あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

死刑刑場の公開 を通して思うこと

2010-08-28 20:47:22 | インポート

法務省は、死刑を執行する東京拘置所内の刑場を報道機関に公開しました。新聞の写真や図、説明を読みながら、死刑制度そのものが現状として必要なのかどうかについて改めて考えることができました。千葉法務大臣も、死刑制度を見直すきっかけにしてほしいという考えのようです。

執行室の奥にボタン室があり、そのボタンが3つあり、そのどれかが死刑囚を落下させるスイッチになっています。実際の場合は、3人の刑務官が一斉にそのボタンを押し、落下させたスイッチを誰が押したものだったかどうかは、わからないようになっているそうです。刑務官は『手が震えるほどの緊張感の中、「執行されるのは許されない罪を犯した者だ、社会正義のためにやらないと」と自分に言い聞かせ』ボタンを押しているとのことです。

刑場施設には、立会室<ガラスを通して執行状況を見守る場所、執行室の下の様子も見られるようになっている>、教誨(きょうかい)室<執行前に宗教者に教えを受ける部屋>、前室<死刑囚に正式に死刑執行が告げられ、目隠しをされ手錠もかけられる部屋>、前室と隣り合う位置にある執行室<死刑が執行される部屋。死刑囚の首にかけるロープを通す滑車が天井に設置され、床には赤で縁取られた1.1m四方の「踏み板」がある。この踏み板が開かれることで、死刑囚は落下し、刑が執行される>、ボタン室<踏み板を開くボタンが3つあり、そのうちの1つがスィッチになっている。執行の際には刑務官3名が同時にボタンを押す。>

死刑囚は、教誨(きょうかい)室で最後の教えを受け、前室で正式に執行宣言を聞き、目隠され、手錠をかけられ、刑務官たちに両脇を抱えられて執行室へと向かい、踏み板の場所に立たされ首にロープをかけられ、ボタン室のスイッチで落下するといった流れで、死刑は執行されるのでしょうか。

以前のブログで紹介した死刑囚:島秋人の最期の場面が頭に浮かんでくるようです。

人が人を裁くことはあっても、人が人の命を公に奪うような仕組みがあっていいのでしょうか。

確かに、犯罪があまりにも悪質で、残された遺族の方の悔しさや辛い思いを考えると、死をもって償う死刑制度もやむを得ない制度と考えることもできると思います。しかし、罪を犯した者が、自分のしたことを心から悔い、被害者や遺族に対して真摯に償いたいという心情を抱くようになった場合はどうでしょうか。島秋人は、まさにそうでした。犯した罪を悔い、被害者の方や遺族の方に心から申し訳ないと思い、死刑を受けることで自分の犯した罪を償いたいと考えていました。その思いが次の短歌に込められています。

 ◎ 母在らば死ぬ罪犯す事なきと知るに 尊き母殺(あや)めたり

 自分に母が生きていてそばにいてくれたら(秋人が小さい頃、母親は結核で亡くなっている)死刑を受けるような犯罪を犯したりはしなかっただろう。それなのに、自分は被害者の家族にとってとても大切な人である母親を殺してしまったのだ。

 結果的に死刑は執行されたわけですが、その時の島秋人は犯罪者の顔ではなく、豊かな感性と誠実で純粋な心を持った一人の人間としての顔を持っていたはずです。

 次の短歌も、島秋人が死刑前日に詠んだものです。

 ◎ この澄めるこころ在るとは識らずきて処刑まつひととき温(ぬく)きいのち愛しむ

 それでも、死刑制度に沿って死して償うことが必要なのでしょうか。

 私は、犯罪者の顔ではなく一人の人間としての顔を取り戻し、生きて償うことの方がより大切なのではないかと考えます。

 死刑制度肯定論の中に、死刑が犯罪を抑止する上で効果があることを強調する考えがあります。これは、死刑になりたくないから犯罪を犯さないといった考えにも結びつき、罰を恐れて犯罪を犯さないといったことでは、自らの正しい判断のもとで犯罪を犯さないといった考えに発展していかないのではないかと思います。

 更生という言葉がありますが、その意味は生き返るということです。これまでの生き方を改め、新たな生を生きるという意味です。しかし、死刑制度は更生を否定する考えでもあります。命を断たれた者が、どう生き直すことができるのでしょうか。

命の尊さを理解している人間が命を否定することはできないのではないでしょうか。

 死刑囚であるからこそ、島秋人は、命の尊さを次のような短歌で表現しています。

◎ 生かさるるひと日尊び思ふ夜の総(す)べてのもののいのち愛(いと)ほし

 この短歌も、死刑前日につくられたものです。

 死刑制度の必要性について、改めて考え直してみたいものです。。


左手一本のゴール その2

2010-08-28 07:50:40 | インポート

  7/4付の朝日新聞の社会面で取り上げられた、山梨県の日川高校バスケットボール部員

の田中正幸君のことを、7/4付のブログで紹介したことがありました。

   中学時代には、県選抜チームの5人に入るスーパースターだった田中君は、日川高校への

入学前に、脳動静脈奇形脳出血を起こし、言葉と右半身の自由を失います。その後本人の懸

命な努力とリハビリにより、車椅子から歩けるようになり、言葉も取り戻して、1年遅れで日川高

校に復学することができます。そして、試合に出たいという強い願いを持って、大好きなバスケ

ット部員となり、不自由な右手は使えないので、左手だけのシュート練習を黙々と続けます。

高校生活最後の年となった今年の6/12の山梨県大会で、田中君は念願の試合に出場し、

左手一本のゴールを決めます。このゴールに対して、チームメートはもちろんのこと相手チーム

も含め、会場全体が大きな拍手を送ります。これまでの田中君の努力と夢を知っていた会場の

皆さんが一体となって送った心からの温かい拍手だったそうです。

    ところが、今日の夕方のラジオで、この田中君の活躍を紹介する番組があり、偶然耳にする

ことができました。

 日川高校のバスケット部員の田中君という紹介を聞き、あのブログで取り上げた彼のことだ

なと思い、真剣に聞き入りました。

 田中君本人の肉声のしっかりしたコメントを聞き、明るく落ち着いた声の調子の中に、強い

意志を感じました。だからこそバスケットへの夢を持ち続け、苦しいリハビリも続けてこれたん

だなあと納得できました。

 番組の終わりに、これからの夢について、田中君が語っていました。

『将来は福祉関係の仕事につきたい。自分がしてもらったことを、今度はしてあげたい。』

 この言葉に、頭が下がる思いがしました。

 自分が周りの人から支えサポートしてもらったことに心から感謝し、今度は自分がお返しする

番だと考えるその謙虚さと誠実さに、田中正幸という人間のすばらしさを強く感じます。

 田中君の頑張る姿から元気をもらうのは、私自身のような気がしていますが

田中君頑張れ! と声を大にして応援していきたいと思います。

※日川高校のバスケットボール部は、沖縄で開かれた高校総体に山梨代表として、出場しましたが、惜しくも一回戦で熊本代表に敗れました。田中君は、選手登録はされず応援団として声援を送ったようです。なお、バスケットボールの優勝チームは東京代表の八王子高校で準優勝は宮城代表の明成高校でした。決勝は67対66のわずか1点差で、明成が敗れました。