あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

子どもたちとの再会に喜ぶ妻

2010-08-31 08:54:40 | インポート

入院している妻のもとへ、初任地である仙台市立S小時代のかっての教え子が見舞いにきて

います。

その子どもたちからの励ましの言葉やメールが、妻にとっては何よりの良薬となり、大きな元

気をいただいているようです。子どもが訪ねてきたことを話す時の顔も、何よりうれしそうで輝い

ています。こういった出会いを通し、教師としての原点に立ちもどり、これからの子どもたちとの

よりよい関わりをどうつくっていくかを真摯に考えているようです。

妻と私との出会いも、S小時代でしたので、私自身もその頃の子どもたちのことをなつかしく思

い出します。

教師としての一番の喜びは、教え子と未来に再会し、その成長振りを心から感じ取ることがで

きた時ですね。結婚式やクラス会等で再会し、教え子達の成長した姿を目にし、その生き方や

考え方にふれた時、『教師になってよかったなあ!』と心から実感します。

私自身としては、病気になってからの再会は遠慮したいところではありますが、かっての担任

を親身に気遣う 40才になった子どもたちの姿には、心打たれるところがあります。

 クラスの担任をするということは、その時に出会った子どもたちと 未来も含め共に生きる時

 間を持つということ。だからこそ、その子たちと未来に再会し、その成長した姿にふれた時、

 改めて未来においても共に生きる時間を共有できたという喜びを感じることができる。

 こんな思いで担任した頃をなつかしく思い出します。

訪ねてきてくれた妻の教え子たちに、私自身も温かいハートをもらい、感謝しています。


死刑刑場の公開 を通して思うこと

2010-08-28 20:47:22 | インポート

法務省は、死刑を執行する東京拘置所内の刑場を報道機関に公開しました。新聞の写真や図、説明を読みながら、死刑制度そのものが現状として必要なのかどうかについて改めて考えることができました。千葉法務大臣も、死刑制度を見直すきっかけにしてほしいという考えのようです。

執行室の奥にボタン室があり、そのボタンが3つあり、そのどれかが死刑囚を落下させるスイッチになっています。実際の場合は、3人の刑務官が一斉にそのボタンを押し、落下させたスイッチを誰が押したものだったかどうかは、わからないようになっているそうです。刑務官は『手が震えるほどの緊張感の中、「執行されるのは許されない罪を犯した者だ、社会正義のためにやらないと」と自分に言い聞かせ』ボタンを押しているとのことです。

刑場施設には、立会室<ガラスを通して執行状況を見守る場所、執行室の下の様子も見られるようになっている>、教誨(きょうかい)室<執行前に宗教者に教えを受ける部屋>、前室<死刑囚に正式に死刑執行が告げられ、目隠しをされ手錠もかけられる部屋>、前室と隣り合う位置にある執行室<死刑が執行される部屋。死刑囚の首にかけるロープを通す滑車が天井に設置され、床には赤で縁取られた1.1m四方の「踏み板」がある。この踏み板が開かれることで、死刑囚は落下し、刑が執行される>、ボタン室<踏み板を開くボタンが3つあり、そのうちの1つがスィッチになっている。執行の際には刑務官3名が同時にボタンを押す。>

死刑囚は、教誨(きょうかい)室で最後の教えを受け、前室で正式に執行宣言を聞き、目隠され、手錠をかけられ、刑務官たちに両脇を抱えられて執行室へと向かい、踏み板の場所に立たされ首にロープをかけられ、ボタン室のスイッチで落下するといった流れで、死刑は執行されるのでしょうか。

以前のブログで紹介した死刑囚:島秋人の最期の場面が頭に浮かんでくるようです。

人が人を裁くことはあっても、人が人の命を公に奪うような仕組みがあっていいのでしょうか。

確かに、犯罪があまりにも悪質で、残された遺族の方の悔しさや辛い思いを考えると、死をもって償う死刑制度もやむを得ない制度と考えることもできると思います。しかし、罪を犯した者が、自分のしたことを心から悔い、被害者や遺族に対して真摯に償いたいという心情を抱くようになった場合はどうでしょうか。島秋人は、まさにそうでした。犯した罪を悔い、被害者の方や遺族の方に心から申し訳ないと思い、死刑を受けることで自分の犯した罪を償いたいと考えていました。その思いが次の短歌に込められています。

 ◎ 母在らば死ぬ罪犯す事なきと知るに 尊き母殺(あや)めたり

 自分に母が生きていてそばにいてくれたら(秋人が小さい頃、母親は結核で亡くなっている)死刑を受けるような犯罪を犯したりはしなかっただろう。それなのに、自分は被害者の家族にとってとても大切な人である母親を殺してしまったのだ。

