こころの染織

ひと針ひと針心を繕います。
第8章・・月あかりの散歩道・・・私とルナと一緒に月に想いを馳せて散歩しませんか~♪

10年目の3.11・・・

2021-03-11 13:41:53 | 東日本大震災

アメリカン・ブルーです。





先週、およそ2年半ほどかかっていた発掘調査が終わったようで、
整地に取り掛かっていた重機たちが撤去され、
広い空き地が残りました。


東日本大震災から今日で10年になります。
こちらは震災で家を失った方々が身を寄せた仮設住宅が並んでいた場所でした。
周辺に高層の復興集宅が3棟出来て、
仮設住宅が撤去され、
その後、発掘調査が行われていました。


昨日の新聞折り込み、
跡地に建設が決まっていたヤマダデンキですが、
近隣住民に説明会の開催を知らせてきました。


10年の月日・・・
その土の部分はようやく商業施設に変わるようです。



  



3月11日は毎年のように当時のブログを読み返しながら、
あの日を振り返って過ごしています。


その予兆は前々日の3月9日から始まっていました。
夫が福島へ転勤になったばかりでしたが、
たまたま会議で仙台に帰っていた日にその揺れは激しくやって来ました。


3月10日に投稿したブログのコメント欄、
14時46分以降、私を心配してくださる方々の「大丈夫ですか?」が続いています。
ブログのコメントには必ずお返事をして居ますが、
その日の分は、未だにお返しをせず・・・
10年が流れています。
先日の地震の際も、
当時からの大阪や京都のブロ友さん、
何も変わらず、10年心配を続けてくださいました。
ありがとうございます。


東日本大震災は、
東日本だけではなく、日本中が悲しみを背負ったものだったと思っています。
ブログ内でも、海の画像を使わない、
美味しいものを投稿しない、
楽しんでいる話を書かない・・・
そうして、私達に気遣いをしてくださった「自粛」でした。
10年を振り返れば、個人的にはそれはそれは最も変化のあった10年でした。
でも、変わらないのは、
忘れられない3.11への想いです。


世界的なパンデミック・・・
コロナ禍にあって、
何が自由で不自由か、恐怖は見えるものか突然来るものか・・・
比べる視点は違いますが、
「命」の大切さは変わらないものです。


間もなくその時間がやって来ます。





コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝の虹色 | トップ | 大地が春になっていました~♪... »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (akaimi)
2021-03-11 18:15:35
アメブルさん こんばんは(╹◡╹)

今日一日暖かく照らしてくれた
綺麗な夕日が沈んで行きます。
震災に見舞われた地方は
今日一日晴れて穏やかな天候だった
のではないでしょうか。
多くの人がいつも以上に
つらい記憶と向き合い
様々な思いが駆け巡るこの日
あの日の暗い空 寒さを思い出すと
それだけでも良かったと思います。
そっと空を向いて手を合わせました。

アメブルさんの10年前のブログ
幾度目かになりますが
私も遡って訪問させて頂きました。
アメブルさんとブロ友の皆さまの
コメント欄での交流を読んでいると
今も涙が出てきます。
支え合って励まし合って…
こんなに温かく力強いメッセージが
あふれている場所がある事に
感動した記憶があります。
その後勇気を出してこちらにお邪魔
するまで数年かかってしまうのですが。


みんな途方もない喪失感と不安の中
無力感に押し潰されそうになりながら
それでも必死に踏ん張っていたあの頃。
忘れることはないでしょう。

10年前のルナちゃん
若々しい(*´꒳`*)
アメブルさんの
ずっとそばにいて
ずっと元気でいてね(*´︶`*)♡
返信する
Unknown (oldオードリー)
2021-03-11 22:30:41
2時46分
我が町はサイレンが鳴り響いていました、


