青色日誌

還暦を超え、子育てもひと段落。さて!

原稿

2009年06月02日 | ジャズだ。ビッグバンドだ
レアサウンズジャズオーケストラ
初代リーダー西川氏の功績は
14日開催される予定の、
ビーハッピージャズフェスティバルでも輝かしい。

当日のパンフレットに、我々が5月2日に開催した
追悼ライブのパンフレットに書いたような、
彼を偲んだ紹介文を書いてもらいたいとの依頼を受け
パンフレット原稿記事を書かさせて頂きました。
(私のような駄文でお恥ずかしい限りだが・・)

ライブの時の原稿も、読んでいただけてない人の為
何れここでもご紹介させていただきたいが、
とりあえず今日は、ビーハッピーの功績についても
皆様方に見て頂きたくここにその原稿を先んじて公表し、
もしお時間があれば、ビーハッピーの会場にも
足をお運びいただけたら幸いと思うのであります。

そして、先日来壊れてしまっていた
ビーハッピーのホームページが蘇っていました!

ここ!をクリックしてください。
おそらく、幹事バンドの方々が
ご苦労をされて立ち上げてくれたのだと思います。
心から感謝を申し上げます。

そして、あと約10日後に迫ったこのジャズフェスティバルを
みんなで是非盛り上げていきたいと思っています。
参加いただく皆様方、よろしくお願いいたします!




追悼 西川政夫

名古屋市立工業高校でビッグバンドジャズを知った西川は、
高校卒業後も強く音楽を続けたく、社会人になってほどなく
1974年19歳の若さでレア・サウンズ・ジャズ・オーケストラを創設。
同期や後輩のみならず、先輩なども巻き込みながらリーダーを張り、
バンド活動をする姿に、彼の音楽に対する情熱は人一倍強かったと、
当時を知る者すべてが口を揃える。

彼はべーシストとして、正に縁の下の力持ちの存在にて
活躍の場を広げる。当時名古屋で開催をされていた
ジャズ・グランプリの出場を始め、UCバークレーの学生との共演、
自主コンサートの開催、そして、本日もゲストとして
お招きをしている伊波氏が主宰する、川崎市で開催されている
ビッグバンドシンポジウムへの参画など、
正に破竹の勢いでバンド活動を続けていた。

レア・サウンズを創設して約10年、彼は自らのバンド
活動だけでは物足りず、愛知社会人ビッグバンド連盟を発足する。
正にこのビー・ハッピー・ジャズ・フェスティバルが生まれた瞬間、
1983年の事である。改めて申し上げるまでもなく、
このビー・ハッピー・ジャズ・フェスティバルの目的は、
社会人ビッグバンドへの合同発表の場の提供による相互技術向上と、
正に「同志」としての懇話の機会創設。
そして何より学生の方々への発表の場の提供による、世代を超えた
楽しさの共感と、併せて広く音楽の普及を目指す物であり、
当時二十代の若者がこれを実行したという「功績」に、
本日ステージに上る全ての人たちがこの事に対し、
謝意を感じてくださったとすれば、こんなに有り難い事はない。

しかし、当初この思いを実現する事は容易い話ではなかった。
出演料の問題や、出演の時間の問題、肝心なる集客の問題など、
今思うとどうしたら上手くこのイベントが運営出来るのであろうかと、
西川は我々レア・サウンズのメンバーに熱く問い掛けていた事を
思い出す。常にビー・ハッピー・ジャズ・フェスティバルの成功を
願っていた彼の姿の表れでもあった。

この頃、そんな彼の気持ちを表す行動があった。
レア・サウンズでの担当楽器であったベースを他のメンバーに預け、
ノー・プレーヤーとなった事である。
残念ながら何故そうしたのかという真意を知る者は少ないが、
少なくともこのビー・ハッピー・ジャズ・フェスティバルに対して
更に多くのエネルギーを注ぎたかったというのが
一つの大きな理由であった事は確か。
その証拠に、この頃昨年惜しくもこの世を去られた
ビッグバンド界の重鎮であられた高橋達也氏の招聘を実現し、
バンドクリニックなどを企画。
単なる発表の場としてのイベントとして終わらせなかった事が、
このビー・ハッピーを長く継続出来ている
要因であると感じるのは私だけではないと思われる。


故高橋達也氏のコメントを隣で聞く故西川政夫連盟代表

ビー・ハッピー・ジャズ・フェスティバルも毎年恒例行事と化し、
全てが順調に進んでいるかに思えた2001年、
彼は白血病に倒れる。現代医学を信じ、
早期回復をただただ祈ったのだが、一進一退とは
正にこの事であろうか、闘病生活は7年を超えるに至った。
そんな最中の昨年、高橋達也氏の逝去を心から悲しみ、
ビー・ハッピーではその感謝の気持ちを追悼演奏で表そうと、
自らメールで高橋氏とのつながりの深い内堀氏に連絡を取り
お願いをしたというのは、彼が日々残したブログに未だ残る記事。
いかにこのイベントを最後まで愛していたかという証でもある。

しかし誠に無念ながら昨年暮れ、正に高橋氏を追うようにして
西川は53歳という若さでこの世を去った。私たちにしてみると、
まさか今年も追悼の演奏をしなくてはならないとは
思いも寄らない事であったが、本日は西川への哀悼の思いを
じっくりと込め演奏をさせていただきたいと思います。

最後になりますが、彼が病に伏してもこのイベントを力強く
推進くださった、アイシン・オール・スターズのK氏、
スインギー・ガイズ・ジャズ・オーケストラのM氏をはじめ、
参加バンド全ての皆様に感謝をしたいと、
晩年病床にて彼が申していた事をここにお伝えし、
本日のビー・ハッピー・ジャズ・フェスティバルが
盛況に開催出来ます事を心から祈念申し上げる次第です。
そしてご来場の皆様、本日のご来場誠にありがとうございました。
この様な彼の熱いエネルギーから始まったイベントである
ビー・ハッピー・ジャズ・フェスティバルを、
これからも末永く愛していただけたらば、最高に幸せであります。

レア・サウンズ・ジャズ・オーケストラ 代表 あおやき

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