カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

ヨナスとペートイック・その1

2015-01-01 21:40:59 | 犬使いの果実
「……そして、今は君の父さんが犬使いという訳か」
 ペートイックはそう言ってから革装丁の古い本を閉じて、脚立の上に座っているヨナスに手渡してきた。ヨナスは受け取った本を所定の位置に戻してから答える。
「まあ、そういうことだ」
 親父は俺が犬使いを継ぐまでは好きにしろと言ってくれたから、今はこうしてお前と学校で勉学に励んでいられる訳だがな。
 そう続けると、ペートイックはいつものように柔らかく微笑みながら言った。
「僕の義父も、君が犬使いの後継者でなかったら是非研究室に入って欲しかったと、よく言っているよ」 
「教授(せんせい)には、お前がいれば充分だと思うぞ」
 学校、というよりはこの国始まって以来の俊才と評判の友人に向かってヨナスは無愛想に言い放つ。そもそも学校図書館地下にある厳しい入室規制が敷かれた書庫にヨナスが入れるのは、教授とペートイックの研究を手伝うという理由で申請した許可が降りたからだった。
「そうでもないさ。君がいてくれて、僕も義父も随分と助けられている」
 何より、君は僕の友達になってくれた。
 などと笑顔のまま言い放つペートイックに、ヨナスは書架から抜いて抱えていた本を危うく取り落としそうになる。普段から物柔らかな雰囲気を纏いつつも他人を殆ど己の身近に近づけさせない友人は、何故かヨナスに対してだけは親しげな態度を崩さず、時折驚くほど無防備な好意を含んだ言葉で彼を動揺させるのだ。
 ヨナスはしばしの沈黙の後、書架から視線を外さぬまま呟いた。
「今度の休暇には遊びに来い。お前が来るとグレイプニルも喜ぶ」
 犬使いの屋敷は基本的に部外者を入れてはいけない規則になっているが、国家から特別承認を得た相手、例えば教授やその息子であるペートイックなら申請さえ行えば来訪や宿泊も許可されるのだ。特にペートイックは小さい頃から屋敷に出入りしていて、犬たちのリーダーであるグレイプニルとも仲が良かった。

*   *   *

 実際、後から考えてみるとあれは出来過ぎた邂逅だったと思う。
 子犬たちの『選別』が終わり、十歳になったヨナスがいずれは自分が使うことになる犬たちの世話を任せられて間もない頃。
 今回選別された中でもひときわ賢い、いずれはグレイプニルを名乗ることが決まっている子犬が不意に身を捩ってヨナスの手から離れ、いつのまにか金網の向こう側からヨナスや子犬たちを見ていた人影に向かって駆け寄って行った。
 人影はヨナスと大して歳の違わないように見える少年で、子犬が自分に向かって金網に体当たりせんばかりの勢いで走ってきても全く怖がらず、笑顔のままでヨナスに向かって言った。
「可愛いね、君の犬?」
「まだオレの犬じゃない、父さんの犬だ」
「触っても大丈夫かな」
 普段なら即座に断り、ここは関係者以外立ち入り禁止だと追い出すところだったが、自分や父親以外には決して心を開かないはずの犬たち全てが金網の側に集まって来て吼えもせずに少年を見つめている光景があまりに不思議で、ヨナスはつい金網の戸を開いてしまった。
 躊躇いなく入ってきた少年に、子犬たちは明らかな好奇心と少しばかりの戸惑いを示しながら少年に近付いていき、次々と華奢な指が喉の辺りから頭を撫でるに任せていく。
 こいつは一体、何者だ?
 ヨナスが遅ればせながらそんな疑問を抱いた直後、屋敷の方から犬の訓練場に近付いてきた人影が声を掛けてくる。
「おお、早速仲良くなったようだな」
「父さん?」
 傍らに眼鏡をかけた細身の男を伴い、不意に現れた父親の姿に驚くヨナス。だが、彼の父親は息子の動揺を全く気に掛けぬように続ける。
「その子はペートイックと言ってな、父さんの友達の養い子だ。これから良く遊びに来るからそのつもりでな」
 いつものように有無を言わせぬ父親の言葉に、ヨナスはただ「はい」と答えて頷く。それはもう「決まったこと」であり、ヨナスが異議を唱えるべき事ではないのだ。

 そしてその日から、ヨナスとペートイックは友達になった。

*   *   *

「……だな、そろそろ君の犬たちにも会いたいと思っていたんだ」
 回想の淵に沈み、ペートイックの言葉を半ば以上聞き流していたヨナスは不意に我に返り、内心焦りながらも平静を装って言葉を返す。
「まだ俺の犬じゃない、父さんの犬だ」
「変わらないな」
 事も無げに言い放った友人に、ヨナスは不機嫌な犬がしばしばそうするように鼻に皺を寄せてみせながら何事かを言いかける。その時。
「ヨナス……ヨナス・オルリックはいるか!」
 普段は大声など上げない司書の先生が書庫の入り口の扉を勢いよく開け放つなり、狼狽を隠せないまま叫ぶ。どう考えても異常事態に、ヨナスは無言のまま持っていた本を書架に戻して脚立から降りた。
「何かあったようだな、また連絡する」
 そして、普段と殆ど変わらぬ歩調と態度で先生の前に現れたヨナスに告げられたのは、父の突然の事故死だった。葬儀と相続に関する煩雑な諸手続、何より犬たちの世話に追われ、結果としてヨナスは学校を辞めて家を継ぎ、犬使いとなった。
 ペートイックは葬儀に参列してくれたが、その後はお互い自身の抱えた課題や業務で自由に会うこともままならなくなり、ときおり書簡を交わす程度の仲となってしまった。
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