私がまだ若い頃、お向かいの奥さんがいつも言ってた事があります。
旦那さんはずっと単身赴任で、自分の言う事が一番正しいと言う人で、お金の管理も全て旦那さんがしていたらしく、何かで要りような事があれば旦那さんに、理由を言ってお金を出して貰ってたそうです。
ある時、息子さんが事業を始めたいとお父さん(旦那さん)に相談したところ、わしは一銭も出さん
と言ったとか。
3人の息子さんはお父さんの事を毛嫌いして
家から出て生活をしていました。
そんな旦那さんが翌年定年を迎えると、立ち話の中で奥さんが嫌そうな顔して話すのを何度も聞きました。
帰ってくると、気ままに外出も出来ない、
どこへ行くのか、ガソリン代がどうとか
言われるし気が重いと。
定年を迎えて自宅に戻った後は
ご主人は歴史が好きで、ボランティアでガイドを始めました。
黒田官兵衛のドラマがあった時は、夢中でガイドに没頭。
奥さんは、自分は好きな事をして、私にはあれこれ口出しをしてホントめんどくさい
とぼやいていました。
奥さんと立ち話している所へ、話に入って来ては自慢話と行政がやる事の批判、お得意の歴史の話を延々と、割り込んできたのに独説。
ご近所さんだから話は聞いていましたが
奥さんがいるから立ち話も楽しくしてたけど
家の中では苦虫を潰したような顔をして文句ばかり言ってて、外面はいいのよ とそんな旦那さんでした。
奥さんがずっと言ってた、旦那さんが定年で家に戻ってくる 気が重い というのがわかるような気がしました。
ある年に、屋根瓦が痛んで来たので吹き替えると一方的に行ったそうで、奥さんは、年周りが悪いので今はやめておいた方がいい と言ったらしいのですが、そんなのは迷信だ!と自分の考えを曲げず着工。
年廻りが悪いのに着工したせいなのかは
分からないけど、その年に奥さんは体を悪くして大きな手術をし、激痩せしました。
その翌年には亡くなってしまいました。
奥さんが居なくなり、いつものように自分も私と立ち話をしてくれるとでも思っていたのでしょう。
私が庭で草取りをしていたり、出かける時に顔を合わせたりすると話しかけて来ました。
いい話をするならまだしも、相変わらず自慢話と人の批判。うんざり。
以前、車検があり家の前に代車をとめて
車の入れ替えをしていた時に、邪魔だ!
とご主人に怒鳴られたことがありました。
人の家に来た客人にそんな態度をとり、少し待てばすぐ帰るのに、自分の車が出せない事に腹を立て、挙句、自分の車を出す時にイライラしていたからか、自宅の塀に車をぶつけ
その事でも腹を立ててまた怒鳴ってくると言う事がありました。
私は、ご近所さん しかもお向かいさんなのでうまくやっていかなきゃと思い、自慢話も聞いて来ましたが、この事で我慢の限界。
本人はケロッとして、その後も話しかけて来ましたが、私は、奥さんだから話をしていたけれど、旦那さんの自慢話や批判の話など聞きたくもありません。
奥さんが亡くなられて寂しいのは分かるけど
そこまで私もお人よしではありません。
息子も寄りつかない状態で、奥さんに先立たれ、80も超えたおじいさんだけど、もしご主人に万が一の事でもあったときは人として放置はしないけど、仲良くしようとは微塵もおもいません。
自分がやって来た事の答えがそれなのだと気づいているのでしょうか。
今後嫌でも体は衰え、疎遠になっている息子に頼らざるを得なくなります。
定年を迎えても、奥さんに食事の用意をさせ
身の回りの事をさせて、自分は歴史に夢中で
好きな事をやり続けて来て、奥さんからは何度も愚痴をききました。
ご主人はそれでいいかもしれないけど、
もし年周りが悪い時に家をいじった事で
奥さんがそんな目に合ったのだとしたら
自分勝手にもほどがあります。
決して二人の関係が良いものであったとは思えません。
私の旦那さんのお母さんも、好きなカラオケに行ってても『お父さんのご飯作らなならんから帰るわ』と言って、途中で帰って、家で何もしてない旦那さんのお昼ご飯をせっせと作るのを聞いていて
長年家族のために身を粉にして働いてくれたのは理解するけれど、だからといって家でじっとして新聞読んでる側で、奥さんは楽しんでる時間を中座してご飯を作るのって
何なんだろう とずっと思って来ました。
昭和初期の生まれの人は、そういう考えの人が多いのかもしれません。
『わしの言う事を聞いてりゃ間違いないんや』と、いつも言い私達若い夫婦の前に立ち、主導権を握ってた舅。
若い私たち夫婦は、失敗しながらも二人で経験を積んで、しっかりと自分達の力で大人になっていかなければならないのに、いつも私たちの前には舅と姑が立っていました。
それを阻止するのは旦那さんの役目だと思うのに、言いなりになってきたし、言いなりにならざるをえない状態でした。
そんな事を経験して思ったのが
『定年を迎えたからと言って、奥さんには
変わらず食事の用意をさせ、自分は家族のために長年働いてきたのだからと、デン!と動かず口だけは出すのはおかしい。
旦那さんが仕事から帰って、食事の用意が出来ていて、1日の疲れを癒して来られたのは
同じように共働きでフルタイムで働いていても、休む間もなく食事の支度に取り掛かり
掃除洗濯お風呂の用意と動いてくれた奥さんがいるからこそくつろいでいられる。
それを、自分だけ定年を迎えたからといって
