見出し画像

日本歴史紀行

歴史紀行 46 平治の乱 一本御書所跡





平治の乱 平安京 一本御書所跡

山中油店 京都府 京都市上京区 下丸屋町 下立売通智恵光院西入508



源 義朝と藤原信頼は、保元の乱以降、朝廷内で絶大な権力を手に改革を進める信西に対し、互いの出世を阻む共通の敵であると手を結び、信西の排除を密かに狙い機会を伺います。

1159年 平治元年12月4日、
平清盛が一門を引き連れて紀伊の熊野詣でに出かけます。

12月9日、義朝は後白河上皇の御所、三条殿を襲撃して連行し、その足で二条天皇も連行して一本書御所に幽閉します。

朝廷の異変を察知した信西は寸前で内裏を脱出するも、京の山中で進退を窮まり、首を斬って自害します。






義朝らのクーデターは一応の成功をみますが、政治的な駆け引きに長けた平 清盛は、熊野から帰京すると信頼に恭順する振りをみせて油断させ、機会を伺います。

平 清盛は、信頼の反乱に加担しながらも、信頼自身を快く思わない二条天皇の親政派を抱き込み、彼らの手引きで一本御書所に幽閉されていた二条天皇と
後白河上皇を脱出させ、平家の本拠地である六波羅に迎えます。


天皇、上皇を迎え入れ、官軍の立場を得た平 清盛は本拠地の六波羅に軍勢を集結させ、賊軍の身となった源 義朝と雌雄を決して戦います。

清盛の留守を狙ってクーデターを決行した義朝は合戦を行う軍勢を東国から集めておらず、源氏の一騎当千の武者も、多勢に無勢となり、縁者の源 頼政も
賊軍となった義朝を身限り撤収します。

大敗した義朝は義平、朝長、頼朝ら息子と僅かな従者のみで落ち延びました。


一本御書所~いっぽんごしょどころ~
この時代、朝廷が世間に流布している書籍を書き写した写本を所蔵した御所。





ランキング参加しています。応援お願い致します!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「歴史紀行 平安時代」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事