伯父の法事に出掛けた。
母の兄にあたる方。
以前から記しているが母は寺の出なので、
その伯父である方は住職であった方である。
身内のお寺の事をこう言うのも何だが
綺麗に整えられた立派なお寺なのだ。
何とも芸術的な松の姿が寺の顔となり、
伺う度にホッとするその雰囲気が好きな場所。
子供の頃は母に連れられ幾日も宿泊し、
その伯父から経を教わった事が思い出される。
お陰で今でもほとんど読経する事が出来る。
(勿論暗譜ならぬ暗唱は出来ないけれども)
そんな伯父の七回忌で有ったので、
私も本堂でしっかり音読(勿論読んで良い所だけね)。
住職の法事だけに関係のお寺さんも沢山集まり、
言うなれば合同演奏会の様相での読経でありました。
ところで法事と言えば「ご馳走」の流れは
コロナで途切れてしまったと感が否めないが、
昨今はその流れももとに戻ってきた感じがする。
現にその日の法事でも、
故人偲んで皆で語らい食べるのは故人の為とは、
何となく生きている人の勝手な解釈の様な気もするが、
住職らが集って食べている訳だから本当だと信じ(^^)/
私も美味しく頂戴いたしましたよ。
集われた住職も年々代替わりしている事に、
つくづく私も歳を重ねたものだと痛感した日でもあった。
合掌。
母の兄にあたる方。
以前から記しているが母は寺の出なので、
その伯父である方は住職であった方である。
身内のお寺の事をこう言うのも何だが
綺麗に整えられた立派なお寺なのだ。
何とも芸術的な松の姿が寺の顔となり、
伺う度にホッとするその雰囲気が好きな場所。
子供の頃は母に連れられ幾日も宿泊し、
その伯父から経を教わった事が思い出される。
お陰で今でもほとんど読経する事が出来る。
(勿論暗譜ならぬ暗唱は出来ないけれども)
そんな伯父の七回忌で有ったので、
私も本堂でしっかり音読(勿論読んで良い所だけね)。
住職の法事だけに関係のお寺さんも沢山集まり、
言うなれば合同演奏会の様相での読経でありました。
ところで法事と言えば「ご馳走」の流れは
コロナで途切れてしまったと感が否めないが、
昨今はその流れももとに戻ってきた感じがする。
現にその日の法事でも、
故人偲んで皆で語らい食べるのは故人の為とは、
何となく生きている人の勝手な解釈の様な気もするが、
住職らが集って食べている訳だから本当だと信じ(^^)/
私も美味しく頂戴いたしましたよ。
集われた住職も年々代替わりしている事に、
つくづく私も歳を重ねたものだと痛感した日でもあった。
合掌。