道、一年の回顧
東山魁夷の「道」は、氏の多くの作品のなかでも、比較的によく知られたポピュラーなものである。一年の終末を迎えて過去を回顧する時を飾るにふさわしい絵画かも知れない。
画面の中央に向かってまっすぐに「道」が延びている。草色の早春に萌えるような草原の丘陵の中を、骨太い一本の土色の道が遥か遠くにまで延びている。そうして画面に単純な構図の奥行きに等辺三角形をかたちづくる中に、この作品を前に鑑賞する者に様々な感慨を引き起こす。この道を前に人はいったいどのような感想を持つだろうか。
この一筋の道を前にして私は戸惑う。いったいこの道は、私がこれから辿り行く道なのか。それとも、私が来し方を振り返って眺め回顧すべき道なのか。この道はいったい上り道なのか、それとも下り道なのか。
今年も一年が終わる。それが時間と空間の一つの道程であったことは確かだ。一年の終末とは、やがて私たちが生の終末という本番を迎えるために、毎年に繰り返す予行演習のようなものである。ただ、この道の終着地は画面の中にはその姿を現すことはない。あるいは、それは生の発端として、すでに私たちの記憶の中にはすっかり消えてしまった母の胎内にまで辿りゆくものかもしれない。
いずれにせよ、私たちに生があるかぎり、過去にも未来にも一本の道が横たわっていることは確かだ。それは終末に向かってただ延びている。時は迫っている。何事にも初めがあり終りがある。そして誰もが明日という日の、来年のあることを信じて生きている。しかし誰にでも終りの日は迫り来る。年末とは、世界と生の終末の一つの予兆にすぎない。ただ、それから眼をそらして真剣に見つめようとしないだけのことだ。「見よ、私は速やかに来る」
愚痴を言っても仕方がないので、一年の後悔は語らないことにしよう。ただ、これ以上の愚行を繰り返すのことのないように願うばかりである。好きなことを楽しく行えればいい。はじめて農事に関わることのできたことが本年になって唯一特筆できることだろうか。今日も時間を見つけて、生まれて初めての麦踏みを体験してきた。桃と柿の木は何とか年内に植えた。予定としてはただイチジクを植えきることができなかった。これらのことだけでも、その限りなき恩恵に感謝すべきかも知れない。
このブログも有形無形に恩恵を受けた多くの人々に感謝して今年の一年を終わりにします。来たる年もまた恵みと平安に満ちた年でありますように。皆さんも良いお年をお迎えください。
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