秋の桜と書いてコスモス。
正に桜同様親しみの深い花の1つですね。
我が街の「名所」も満開の様ですが、
娘の家を建てている至近の田んぼも、
ご覧の様に満開の秋桜が咲く。
このコスモス、
私には大変思い出深い出来事が有る。
それは私33歳の時。
今から既に27年も前の話になるが、
コスモスをバックに写した娘の写真が、
中日新聞に掲載されたという思い出だ。
そんな話をしていたら、
義母がしっかりその新聞を取っていて下さり、
つい懐かしくスマホに保存。
これ ↓
未だ守山区に住んでいた時、
家内が応募してくれた物になるのだが、
思わぬ賞を頂いたのは本当に嬉しい話でした。
ところでこの写真、
当時の私のお客様からある事を教わり、
わざわざこんな写真を撮りに
ひるがの高原に出掛けた、という経緯。
それは、
.....少し長くなるかな。
当時営業マンとして最前線で働ていた私。
忙しい中でも「雑談」も営業の大切な要件と、
客先では座り込んで雑談する事も多々あった。
図々しい私はその客先に、
自分のコーヒーカップまで置いておくほど、
その部署は私の憩いの場とも化していた。
ちなみにそこは役所^^
その部署だけでざっと50人はいらっしゃったか、
誰も私がコーヒー飲む事をとがめなかったのは、
そういう事が許される時代背景とお客様の温かさ、
そして自らが一生懸命営業活動をして培った
一つの営業努力の表れであると自負していた。
(完全に自慢話で失礼)
そこにいらっしゃった私より十程年長のその方が、
その日は私の話し相手になって下さっていた。
ズバリその話題は「写真」。
私も撮影技術などは全くないにしても、
シャッタースピードと絞りの相関関係位は承知。
上 ↑ の写真の子供を写すために当時としては
高価なミノルタ製の一眼レフを持っていた。
ただ、その人の写真技術は私のそれとはかけ離れ、
正にプロ級の腕前と言うのは以前から承知していて、
従いその日も写真の話題となったと記憶している。
彼の被写体は主として「鳥」。
北海道まで赴きタンチョウ鶴を幾度も撮影に行く、
その凝り様は私の音楽以上の熱心さだった。
雑誌に投稿し掲載されたその美しい写真を指し、
この一瞬の為にどれだけ苦労したものかとを語る
生き生きとした話は実に興味深かった。
ところで、あくまで御本人談として記載するが、
この方お子様に恵まれなかったとおっしゃった。
本当はレンズを自の子供に向けたかった。と。
又、もともと子供好きいらっしゃる様で、
知人の子供さんなどにレンズを向ける物の、
決して満足できる写真が撮れなかったのだ。とも。
それはズバリ、
親に向ける笑顔にかなう物は無い。
いくら頑張って写しても、
親のカメラに向かう子供の笑顔にはかなわない。
という事を切々と語られたのだ。
そして、
だからあおやき君!
子供さんがいるのならば沢山写真を撮りなさい!
親に向ける眼差しの輝きを感じなさい。
と言う話に展開していったのです。
その話を聞いた直ぐ後だったと思うのだが、
写真を撮りに旅行しようと行ったのが上の写真の
ひるがの高原のコスモス畑。
このお客さんとの雑談のお陰で、
私にはこんな思い出深い写真が撮れました。
まだまだ小さいお子さんをお持ちの人が、
もしこのブログをご覧になっていらっしゃったら、
そんな気持ちでカメラをお子さんに向けてみて下さい。
きっと貴方だけにしか微笑まない輝いた眼差しを
投げ掛けてくれるに違いないと思いますよ!
そして最後に、
娘が自らの子供に向けたコスコス畑バックの写真。
ひと世代が過ぎて行きました。
最後までお読み頂き有難うございました。
正に桜同様親しみの深い花の1つですね。
我が街の「名所」も満開の様ですが、
娘の家を建てている至近の田んぼも、
ご覧の様に満開の秋桜が咲く。
このコスモス、
私には大変思い出深い出来事が有る。
それは私33歳の時。
今から既に27年も前の話になるが、
コスモスをバックに写した娘の写真が、
中日新聞に掲載されたという思い出だ。
そんな話をしていたら、
義母がしっかりその新聞を取っていて下さり、
つい懐かしくスマホに保存。
これ ↓
未だ守山区に住んでいた時、
家内が応募してくれた物になるのだが、
思わぬ賞を頂いたのは本当に嬉しい話でした。
ところでこの写真、
当時の私のお客様からある事を教わり、
わざわざこんな写真を撮りに
ひるがの高原に出掛けた、という経緯。
それは、
.....少し長くなるかな。
当時営業マンとして最前線で働ていた私。
忙しい中でも「雑談」も営業の大切な要件と、
客先では座り込んで雑談する事も多々あった。
図々しい私はその客先に、
自分のコーヒーカップまで置いておくほど、
その部署は私の憩いの場とも化していた。
ちなみにそこは役所^^
その部署だけでざっと50人はいらっしゃったか、
誰も私がコーヒー飲む事をとがめなかったのは、
そういう事が許される時代背景とお客様の温かさ、
そして自らが一生懸命営業活動をして培った
一つの営業努力の表れであると自負していた。
(完全に自慢話で失礼)
そこにいらっしゃった私より十程年長のその方が、
その日は私の話し相手になって下さっていた。
ズバリその話題は「写真」。
私も撮影技術などは全くないにしても、
シャッタースピードと絞りの相関関係位は承知。
上 ↑ の写真の子供を写すために当時としては
高価なミノルタ製の一眼レフを持っていた。
ただ、その人の写真技術は私のそれとはかけ離れ、
正にプロ級の腕前と言うのは以前から承知していて、
従いその日も写真の話題となったと記憶している。
彼の被写体は主として「鳥」。
北海道まで赴きタンチョウ鶴を幾度も撮影に行く、
その凝り様は私の音楽以上の熱心さだった。
雑誌に投稿し掲載されたその美しい写真を指し、
この一瞬の為にどれだけ苦労したものかとを語る
生き生きとした話は実に興味深かった。
ところで、あくまで御本人談として記載するが、
この方お子様に恵まれなかったとおっしゃった。
本当はレンズを自の子供に向けたかった。と。
又、もともと子供好きいらっしゃる様で、
知人の子供さんなどにレンズを向ける物の、
決して満足できる写真が撮れなかったのだ。とも。
それはズバリ、
親に向ける笑顔にかなう物は無い。
いくら頑張って写しても、
親のカメラに向かう子供の笑顔にはかなわない。
という事を切々と語られたのだ。
そして、
だからあおやき君!
子供さんがいるのならば沢山写真を撮りなさい!
親に向ける眼差しの輝きを感じなさい。
と言う話に展開していったのです。
その話を聞いた直ぐ後だったと思うのだが、
写真を撮りに旅行しようと行ったのが上の写真の
ひるがの高原のコスモス畑。
このお客さんとの雑談のお陰で、
私にはこんな思い出深い写真が撮れました。
まだまだ小さいお子さんをお持ちの人が、
もしこのブログをご覧になっていらっしゃったら、
そんな気持ちでカメラをお子さんに向けてみて下さい。
きっと貴方だけにしか微笑まない輝いた眼差しを
投げ掛けてくれるに違いないと思いますよ!
そして最後に、
娘が自らの子供に向けたコスコス畑バックの写真。
ひと世代が過ぎて行きました。
最後までお読み頂き有難うございました。
対抗してみました^ ^
気が合いますね。