10年前は、会社にいました
ニュース速報に
動悸が止まらなかったです。
あぁ、大変なことになった、
何もできない事に焦るだけでした。
ほんと、必需品を県庁に届けても、預かることを拒否されたことを思い出します。
拒否といういい方は、違いますね、
物資が集まっても届ける手段がなくて
かえって混乱を招く状態だったと思います。
もどかしい状況ですよね。
東北のために何かをという思いは、日本国中だったと思います。
暫く荷物はコンポしたまま、家においてありました。
結局は、届けることが出来ずじまいでした。
ラジオなんかも入れた記憶があります。
後からある運送会社で、ワンコの餌を運んでくれるという事を聞き、持って行きました。
仙台どまりだったと思います。
もう、出来る事は、募金活動しかなかったですね。
平凡な主婦は、焦る思いが空回りするだけだったです。どうにもこうにも出来なかった事が、悔しいです。
何をしたら良かったんでしょう・・・。
今でも自分に問いかけます。
返信する
akaimiさんへ (アメリカン・ブルー)
2021-03-11 23:50:48
akaimiさん こんばんは~(*^^*)

今月に入ってからも何度か小さく揺れを感じる日があって、
当時も1日何度も余震が繰り返していたことが思い出されました。
ルナはその度に私の膝に上がって来たものですが、
最近はお互い顔を見合わせて、
大丈夫‼と動かない日々となりました。
10年、小さな犬にとっても、
あの日の思いは消えず、癒えず、忘れずですね。
震災は未曾有の体験を残しましたが、
一方では、満天の星空と寄り添ってくれる多くの方々の心を見せてくれました。
感謝の気持ちを大事にしたいと思う日にもなりました。
akaimiさんとの出会いも震災がご縁で、
その語らいも年月を重ね、
これからもずっと傍に共に‼
そう思わずにはいられません。
私を見つけてくれてありがとう。
返信する
oldオードリーさんへ (アメリカン・ブルー)
2021-03-12 00:15:28
オードリーさん こんばんは~(*^^*)

今年も追悼のサイレンが鳴ったのですね。
昨年、その話に驚きました。
遠くのところから、今も皆さんが心を寄せてくださっていることに感謝です。
当時は、トラックが全く動かず、
福島以北へは立ち入れなかったと思います。
また、九州からは宅配便は航空便でしたので、
仙台空港が壊滅的だったので、
空輸も絶たれていたかと思います。
私の住んでいたところは、津波被害の3キロほど内陸側でした。
そのため、津波エリアマップにかかって居たらしく、
ヤマト便もここは配達外と言われて、
皆さん、大丈夫だからと談判して送ったと言っていました。
震災から1年ほど、携帯、懐中電灯、充電器の3つをポケットにいれて過ごしていました。
避難所はペット同伴では過ごせなかったので、
ルナと車で一緒に寝ました。良い子でした。
何をしたら良かったのかと思ってくださることだけで充分だと思います。
募金していただいてありがとうございます。
7年が過ぎた頃からようやく復興が見えてきて、
町の姿は変わりましたが、
一番は、東北へ旅してくださり、この様子を見てもらえたら‼ そう思います。
それにつけてもコロナの収束が必須です。
返信する
おはようございます。 (みちみち)
2021-03-12 08:58:01
あら~~、土の部分は商業施設に代わるって事はブルー家から遠くの山並みとか新幹線が見えなくなるのでしょうか~?

昨日は一日、静かにテレビを観て過ごしあの時間には黙祷を捧げました。
あの日は雪が降り寒かったですよね。
そんな時に大きな揺れや津波が襲ってきて・・・
10年が過ぎても、過ぎたけど?映像を見ると昨日の様にも思えて、何とも言えず胸が苦しみ悲しい気持ちでした。
私は、これまでの10年はとっても重みのある10年に思えてます。
そして、被害に遭われた皆様は、本当にとっても多くの苦難だったかと思われます。
同じ事が起きては欲しくないですが、あの日を教訓に、また防災対策を考えなければいけないかと思った昨日でした。
オードリーさんの所で今年も追悼のサイレンが鳴ったそうで有難いですね。
私の住んでる所では、追悼のサイレンが鳴る事はありませんでした、せめて10年目の今年は鳴らして欲しかったのに、残念に思えました。
やはり何事も温度差が感じられますね。
今でも、福島県から避難されてる方が多いのですけどね。
コロナ過も早く終息してみんなが安心して暮せる世の中になって欲しいですね。
それには、ひとり、ひとり、の地道な努力が必要かと思われますので、大変だけど辛抱、辛抱かしらねっ!
返信する
Unknown (ぷぅまま)
2021-03-12 12:52:52
ブルーさん こんにちは、
昨日はなぜだか一日を長く感じました。
沢山の想いが自分の中で行き交ったからでしょうか。

