七間町の吉見書店ビル、「Since1879」が誇らしげです。
創業が1879(M12)年というと
県内はもちろん全国的にも老舗中の老舗の書店ということになるでしょう。
でも、今は七間町に店舗はありません。
5~6年前、4階に事務所・外商関係だけを残して貸ビルとなり、
店舗は竜南店(葵区・千代田四丁目)と県立総合病院内(葵区・北安東四丁目)だけに
なってしまいました。
吉見家は、なんでも先祖は江戸の直参で御鑑定組頭をつとめた家柄で、
江戸の文人として名高い大田南敏(蜀山人)も親戚すじに当るとか。
書店の初代は、明治始めに徳川宗家の静岡学問所の教授として静岡へ来て、
いったんは東京へ帰ったものの静岡の文化に貢献したいと
静岡で書店を始めたそうです。
(戦前は旧呉服町二丁目(現:呉服町一丁目3番地~5番地附近)にあったようだ)
その吉見書店ビルでこの秋ごろから耐震工事が行われていましたが、
工事中の表示の注文主に吉見書店の名と並んで
隣接の静岡伊勢丹の名があったので
工事完了後は伊勢丹の売り場になるのかなと思っていたらやはりそのようです。
それまでのテナントが撤退して工事が始まったとき、
吉見書店の復活を願う者としては、復活はありえないとは思いつつも、
もしやとほのかな期待を込めたりしましたが
やはりそういうことにはなりませんでした。
それにしても
流行に左右されない品揃え
いつも流れる古典音楽
しっかりとした栞
新券での釣銭などを思い出し
「いい本屋だったなぁ」と思うのでした。
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70年ごろまで、22時ごろの最終バス(通称映画バスと言った)は、新静岡ではなく、昭和通りとの交差点の七間町から出ていました。
この先、人を引きつける核のようなものがないと、単にノウハウ的なものだけでは賑わいを維持するのは、なかなかむずかしいのかもしれません。
七間町は、かつては静岡一の繁華街(幼少のころは呉服町へ行くことはなく、七ブラばかりでした)だったので、なんとか盛り上げてほしいのですが、市当局に静岡・清水の中心市街地や東静岡地区に対するプロデュース能力が欠如している現状では期待できませんが・・・・
それを見ながら、家人が「ドリプラが出来てから七間町に行ってないな」と。清水の映画館が滅亡していた時には、必要に迫られて七間町に出掛けてました。
とすると、東静岡駅近くにシネコンが出来ると、人の流れが変わるかもしれません。「ドリプラは駐車場が便利だ」という旧静岡在住の人が居ましたから・・・。
吉見書店はコミック本を取り扱うのが中心街の書店ではかなり遅かったとか
そういったちょいと不器用に見えるところも好感が持てました。
そのほか、個人的には輸入盤のLPによる店内の音楽も気に入っていました。
ボクも昔はよくしました。
最近は目が疲れてしまうのであまりしなくなってしまいましたが(泣)
現在の伊勢丹のところにあったころは、ワンフロア-がもっと広くてゆったりしていました。
そんなちょっとした工夫が気に入っていました。
エレベーターではなくエスカレーターですね
降りる時の階段にしても
踊り場のポスターを観てゆっくりしたり
その「遊び」がよかったです
>昇りだけの細いエレベーター
覚えています。懐かしい想い出になってしまいました。
店内に、ほのぼのとした余裕がありましたね。
昇りだけの細いエレベーター、懐かしいです。
包装紙が思い浮かびます。
戸田書店の静岡進出とあわせて、
なんともいえない気持ちです。