其の四・堀内夫人の話
あんまり若い人には恐くない話じゃないかしら。
わたしの田舎は東北の小さな村でね、子供の頃はたくさん茅葺き屋根の家が残っているような場所だったわ。ああ、茅葺き屋根って言うのは植物の茎を使って作る屋根のことよ、今では殆ど見なくなったわね。
それで、わたしの家は違ったけど少し離れた村落にある父方の実家が茅葺きの大きな家で、夏休みになると両親に連れられてよく遊びに行ったわ。祖父は気難しい人だったけど祖母は優しくて、わたしたち家族が来るとニコニコ笑って麦茶や西瓜を出してくれたっけ。
その村は田んぼと畑以外には本当に何もないような所だったけど、友達がいたんで毎年行くのが楽しみだったわね。
友達と言っても名前は最後まで教えて貰えなかったけど、あの当時でも珍しい赤い着物姿で、切りそろえたおかっぱ頭の可愛い子だったわ。縁側で何となく庭を眺めてたら、『遊ぶべぇ』って笑って近付いてきたの。
で、袂に入れていた綺麗な模様のお手玉を取り出してやってみせてくれたんだけど、凄く上手で五つも六つも一度に操れるのよ。わたしもやってみたくて女の子に貸してもらったんだけど、二つがせいぜいで、三つだとすぐ落としちゃったわね。だからその子にどうやったら上手になるのか聞いたんだけど、『ずっどやってりゃ上手ぐなるがらぁ』としか言ってくれなかったわ。
悔しかったから私も祖母におねだりしてお手玉を作ってもらうことにしたの。祖母は昔から裁縫が達者な人で私の浴衣を縫ってくれたりもしていたから、すぐに余り布と小豆で五つも六つも可愛いのを作ってくれたわ。
その時、『祖母ちゃんも小っちぇえ頃ば良ぐこれで遊んだがぁ』なんて懐かしそうに言ってたわね。
ちなみに、お手玉のほうはどんなに練習しても二つが限界だったわ。
ただ、私が十歳の時に父親の転勤があって遠くに引っ越してからは滅多に行かなくなって、わたしもまあ、学校行事や新しい友達関係で忙しくなったから何となく疎遠になって、良くある話なんだけど次に祖父母の家に行くことになったのはお葬式だったの。しかも、祖父母揃ってのよ。
たまの旅行に出かけた時にツアーのバスが崖に転落したの。本当に世の中って何があるか判らないと思ったわ。
親戚は多かったんだけど、結局は長男だった私の父が喪主やら何やら引き受けて目が回るような忙しさだったわね。私も高校生になったばかりだったけど訳も判らないまま色々手伝ったわよ。
その後、誰も住まなくなった祖父母の家を取り壊すことになって家財道具や遺品を整理していたんだけど、その中に一つだけ奇妙な物があったの。
クッキー缶くらいの大きさの桐の箱にね、『今日子』と書かれた半紙と束ねた髪の毛が一房、それにお手玉が六つ入っていたのよ。
察するに『今日子』と言う名前の女の子の持ち物なんでしょうけど、親戚中誰もその子に心当たりがないって言うのよ。もちろん、養子縁組の記録もなかったわ。まあ、昔の戸籍なんてかなりいい加減だから記録漏れもあったかも知れないけど、それにしたって誰も知らないの。で、結局はお寺に預けて供養してもらう事になったわ、今日子ちゃんが生きてるか死んでるかも判らないのに乱暴だという意見もあったけど、しないよりはしたほうが良いだろうって事で。
私?私は何も口出ししなかったわ。まだそんな歳じゃなかったし、子どもの頃に遊んだあの子が今日子ちゃんだって証明できなかったし。
ただ、桐箱に入っていたお手玉が、一緒に遊んだあの子の着物に良く似た赤い色だった事だけは今でも忘れられないわね。
それとね、偶然だとは思うけど私の祖母の名前、『明日香』っていうのよ。
