朝日新聞の記者有論というコーナーに,遺族の伝言を扱った記事がありました。
今から10年前の2001年6月8日,大阪教育大学付属池田小学校で,不審者が児童8人を殺害するという悲惨な事件が起きました。その遺族の言葉がいくつか取り上げられていましたが,今なお,最愛の子どもを失った悲しみや喪失感は消えることがないようです。
○長女を失った母親の言葉
「あの時に止まった時間と,今生きている時間。体の中に二つの時計があって,広がる落差に悲しみは深まる一方なんです。」
○遺族である父親の言葉
「いまもエアポケットのように自分を見失う瞬間がある。」……仕事中でも,車の運転中でも,娘のことを考え始めて意識が沈み,海におぼれるような感覚になるのだとのこと。
これからも二つの時計を抱えて生きなければならないのは,想像もできないほど辛く悲しいことなのではないかと思います。
それでも,今生きている時間の中で,母親は傾聴と歌と朗読で傷ついた人の心を癒すNPOの法人を立ち上げ,「一人ひとりの悲しみに寄り添えるようになりたい」と活動しています。
父親は,中高生を対象に「命の教育」と題した講演をするようになり,「あなたのたちの命はかけがえのないものです」と訴えています。
東日本大震災を取材した記者は,二つの時計を抱えて生きていく被災地の遺族の方に,「頑張れ」と声をかける違和感をぬぐえなかったとのこと。
そこで,池田小事件の遺族に,愛する人を突然失った被災者に,どのような言葉をかけますかと尋ねたところ,ある父親は次のように語りました。
「生きることに罪悪感を持つ方もいるでしょう。私もそうでした。そして生きる意味を一生懸命探した。でも,生きる意味というのは必要ないんです。生きる意志さえあれば大丈夫なんです。」
10年間,愛するものを失った悲しみや喪失感を抱きながら,自らの生きる意味を問いかけた上で語られる言葉に,ズシーンと心に響く重さがあります。
世田谷事件で愛する妹の一家4人を失った,入江杏さんの描いた絵本『ずっと つながっているよ』の一節を思い出します。
いつでも いっしょに いたんだね。
風にも,水にも,光にも。
いつでも いっしょに いるんだね。
空にも,地にも,昼も,夜も。
どんなに遠く はなれていても,
ずっと つながっているから。
ありがとう,わすれないよ。
入江さんは,亡くなった四人と今でも確かにつながり,これからもずっとつながっていることを感じることで,再生の一歩を踏み出し,生きる意志を見出すことができました。
二つの時計を抱いて生きる人が,生きる意志をもって歩んでいける未来であってほしいものです。
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