何もせず、買い物も時間を気にして昼食を用意する為に急いで帰るような事を奥さんにさせるのはおかしい』
とずっと思って来ました。
『定年で家に帰ってくる 憂鬱だ』といつもいつも言っていた、お向かいの奥さんの言葉も、私はずっと疑問でした。
主婦は、稼ぎは違えど共働きで働いていても
家事は女がするもの 食べる事は女がするものだとしたら、女は死ぬまで定年はありません。
ご主人だけ定年後に趣味に没頭するのもおかしい。
大黒柱の男は、働いて家族を養う
家 子供のことは女の仕事
そんな時代はもう終わり、今でもそれを言うなら子供だけは作っておいて、子供がどんな状態でも奥さんに任せっきりにするなら
結婚も子供ができるような事もするなよ
って、私個人の考えです。
お向かいのご主人も、誰一人尋ねてくる人も居らず、息子も寄り付かず、自分のやって来た事の答えは必ず自分に返ってくる事も
お向かいのご主人を見て、まさにその通りだと思いました。
奥さんは、息子さんたちに会う事もなく亡くなってしまいました。
私は。
縁あって一緒になった連れ合いと、そんな関係で終わるのは嫌だと強く思いました。
私も私なりに一生懸命頑張って来ました。
参考書も正解もない子育ても、何度も心折れながらも歯を食いしばって、自分の事は後回しで頑張りました。
子供って、何にしても反抗期でも、向かってくるのは母親です。
私には4人の子がいたので1人対4人。
4人の子が放つ矢を全身で受け止めて、落武者のようになりました。
それがどんなに大変な事か、身をもって知らない旦那さんは、ブラックな会社だったので
いつも疲れて寝ていました。
理解はするけれど、呑気に寝ているとしか見えなかった当時の私は、夜中に何度車で逃避行(近くのコンビニ😆)したか、旦那さんは知らないでしょう。
そんな旦那さんでも、旦那さんが居なかったらこの生活はできなかったでしょう。
ブラックな会社で、労基で定められた勤務時間も休日も、そんなもの関係なく目の下に腫れ上がるほどのクマを作って、末っ子が高校を卒業するまで耐えて頑張ってくれました。
私が子連れでの結婚でなければ、そこまで頑張らなくても済んだかもしれません。
こんな私の為に、結婚を許してほしいと両親に頭を下げてくれた旦那さん。
そしてそれを許して、笑顔で私を迎えてくれた義両親。
義両親は、血の繋がらない私の子供を虐待などしないかとずっと心配していたそうです。
それが私の心のそこには揺らぐ事なくあるから、色んな事はあったけれど旦那さんも義両親も憎むほどの思いには至りませんでした。
いずれ必ず訪れるであろう義両親の介護も
事故で亡くなった旦那さんの弟の分も、旦那さんと私でやらなくてはならない時がきます。
私みたいなのを笑顔で迎えてくれた義両親には、できる限りの事はしなければならないと
結婚した時から心に決めていました。
その為には、私たち夫婦が心が通わないような関係でいてはならないと思うのです。
ありがたいことに、離れて暮らす義両親はまだ元気で居てくれています。
今まさに、私たちは今の時間を思いっきり楽しめる時です。
頭の片隅には義両親の事は思いながらも
以前のように『何かしないと叱られるから』とか『電話しないとご機嫌を損ねるから』とか、そんな変な感情は使わず、その時がくるまでは義両親の事は頭の真ん中に置かず
自分の為の時間を有効に、やりたい事をやって、旦那さんのご飯の心配などせず(大人だから自分のことは自分でさせる)旦那さんがいつ帰ってこようとも、旦那さんは旦那さんの時間を思いっきり楽しんでもらい、私は私のやりたい事を、時間を気にする事なく楽しむ。
そう言った意味で
『定年したからと言って三食昼寝付きと思わんでな。お互いに束縛せず、やりたい事を思いっきり楽しもう。何時に帰るなんて言わなくていい。帰りたくなったら帰ってくればいい。私もご飯を気にしてやりたい事を途中辞めする事はしないから』
と宣言しました。
お向かいの旦那さんや、姑のようにはなりたくない。
子育ても終わって、娘たちはそこそこ自立してなんとかやってるみたいなので、娘たちの事も干渉はしない。
娘たちの前に立つ事なく、後ろで見守る立ち位置で、自分の考えで失敗しながら経験を積んで大人になってくれたらそれでいい。
自分の人生は自分で切り開いていくものだから。
義両親のように、何もかも先回りして私たちの行く道の妨げになるような事をすると
私たちのように歳だけはとっていても中身は薄っぺらでは、今後娘達に何か起こっても責任は持てない。体力もお金もないのに、親が決めて行ったことの責任が取れるとは思えない。
実際、義両親もそれが出来ず、今になって私たちにそのツケが少しずつ降りかかって来ている。
親 という事はそんな偉いものではない。
一家を支えているんだぞ と言う事も
全面に押し出して偉そうにするものでもない。
それぞれがそれぞれの役割をしているからこそ、仕事のことだけを考えていられる自分で居られる事、一家を支えて頑張ってくれてる大黒柱がいてくれるから家族が安心して暮らせている事、お父さんお母さんが居てくれるからご飯が食べられて学校にも行けている事。
誰かが偉いって事ではない。
自分の人生、楽しめるときは楽しもう。
人は誰かに支えられて生きている。
私は、わがままなのかもしれないけど
今できるこれからの時間は自分のための時間を楽しもうと思っている。