 結果的に死刑は執行されたわけですが、その時の島秋人は犯罪者の顔ではなく、豊かな感性と誠実で純粋な心を持った一人の人間としての顔を持っていたはずです。

 次の短歌も、島秋人が死刑前日に詠んだものです。

 ◎ この澄めるこころ在るとは識らずきて処刑まつひととき温(ぬく)きいのち愛しむ

 それでも、死刑制度に沿って死して償うことが必要なのでしょうか。

 私は、犯罪者の顔ではなく一人の人間としての顔を取り戻し、生きて償うことの方がより大切なのではないかと考えます。

 死刑制度肯定論の中に、死刑が犯罪を抑止する上で効果があることを強調する考えがあります。これは、死刑になりたくないから犯罪を犯さないといった考えにも結びつき、罰を恐れて犯罪を犯さないといったことでは、自らの正しい判断のもとで犯罪を犯さないといった考えに発展していかないのではないかと思います。

 更生という言葉がありますが、その意味は生き返るということです。これまでの生き方を改め、新たな生を生きるという意味です。しかし、死刑制度は更生を否定する考えでもあります。命を断たれた者が、どう生き直すことができるのでしょうか。

命の尊さを理解している人間が命を否定することはできないのではないでしょうか。

 死刑囚であるからこそ、島秋人は、命の尊さを次のような短歌で表現しています。

◎ 生かさるるひと日尊び思ふ夜の総(す)べてのもののいのち愛(いと)ほし

 この短歌も、死刑前日につくられたものです。

 死刑制度の必要性について、改めて考え直してみたいものです。。


左手一本のゴール その2

2010-08-28 07:50:40 | インポート

  7/4付の朝日新聞の社会面で取り上げられた、山梨県の日川高校バスケットボール部員

の田中正幸君のことを、7/4付のブログで紹介したことがありました。

   中学時代には、県選抜チームの5人に入るスーパースターだった田中君は、日川高校への

入学前に、脳動静脈奇形脳出血を起こし、言葉と右半身の自由を失います。その後本人の懸

命な努力とリハビリにより、車椅子から歩けるようになり、言葉も取り戻して、1年遅れで日川高

校に復学することができます。そして、試合に出たいという強い願いを持って、大好きなバスケ

ット部員となり、不自由な右手は使えないので、左手だけのシュート練習を黙々と続けます。

高校生活最後の年となった今年の6/12の山梨県大会で、田中君は念願の試合に出場し、

左手一本のゴールを決めます。このゴールに対して、チームメートはもちろんのこと相手チーム

も含め、会場全体が大きな拍手を送ります。これまでの田中君の努力と夢を知っていた会場の

皆さんが一体となって送った心からの温かい拍手だったそうです。

    ところが、今日の夕方のラジオで、この田中君の活躍を紹介する番組があり、偶然耳にする

ことができました。

 日川高校のバスケット部員の田中君という紹介を聞き、あのブログで取り上げた彼のことだ

なと思い、真剣に聞き入りました。

 田中君本人の肉声のしっかりしたコメントを聞き、明るく落ち着いた声の調子の中に、強い

意志を感じました。だからこそバスケットへの夢を持ち続け、苦しいリハビリも続けてこれたん

だなあと納得できました。

 番組の終わりに、これからの夢について、田中君が語っていました。

『将来は福祉関係の仕事につきたい。自分がしてもらったことを、今度はしてあげたい。』

 この言葉に、頭が下がる思いがしました。

 自分が周りの人から支えサポートしてもらったことに心から感謝し、今度は自分がお返しする

番だと考えるその謙虚さと誠実さに、田中正幸という人間のすばらしさを強く感じます。

 田中君の頑張る姿から元気をもらうのは、私自身のような気がしていますが

田中君頑張れ! と声を大にして応援していきたいと思います。

※日川高校のバスケットボール部は、沖縄で開かれた高校総体に山梨代表として、出場しましたが、惜しくも一回戦で熊本代表に敗れました。田中君は、選手登録はされず応援団として声援を送ったようです。なお、バスケットボールの優勝チームは東京代表の八王子高校で準優勝は宮城代表の明成高校でした。決勝は67対66のわずか1点差で、明成が敗れました。

 


詩 『便所掃除』 について

2010-08-26 08:48:02 | インポート

高速道路のパーキングのトイレに こんな貼り紙がありました。

『いつも きれいに トイレを使っていただき、ありがとうございます!』

「~への協力をお願いします」 といった お願い形式のメッセージはよく見ますが、感謝のメッ

セージはめったに見ません。

利用する側からすれば、どちらが気持ちのよいメッセージと感じるでしょうか?