あんまり若い人には恐くない話じゃないかしら。
わたしの田舎は東北の小さな村でね、子供の頃はたくさん茅葺き屋根の家が残っているような場所だったわ。ああ、茅葺き屋根って言うのは植物の茎を使って作る屋根のことよ、今では殆ど見なくなったわね。
それで、わたしの家は違ったけど少し離れた村落にある父方の実家が茅葺きの大きな家で、夏休みになると両親に連れられてよく遊びに行ったわ。祖父は気難しい人だったけど祖母は優しくて、わたしたち家族が来るとニコニコ笑って麦茶や西瓜を出してくれたっけ。
その村は田んぼと畑以外には本当に何もないような所だったけど、友達がいたんで毎年行くのが楽しみだったわね。
友達と言っても名前は最後まで教えて貰えなかったけど、あの当時でも珍しい赤い着物姿で、切りそろえたおかっぱ頭の可愛い子だったわ。縁側で何となく庭を眺めてたら、『遊ぶべぇ』って笑って近付いてきたの。
で、袂に入れていた綺麗な模様のお手玉を取り出してやってみせてくれたんだけど、凄く上手で五つも六つも一度に操れるのよ。わたしもやってみたくて女の子に貸してもらったんだけど、二つがせいぜいで、三つだとすぐ落としちゃったわね。だからその子にどうやったら上手になるのか聞いたんだけど、『ずっどやってりゃ上手ぐなるがらぁ』としか言ってくれなかったわ。
悔しかったから私も祖母におねだりしてお手玉を作ってもらうことにしたの。祖母は昔から裁縫が達者な人で私の浴衣を縫ってくれたりもしていたから、すぐに余り布と小豆で五つも六つも可愛いのを作ってくれたわ。
その時、『祖母ちゃんも小っちぇえ頃ば良ぐこれで遊んだがぁ』なんて懐かしそうに言ってたわね。
ちなみに、お手玉のほうはどんなに練習しても二つが限界だったわ。
ただ、私が十歳の時に父親の転勤があって遠くに引っ越してからは滅多に行かなくなって、わたしもまあ、学校行事や新しい友達関係で忙しくなったから何となく疎遠になって、良くある話なんだけど次に祖父母の家に行くことになったのはお葬式だったの。しかも、祖父母揃ってのよ。
たまの旅行に出かけた時にツアーのバスが崖に転落したの。本当に世の中って何があるか判らないと思ったわ。
親戚は多かったんだけど、結局は長男だった私の父が喪主やら何やら引き受けて目が回るような忙しさだったわね。私も高校生になったばかりだったけど訳も判らないまま色々手伝ったわよ。
その後、誰も住まなくなった祖父母の家を取り壊すことになって家財道具や遺品を整理していたんだけど、その中に一つだけ奇妙な物があったの。
クッキー缶くらいの大きさの桐の箱にね、『今日子』と書かれた半紙と束ねた髪の毛が一房、それにお手玉が六つ入っていたのよ。
察するに『今日子』と言う名前の女の子の持ち物なんでしょうけど、親戚中誰もその子に心当たりがないって言うのよ。もちろん、養子縁組の記録もなかったわ。まあ、昔の戸籍なんてかなりいい加減だから記録漏れもあったかも知れないけど、それにしたって誰も知らないの。で、結局はお寺に預けて供養してもらう事になったわ、今日子ちゃんが生きてるか死んでるかも判らないのに乱暴だという意見もあったけど、しないよりはしたほうが良いだろうって事で。
私?私は何も口出ししなかったわ。まだそんな歳じゃなかったし、子どもの頃に遊んだあの子が今日子ちゃんだって証明できなかったし。
ただ、桐箱に入っていたお手玉が、一緒に遊んだあの子の着物に良く似た赤い色だった事だけは今でも忘れられないわね。
それとね、偶然だとは思うけど私の祖母の名前、『明日香』っていうのよ。