コロナ禍なこともあり、メモリアル行事も粛々と行われている感があって でもそれがかえって厳かに、静かにこの日
を過ごせてわたしはよかったように思います。
ブルーさんが教えてくださった「希望の光」
きっと天に届いたことでしょうね。

そうだ、
防災グッズが不完全だったのでいろいろ足しました。
ルナ家の真似をしてお水を入れる袋を買いましたよ!
返信する
みちみちさんへ (アメリカン・ブルー)
2021-03-12 17:15:41
みちみちさん こんにちは~(*^^*)

空き地に建物、高層ビルではないと思うので、
ギリギリ新幹線🚅は見えるほどの高さかと期待していますが~😅
静な場所ですが、土日は車が増えそうですね。
10年で環境は変わって行きますね。
先日の地震の翌日、
向かい側にあるホームセンターはすごい車でした。
地震で防災グッズの見直しやら、
壊れたものの補強、補充、色々あったのかもしれません。
10年点検も大事ですよね。
コロナの対策も合わせて準備することも考えないとですね。
昨日は1日想いがさまよって、
重い1日を過ごしました。
また今日からですね。
返信する
ぷぅままさんへ (アメリカン・ブルー)
2021-03-12 17:25:43
ぷぅまま~ こんにちは~(*^^*)

10年と言う時間を振り返ると、
それはもう、記憶の整理だけでも凄く大変でしたね。
あの日だけの事ではなく、
そこからの繋がりもあって、
今があるので一区切りにはならないものばかりです。
希望の光
まっすぐ天に伸びるラインが仙台市のあらゆる所から見えたと思うと、
コロナ禍にもふさわしいものだったのかと思いました。
保存袋、買いましたか?
昨日、お水を分けた友人に10年前のお礼ラインを頂きました。
あの日、その次の日、みんなの心に様々な事があったのだと、
改めて深さを感じます。
返信する
こんにちは* (ラパン)
2021-03-13 14:31:15
ブルーさん、こんにちは*
体調が良くなかったとの事、その後体調は大丈夫ですか?
10年が経ちますが、ついこの間のような気がしています。
あの津波の映像が流れる度に心がギュ〜ッとなってしまって苦しくなります。
八戸にも少なからず被害がありました。
亡くなったのは妹のお友達のご主人だったそうです。
どんなに辛かっただろうと思います。
私の実家は高台なので妹も大丈夫でしたが祖母の家は海の側でしたのでやはり浸水したようです。

あの時の私はといえば、大きな地震の経験のない娘がパニックになって騒いでいたのをひたすら落ち着かせようと必死でした💦
何よりたまたま子供達と一緒にいた事に本当に感謝でした。
あの日主人は都内から歩き続け次の日帰ってきました。
ブルーさんもさぞ怖く辛い思いをされたことと思います。
でもその時の温かい繋がりが今も続いているのは素晴らしいことですね。
返信する
ラパンさんへ (アメリカン・ブルー)
2021-03-13 19:08:22
ラパンさん    こんばんは~(^.^)

ようやく体調は回復できました。
ご心配おかけしてすみません。
本格的春になるまでが大変です。
10年目の3月11日
想うところが多い一日となりました。
振り返る映像の多くに胸がしめつけられました。
一方では、そこからの人との繋がりや経験も今を作っていただいたと思っています。
感謝の日でもあります。
先日、三陸道が八戸迄全線繋がったと言うニュースもあり、
その沿線もひとつの復興を遂げたのかと思います。
それぞれのあの日あの時は消えることなく、
失うこともない記憶の日として続きますね。
返信する

コメントを投稿

東日本大震災」カテゴリの最新記事