記念艦 三笠艦橋より横須賀港を望む
日露戦争〜日本海海戦 4
旅順口閉塞作戦
日露戦争海戦史で、日本海海戦と共に困難を予想されたのが旅順口閉塞作戦です。
旅順(りょじゅん)口閉塞作戦は、連合艦隊参謀の有馬良橘中佐が、アメリカ、スペイン戦争(米西戦争におけるサンチャゴ皆閉塞作戦を参考にして計画立案したもので、約90メートルの旅順港の水路に船を沈めて航路を塞ぎ、港内のロシア艦隊を封じるというものでした。
東郷平八郎司令長官は、危険を伴う作戦であることから、志願者を募り、結果、多くの志願者が出たことから隊員を選抜して作戦を実行します。
こうして閉塞作戦は計画されますが、ロシア側の反撃もあり、初回で完全に封鎖することはできません。
第2回の閉塞作戦では、軍神として語り継がれる広瀬中佐が指揮します。
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