東大寺 南大門
奈良県奈良市雑司町
東大寺の入口となる南大門は、創建後に平安時代の962年、応和2年に風により倒壊し、その巨大な構造もあって 東大寺は しばらく南大門の無い状態が続きました。
治承4年12月28日、(1181年1月15日)、平家による南都焼き討ちにより東大寺は大仏殿をはじめ、伽藍のほとんどを失います。
源平合戦に平家が敗れて滅亡し、鎌倉に幕府による武家政権が誕生して世情がようやく落ち着きはじめると、東大寺再建の機運が高まります。
再建は宋国(現在の中国)へ3度渡った僧、重源(ちょうげん)が担い、財源確保の勧進と材木の調達、復興の指揮と、齢六十を超えた老僧は精力的に動き、大仏様(天竺様)ともいう頑丈で合理的な作りで入宋で得た知識を建築様式にも取り入れ、短期間での再建に成功しました。
1567年永禄10年、松永久秀と三好氏の戦いにより東大寺は再び炎上しますが、この時は南大門は被災を免れ、鎌倉時代初期の姿を現在に残しています。