を差し出す言上を述べて家康を感激させ、戦後の論功行賞で土佐一国の領地を賜わることとなりました。










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