仙台自主夜間中学で国語を一緒に学んでいるAさんから、新聞記事とそれを読んでの感想が
手紙で届きました。詩に関心を持つようになって目に留まったのが、金子みすゞ記念館の館長
である矢崎節夫さん(童謡詩人)のインタビュー記事で、そこで紹介されたみすゞさんの詩と矢崎
さんの語る言葉が、とても心に残ったということでした。
仙台自主夜間中学も、新型コロナウィルスの感染拡大を心配して、3・4月と休校となり、5月
に再開することになりました。生徒の皆さんの健康が気がかりですが、そんな中、届いた手紙に
心温まる感動を覚えました。離れていても、学ぶ仲間としての絆に変わりないことを同封された
記事と感想を読みながら感じたからです。
記事は、上・下の2回連載となったもので、みすゞさんの詩が三編取り上げられていました。
ここで取り上げられた詩について、矢崎さんの考えを私自身の感想も交えて紹介していきたい
と思います。
記事は、「金子みすゞのまなざしの世紀」と題され、矢崎さんは『みすゞさんの文学を「みすず
コスモス」と呼び、みすゞさんの心の宇宙による共通のまなざしがよく表れているのが「こだまで
しょうか」の詩だ』と述べています。
この詩は、9年前の東日本大震災の後に、テレビの公共広告で繰り返し流されたそうです。
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
矢崎さんは、この詩を通して、
人と人との関わりにおいて 「痛いときに『痛いね』、つらい時に『つらいね』とこだまし、
うなずくことが本当の優しさであり」
「人の喜びを自分のことのように喜び、人の悲しみを自分のことのように悲しめるこころが
『優しさ』なのです」
「相手を丸ごと受け入れ、こだましてあげることが『優しさ』なのです」と語っています。
そんな優しさにあふれたまなざしが、詩の向こうに見えるみすゞさんの優しさなのだと、
私も深い共感を覚えます。
そして、歌人の俵万智さんの次の短歌を思い出します。
「寒いね」と語りかければ 「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
何気ない言葉の交換であっても、その言葉がお互いの心を開くきっかけとなり、通い合う
あたたかさを醸し出すのかもしれません。こだまのように相手の言葉を受け止め、言葉を返す。
そこでやりとりされるのは、言葉ではなく、言葉をはるかに超えたこころなのかもしれません。
矢崎さんは、次のようにも語っています。
「その人のそばにいてあげるだけでいい。『あなたは一人じゃないよ』との心が伝わればいい」
さまざまな悩みを傾聴する相談電話のボランティアをしているときに、私自身が感じた思い
でもありました。電話の向こうの相談者の方と一緒に同じベンチに座りながら、そのつらい思い
に耳を傾ける。つらい立場に代わって立つことはできないものの、心の内に少しでもよりそうこ
とができたらという思いで。
次回は、『大漁』という詩について、矢崎さんの考えを紹介したいと思います。
手紙で届きました。詩に関心を持つようになって目に留まったのが、金子みすゞ記念館の館長
である矢崎節夫さん(童謡詩人)のインタビュー記事で、そこで紹介されたみすゞさんの詩と矢崎
さんの語る言葉が、とても心に残ったということでした。
仙台自主夜間中学も、新型コロナウィルスの感染拡大を心配して、3・4月と休校となり、5月
に再開することになりました。生徒の皆さんの健康が気がかりですが、そんな中、届いた手紙に
心温まる感動を覚えました。離れていても、学ぶ仲間としての絆に変わりないことを同封された
記事と感想を読みながら感じたからです。
記事は、上・下の2回連載となったもので、みすゞさんの詩が三編取り上げられていました。
ここで取り上げられた詩について、矢崎さんの考えを私自身の感想も交えて紹介していきたい
と思います。
記事は、「金子みすゞのまなざしの世紀」と題され、矢崎さんは『みすゞさんの文学を「みすず
コスモス」と呼び、みすゞさんの心の宇宙による共通のまなざしがよく表れているのが「こだまで
しょうか」の詩だ』と述べています。
この詩は、9年前の東日本大震災の後に、テレビの公共広告で繰り返し流されたそうです。
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
矢崎さんは、この詩を通して、
人と人との関わりにおいて 「痛いときに『痛いね』、つらい時に『つらいね』とこだまし、
うなずくことが本当の優しさであり」
「人の喜びを自分のことのように喜び、人の悲しみを自分のことのように悲しめるこころが
『優しさ』なのです」
「相手を丸ごと受け入れ、こだましてあげることが『優しさ』なのです」と語っています。
そんな優しさにあふれたまなざしが、詩の向こうに見えるみすゞさんの優しさなのだと、
私も深い共感を覚えます。
そして、歌人の俵万智さんの次の短歌を思い出します。
「寒いね」と語りかければ 「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
何気ない言葉の交換であっても、その言葉がお互いの心を開くきっかけとなり、通い合う
あたたかさを醸し出すのかもしれません。こだまのように相手の言葉を受け止め、言葉を返す。
そこでやりとりされるのは、言葉ではなく、言葉をはるかに超えたこころなのかもしれません。
矢崎さんは、次のようにも語っています。
「その人のそばにいてあげるだけでいい。『あなたは一人じゃないよ』との心が伝わればいい」
さまざまな悩みを傾聴する相談電話のボランティアをしているときに、私自身が感じた思い
でもありました。電話の向こうの相談者の方と一緒に同じベンチに座りながら、そのつらい思い
に耳を傾ける。つらい立場に代わって立つことはできないものの、心の内に少しでもよりそうこ
とができたらという思いで。
次回は、『大漁』という詩について、矢崎さんの考えを紹介したいと思います。
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