今日の天声人語に,『レモン哀歌』の一節が取り上げられていました。次に,詩の全文を紹介します。
レモン哀歌
高村 光太郎
そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑う
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
こういう命の瀬戸ぎわに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔 山巓(さんてん)でしたような深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置こう
天声人語の結びは,次のように書かれています。
~ 詩の中では,レモンの数滴が智恵子の意識をぱっと正常にする。例えは美し過ぎる
が,私たちもまた目を開いたのではないか。核はやはり命の営みと相いれないと。
「ほんとの空」を汚しては,人は生きていかれない。
智恵子の語る「ほんとの空」は,『あどけない話』という詩の中に出てきます。この詩も全文紹介します。
あどけない話
高村 光太郎
智恵子は東京に空が無いという
ほんの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ
智恵子は遠くを見ながら言う
安多多羅山(あだたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという
あどけない空の話である
改めて二つの詩を読んでみると,智恵子という女性がどんなに純粋で感性の豊かな人だったのかがわかります。そして,そのすべてを心から愛していた高村光太郎の気持ちがとてもよく理解できるような気がします。
生涯の愛をいっしゅんにかたむけるために,智恵子はレモンを待っていたのかもしれません。かじったレモンの汁が意識を正常にし,もとの自分にもどって,笑い,手を握って,別れを告げるために。切ない別れではありますが,心の通う最期だったのではないかと思います。そのときの智恵子の澄んだ眼の笑いと手を握る力の健康さを思い出し,光太郎はすずしく光るレモンを写真の前に置くのでしょうか。
智恵子の見た「ほんとの空」は,今でも安多多羅山の山の上に青く広がっているのでしょうか。原発事故によって今でも目に見えない放射線が福島を覆っています。「ほんとの空」が見えるようになるまで,これからどれだけの年月がかかるのでしょうか。
青い空を青いままで未来に残していくのが,今回の事故から学んだ者としての努めなのではないかと思います。智恵子が見たような「ほんとの空」を,子どもたちに見上げることができるように…。
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