親の為に個室まで用意してくれた病院。
それなのに親は「どうせそんなに長くは無いのだから、好きな物食べて酒飲んで家で死にたい。退院させろ!」と。
この言葉を聞いてから、自分もそうだけど形やお金に拘る人少なくないよな。あの世にお金も地位も持って行けないのに。一番じゃ無ければダメだとか、あの大学じゃないとダメだとか。時にいつも通り、想定通りに行かないと、イライラしたり、不安になったり。この不安の心は怒りに変わる様ですが。
その拘りどこから?今の自分に必要?と、冷静に考えればイライラする事も減るだろうに、今の世の流れを見ると人が作った知識に振り回されて…
死んで肉体が無くなり何が残るんだろう?と思いながら、人の一生について探究して見た。
そうすると、なるほどな~と思う記事がありました。
お金持ちがSNSやゲームで時間を消費しない理由
12:20 All About
人間は狩猟時代から戦後まで、庶民のほとんどは「生きる」ことが目的だったように思います。狩猟や農耕などに時間を使っていたのも生き延びるため。防空壕を掘ったり疎開するのも生き延びるため。しかし、食糧はいつでも気軽に手に入るようになり、命を脅かす戦争も、現代日本ではなくなりました。
そうなると、ただ日々の生活に流されるだけでも人は生きていくことができますから、「生き延びる」という目標を失った私たちには、膨大な暇な時間が現れたと考えることもできます。その暇な時間をどう使うか……。だからこそ、生きること以外に何か目的、目標、価値を置かなければ、とても味気のない一生になってしまいかねません。
(中略)
何で暇つぶしするかは個人の自由です。そして、何かを成しても成さなくても、同じ80年が過ぎていく。ほとんど全員が100年以内にこの世を去り、自分の孫が寿命を迎えるころには、自分を直接知っている人間はこの地上からいなくなる。そう考えたとき、自分が自分であるために、自分が生きた証しを後世に残すために価値があることに時間を使いたいと思っています。
午堂 登紀雄(マネーガイド)