カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

母からの手紙

2013-07-29 21:14:44 | 即興小説トレーニング
 母から手紙が来たので、私は取りあえず封も切らないまま状差しに突っ込んだ。
「随分溜まったなー」
 呑気に呟いてみる。
 そこからは、封を切られることのない封筒に入った、目を通されることのない便箋に書かれた手紙文から滲み出た怨念が、まるで蛇の蜷局か何かのように黒々と渦巻いている気がしたが、私には関係のないことだ。
 実の子であろうと、どうしても愛せない相手がいると言ったのはあの人だし、私もそれは正しいと思う。だから、今さら会いたいと言われても『何のために?』と訊ねることしかできない。ただ、手紙そのものを破棄すると私を育ててくれた叔母さんが哀しそうな顔をするので取ってあるだけだ。

 母に何があったのかを私は知らない、ひょっとしたら何もなかったのか、それすら知らない。
 ただ判っているのは、私が小さい頃の母は、まともに子どもを育てることが出来るような人じゃなかったと言うことだ。それだけは間違いない。

 そんなことを考えていると不意に電話のベルが鳴り響く。反射的に出ると相手は叔母さんで、気を確かにと前置きしてから自分の姉、つまり私の母が病院で亡くなったと教えてくれた。
『とにかく、すぐ迎えに行くから待っていなさい!』
 そんな叔母の言葉にも大して心が動かないまま、私は電話を受話器に置いた。

 私にとって母は既に『死んだ人』と同じくらい冷えて固まったイメージしかないが、今度は本当に死んでしまったのかとぼんやりと考え、そして猛烈に腹が立ってきた。そして、始めて母からの手紙を開封してみる気になった。未開封のまま状差しに突っ込まれ続けた手紙は、その後一切手を付けられることもなく到着順に並んでいる。
 鷲掴みにして叩き付けるように机に置いた手紙から最初に届いた一通目を取り、手持ちのカッターで開封して一体どのような弁明が書かれているのかと便箋を開く。すると。
 
 ごめんなさい。

 そこに書かれていたのは、それだけだった。
 次の手紙も、また次の手紙も、延々と『ごめんなさい』だけが綴られていた。
 所々に滲みが出来た震える字で何度も繰り返される同じ言葉は、しかし最後の手紙だけが違っていた。

 どうか、幸せになって下さい。

 母は、お世辞にも賢い人でも、優しい人でもなかった。不器用で短気だったせいか自分のことに手一杯で、子どもの面倒を見る余裕というものが一切なかった。
 それでも、それだから尚。

 私は恐らく母を一生許さない。でも、代わりに母が最期に遺してくれた言葉を決して忘れないでいよう。
  
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黄昏時の蝙蝠

2013-07-29 19:16:48 | 即興小説トレーニング
 自分がいい加減な人間だと言うことは自分自身が良く知っている。でも、それは言うなれば『好い加減』であり、言ってみれば『生活の知恵』なのだ。

例えば旅行中に雨が降って目的の店に行けそうになかったり、やっとの思いで辿り着いたら休みだったり貸し切りだったり、そう言うときはこう考える。
 これはもう、一度ならず何度でも此の地を訪れて最良の旅行を模索しろと言うお告げであると。ちなみに、お告げの主が神か悪魔かまでは考えないのがポイントだ。

 こんな風に考えると、大概の不運は人間万事塞翁が馬、未来への礎なのだと何となく悟ったような気分になれる。もちろん幸運の後に訪れるはずの不幸についてはスルーの方向で思考を展開させると更に幸福な気分になれるかも知れない。保証はしないが。

 どんな事態でも何とか『良かったこと』を無理矢理にでも探す。
 所謂パレアナシンドロームは極めてポジティブに行う現実逃避で、実はネガティブな逃避と同じくらい危険な思考らしいのだが、取りあえず自分が自分自身を幸せにしてやれる方法を他に知らないのだから仕方がない。

 だが、そんな自分でも『良かったこと』と変換できない記憶がある。
 例えば、父に茶碗をぶつけられた血まみれの足を能面のような表情で手当てする母の姿、殆ど炭と化した自宅を呆然と眺めやる祖母の姿。
 そして、布団で寝ていたらいきなり父にのし掛かられて泣き叫ぶ自分。

 薄ぼんやりとした黄昏の中で、今日もどす黒く染まった記憶の破片がひらひらと飛び交う。だが、自分はその蝙蝠どもをどうすることも出来ないのだ。  
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