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10/8 晩ごはん と 江戸の話③



ピーマンの肉詰め
ハーブオムレツ
おかひじきとカニカマのナムル


じゃがいもと玉葱のお味噌汁

今日はあさりの炊き込みご飯で。

ごちそうさまでした。



「江戸の屋台」

寿司、天ぷらといえば今ではご馳走の類に入ってますが、もとは屋台から発生したもので、婦女子はもちろん硬派の殿方なども口にせぬゲスな食べ物でした。

寿司はおおむね「こはだ、鯛」などの押し寿司で四角な箱を幾重にも重ねたものを肩にして売っていました。
握り寿司は、文政の初め、両国の華屋与兵衛という人が発明したといわれています。はじめ、おかもちに入れて売り歩いたのが、あまりに評判が良いので屋台店を出したといいます。
握りも、今のように生のネタを酢飯の上にのせるのではなく、ネタに味が付けてあり握ったそばから口に放り込めるようなものでした。
天ぷらも立ち食い物でした。
江戸の初期には油を使った色々な料理を「天ぷら」と呼んでおり、その形態、調理法も、種々ありました。中期以降、寛政頃になると「魚の衣揚げ」を「天ぷら」と呼ぶようになりました。

江戸市中で一番ポピュラーな夜食は
「茶飯」
茶飯にあんかけ豆腐をかけて出していた。

床見世や軒下、橋のたもと辺りでは
「天ぷら」や「蕎麦」

夏場のヒット商品は
「水売り」
ひゃっこいひゃっこいと呼び歩き
一杯四文ほどで、砂糖で味付けした江戸の
「清涼飲料」

「かりん糖」は
深川名物カリントウーと呼び歩く
昼夜構わずでかい提灯を持っているのが目印(当初は花梨を細く切り黒砂糖で煮た菓子だった)

このような 屋台 というのは、持ち歩ける設備のことで、人ひとりが肩に担える程度のものですから、いたって簡素な作りです。
車付きの屋台は明治に入ってからできました。

江戸も東京も、夜が長く楽しい都市であったことは、変わりがないようです。

    杉浦日向子「一日江戸人」より

時代劇でよく見る夜鳴きそば
おいしそうに食べてますよねー



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