妻からの依頼もあって、岩手県の花泉に在る 6人の「地蔵さま」の写真を撮りました。その地蔵さまは、この地域に伝わる昔話発祥の地として、昭和58年につくられたものです。
小学校2年の国語の教科書に、むかし話の教材として 岩崎京子:文 「かさこじぞう」があります。写真は、その学習の補助的資料として使いたいとのことでした。
残念ながら、雪の降り積もった状態での撮影とはならなかったのですが、5体の地蔵さまには笠が、1体の地蔵さまには手ぬぐいがかぶせてあり、昔話の世界が再現されているかのような風情です。赤いマフラーとピンクのはんてんは、昔話の中には登場しませんが、地蔵さまのお世話をしている近くの人々が、寒さを気遣って身に着けさせたものなのでしょう。
「かさこじぞう」の話は、ご存知のように、じいさまとばあさまの心やさしい無償の行為が、幸せを招くというお話です。
なんといっても、この話の山場は、じいさまがかさと手ぬぐいを地蔵さまに かぶせる場面です。
せっかくつくったかさが売れず、もちこももたないで帰ることになったじいさまは、日もくれかけた道をとんぼりとんぼり帰ります。村のはずれの野っ原までくると、風が出てきて、ひどいふぶきになります。じいさまは、そこでふきっさらしの中 かたがわだけ雪にうもれている 六人のじぞうさまを見かけます。じいさまにも、風雪が激しくあたっていることでしょう。それでも、じいさまは家路を急ぐのではなく、「おお、お気のどくにな。さぞつめたかろうのう。」と思い、じぞうさまのおつむの雪を『かきおとし』、『ほおべたにしみをこさえたり』『はなからつつらを下げてござらっしゃる』じぞうさまのせなやらかたやらを なでます。この行為の内に、じぞうさまを子どもの守り神様として親しみを込めて敬う じいさまの思いを汲み取ることができるように思います。しかし、雪をかきおとしても、次々に雪は吹きつけじぞうさまを埋めてしまいます。そこでじいさまは、売り物のかさを持っていることに気づき、かさをかぶせることにします。風でとばぬよう、しっかりあごのところでむすんであげました。ところが、かさこは5つで どうしても 一つ足りません。考えに考えたあげく、自分のつきはぎの手ぬぐいをとると、『おらのでわりがこらえてくだされ』と、さいごのじぞうさまにかぶせました。『これでええ、これでええ。』そこで、じいさまはやっと安心してうちに帰りました。
じぞうさまを見かけるまでのじいさまのとんぼりとんぼりとした足取りは、かさと手ぬぐいをかぶせて帰る時には、どんな足取りになっていたのでしょう。じいさまの表情は、どう変わっていったのでしょう。雪にうもれた地蔵さまを見つけた時の表情、雪をかきおとしたりかたやらせなをなでてあげる時の表情、かさをかぶせることを思いついた時の表情、かぶせる時の表情、傘が足りずに困っている時の表情、つぎはぎのてぬぐいをかぶせる時の表情、かさと手ぬぐいをかぶった6人の地蔵さまを見た時の表情。じいさまの表情の変化を通して、じいさまの心情を推し量ることができるように思います。じいさまの行為からも心情を読み取ることができます。かきおとしたりなでたりした時のじいさまの指先はどうなっていたでしょう。かさのひもをしばる時、手ぬぐいをかぶせる時は、どうだったでしょう。ふぶきは続き、風も雪もじいさまにも激しく吹きつけていたことでしょう。吹きっさらしの野っぱらですから、じいさまの指先にも、せなやらかたやらにも、手ぬぐいをかぶせた後には頭にも耳にも、雪が降り積もっていたかもしれません。それでも、じいさまの足取りは、決して重くはなかったことでしょう。むしろ晴れ晴れとしたすがすがしい気持ちになっていたことと思います。
家に帰ったじいさまは、いろりの上にかぶさるようにして、冷えた体をああたためました。いいことをしたものの、体はどんなにつめたく冷えたことでしょう。もちこも持たずに帰ったじいさまが、地蔵さまにかさこをかぶせてきたことを話すと、ばあさまはいやな顔ひとつしないで、『おお、それはええことをしなすった。じぞうさまもこの雪じゃさぞ冷たかろうもん。』と語ります。願いや思いを共有する信頼という絆で結ばれたじいさまとばあさまだからこそ、たいそう貧乏でもあっても明るく生きてこられたのだと思います。その晩、もちつきのまねをし、つけなかみかみお湯をのんでやすんだじいさまとばあさまの家に、もちこなどを積んだそりを引く地蔵さまたちがやってきます。『六人のじぞうさ、かさことってかぶせた じさまのうちは どこだ ばさまのうちは どこだ』という歌が聞こえます。歌の中には、地蔵さまに会ってはいないはずのばあさまも登場します。じいさまと同じ心をもっているばあさまことを、ちゃんとわかっていたのです。地蔵さまがとどけてくれたもので、じいさまとばあさまはよいお正月を迎えることができました。きっと、二人は、もちのお供えなどをもって、吹きっさらしの野っぱらの地蔵さまたちのところにお礼にいったことと思います。
お地蔵さまたちは、昔話版のサンタクロースとも言えそうですね。