2/14付の天声人語を読んで、正論ではあるものの果たしてそうなのかなと疑問に思うことがありました。
本文は、個性について書かれた次のような内容でした。
~ 昨今の就職活動では、「個性を封印する」黒のリクルートスーツが流行している。「服装の自由化」を学生に勧める有力企業もあるが、説明会ではやはり黒の上下で埋まってしまう。就活は「人生をかけた椅子取りゲーム」にも例えられ、得点より減点が怖い時、周りから「浮く」のはそれなりの勇気がいる。黒はいわば、無難という名の保護色なのだろう。
夏目漱石が「草枕」に書いた「文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする」の一節は、どこか今の就活に重なる。
幼時からの教育はさかんに「個性」を言う。しかし、社会に出る学生は、指南本やセミナーの説く寸法に合わせてノウハウの尾ひれをつけ、就職戦線を泳ぐ。個性も、総体としての多様さも、色あせないかと心配になる。
むろん個性は外見よりむしろ中身だろう。とはいえ服装一つでも、同調圧力に抵抗力のある人は頼もしい。小器用に空気を読む人ばかりでは組織の活力も生まれまい。人との違いを楽しめる。そんな個性を応援したくなる。 ~
私は、黒のリクルートスーツを身につけた学生が、「指南本やセミナーの説く寸法に合わせてノウハウの尾ひれをつけ、就職戦線を泳ぐ」「同調圧力に屈した」学生とは一概に言えないのではないかと思うのです。むしろ就職戦線が厳しいが故に、無難な服を選ばざるを得ない学生の側の切実な状況について考えてしまいます。減点されることを恐れるのではなく、服装にとらわれずに自分の中味を評価してほしい。そういった思いが、無難な服を選ばせているのかもしれません。経済的に余裕のない学生にとっては、スーツを一着あつらえるだけでも大きな出費となり、冠婚葬祭を含めいろんな場で着用できる無難な色のスーツとして黒を選んでいるのかもしれません。また、採用試験を受ける会社によっては、個性的な服装を求めず、無難な服装を求めるところがあるかもしれません。黒系統が好きなので、選んだという学生もいるかもしれません。
三番目の娘が、就職戦線を戦う姿を見ており、地味な服装を好む私自身であるが故に感じる思いでもあるのかもしれません。
ただ、現象面で黒のリクルートスーツが目につくとしても、個々の学生にとってはさまざまな事情や理由があって、黒を選択しているように思えるのです。
大切なのは、目に見えることだけで、人なりは判断できないということなのではないかと思います。個性は、内に輝くもので、その人しかもたないかけがえのないものです。採用する側は、服装にとらわれずに学生のもつその人なりを判断し、学生の側も自らの内を磨く努力を大切にしてほしいと考えます。
確かに、内なる個性を外にも表現できる人は、服装にも自分らしさを表現できる人なのかもしれません。そういった積極的に自己表現できる個性を求める思いも理解できます。
しかし、たかが服装なのに、されど服装になってしまうところが問題なのではないかと思うのですが…どうでしょうか。
外に見えるものだけで、何事も推し量ることはできないのではないかと思えるのです。