青色日誌

還暦を超え、子育てもひと段落。さて!

一人住まい

2007年12月26日 | 思うこといろいろ
昨日行った大阪。
ちょっと空白の時間ができたので
立ち寄ったのが下の写真のアパート。
ここ、私がやがて四半世紀前
住んでいたアパート。私が言うのもなんだが
当時すでに築30年以上を軽く経過していたので、
50年以上の歳月が経つぼろアパート。



三階の真ん中の部屋。まさに写真中央の部屋に、
私の青春時代が詰まっていたのであった。
このぼろアパート、風呂が当然のようにない。
当時のアパートの類は銭湯が主流で、
写真左手に100m程に一軒「吉野湯」と言うのがあったが、
今はコンビニに変わり果ててしまっていた。

大きなお世話だが、今ここにお住まいの方は
お風呂どうしているのであろうか。。。

ここでの思いでは数知れず。
当時、グローバル・ジャズオーケストラさんに
お世話になっていた時代であった訳なのだが、
確か火曜日と土曜日、レアの二倍の週二回の練習。
当然ながら彼らは上手くなる訳だと今になって思う。

練習後、毎々一杯飲み屋でまさに一杯引っ掛け帰宅。
現在のレアサウンズ同様、23時頃まで練習するので
毎回0時30分頃発車する終電車で帰宅していた。

風呂屋のチェックインのラストタイムが
25時だったか。いつも酒呑んでは
風呂屋に駆け込んでいたような気がする。
まさに青春真っ只中であった。

先にコンビニと書いたが、こんな思い出がある。
当時コンビにはまだまだ数少なく、
我が住むこの地域には一軒たりともなかった。
それだけでも歴史的である。

当時、練習が終わり、
一杯引っ掛けて帰ってきた物の
とても呑み足らず、とはいえ、飲み屋に行くお金も
持ちあわせておらず。ならば諦めればいいものを
諦めきれずとった手段がなんと、
駅の近くにあった「養老の滝」に(この店は当時からあったね)
厨房のから入って行き、冷えたビールを
一本売ってくれと頼んだので事なのである!

これが案外恥ずかしい行動というわけではなく、
コンビ二もATMも無い世の中、
持ち金僅かで酒が呑みたければ
こうするしかなかったという時代だったようだ。

しかし、風呂付きのアパートが当然となり、
コンビ二・ATMで便利が当たり前になった分、
こういった居酒屋の兄ちゃんとの会話や、
銭湯の親父との会話がなくなってしまったのは
少し寂しいのかもしれない。
不便なりともあれはあれで懐かしい良い時代だった。
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2 コメント

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もらったおにぎりの味に泣いた夜もありました。 (おくろっく)
2007-12-29 02:12:19
20代後半、自分も数年ですが独居しました。
電話もない生活。
最初は家具といえばカラーボックスだけ!
厭世的になってたころだったものですから
なかば隠遁生活のようなものでした。

そんなときの、まわりのひととの会話や
ちょっとした心遣い、確かに、しみますよね。

そんなことを、ここで思い出しました。
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おくろっくさま (あおやき)
2007-12-30 18:54:01
そうそう、電話がなかったですね。
確か7万円ほどかかったはず。
そんなお金、とても出せなかったですよ。

そういう意味でも、
時がゆっくり流れていたのかも。。。

安い家具でも、一つずつ
増えていくのが楽しみでした。
ほんと、いい時代でしたね。
返信する