利用者への信頼の思いを込めたメッセージは、やわらかに心に止まります。

お願いは、利用者への要求といった強いメッセージとして心に止まる場合があります。

私はそのメッセージを見て、気持ちが和み、改めてきれいに使おうという思いがしました。

トイレに関しては、心に残る詩があります。

国鉄職員の浜口国雄さんが書いた詩(JRが国鉄だった頃に「第5回国鉄詩人賞」を受賞した

詩:1955年作)です。※出典:岩波新書の『真壁仁編:詩の中にめざめる日本』より

    

    便所掃除             浜口 国雄

扉をあけます。/頭のしんまでくさくなります。/まともに見ることが出来ません。

神経までしびれる悲しいよごしかたです。/澄んだ夜明けの空気もくさくします。

掃除がいっぺんにいやになります。/むかつくようなババ糞がかけてあります。

どうして落着いてくれないのでしょう。/けつの穴でも曲がっているのでしょう。

それともよっぽどあわてたのでしょう。/おこったところで美しくなりません。

美しくするのが僕らの務です。/美しい世の中もこんな所から出発するのでしょう。

くちびるを噛みしめ、戸のさんに足をかけます。/静かに水を流します。

ババ糞に、おそるおそる箒をあてます。/ポトン、ポトン、便壺に落ちます。

ガス弾が、鼻の頭で破裂したほど、苦しい空気が発散します。

心臓、爪の先までくさくします。/落すたびに糞がはね上って弱ります。

かわいた糞はなかなかとれません。/たわしに砂をつけます。

手を突き入れて磨きます。/汚水が顔にかかります。

くちびるにもつきます。/そんなことにかまっていられません。

ゴリゴリ美しくするのが目的です。/その手でエロ文、ぬりつけた糞も落します。

大きな性器も落します。

朝風が壺から顔をなぜ上げます。/心も糞になれて来ます。

水を流します。/心に、しみた臭みを流すほど、流します。

雑巾でふきます。/キンカクシのウラまで丁寧にふきます。

社会悪をふきとる思いで、力いっぱいふきます。

もう一度水をかけます。/雑巾で仕上げをいたします。

クレゾール液をまきます。/白い乳液から新鮮な一瞬が流れます。

静かなうれしい気持ですわってみます。/朝の光が便器に反射します。

クレゾール液が、糞壺の中から、七色の光で照します。

便所を美しくする娘は、

美しい子どもをうむ、といった母を思い出します。

僕は男です。

美しい妻に会えるかも知れません。

『美しくするのが僕らの務』『美しい世の中もこんな所から出発するのでしょう』という思いが汚れたものをきれいにする便所掃除に立ち向かう心意気なんですね。掃除の様子がリアルに描かれていますが、『社会悪をふきとる思い』で一生懸命掃除する作者の姿が強い迫力で伝わってきます。掃除を終えた後の『朝の光が便器に反射する』様子や『七色の光』が目に見えるようです。一つ一つの小さなできることから、美しい世の中にするための一歩を刻んでいきたいものです。

最後の四行が心に残ります。きっと、作者は美しい妻に会い、美しい子どもを得ることができたのではないかと思います。美しい妻になった女性は、作者と同様に汚いものをきれいにすることにためらいなく取り組むことのできる内面からあふれる美しさを持った女性だと思います。

美しいものの意味や大切さ、汚いものを美しくすることの意味や価値について改めて考え、美しい世の中にする小さな一歩を実践できたらと思います。


ヒマワリを見て想うこと

2010-08-24 09:47:11 | インポート

暑さにも負けず、庭のヒマワリがきれいな花を咲かせています。

庭にたくさんの太陽が舞い降りてきたかのようです。

このヒマワリの咲いている様子を見て、想うことを書き出してみました。

その1 047

タイトル 『夫婦(めおと)花」 ↑

寄り添う感じがちょうどいい具合で、夫婦花と言った感じがします。心からの信頼と愛情が、こぼれるような花の笑顔から伝わってきます。青い空にしっかり溶け込みさわやかなカップルといった印象です。年齢にとらわれず、こんな花のカップルでありたいものですね。

その2049 その3050

タイトル『求める理想』               タイトル『輝く笑顔』

高い理想と志をもった立ち姿です。       笑顔が輝いています。

求めるものをしっかりと見つめ         「原始女性は太陽であった」に ふさわしい

力強い葉に、その強い意志も感じます。    輝きをもった 女性の姿が見えてきます。

凛とした生き方を心がけたいものです。    空に負けない明るい輝きの持主なのでしょう。

その4052

タイトル『無邪気な子どもたち』

大きなヒマワリたちの下に咲く、小さなヒマワリたち。

じっと見ていると、子どもたちのにぎやかな声が聞こえてきそうです。

あっちを向き こっちを向き それぞれが さまざまなものを 見つめ、思い、感じながら

活発に 動き回る子どもたち。

見ているだけで、思わず微笑んでしまう咲きっぷりです。

暑い日が続いています。

猛暑に負けず、ヒマワリのようなハートで頑張っていきましょう!