◆新聞の特派員報告の中に,「大草原からの厚意」と題する記事がありました。
草原の国モンゴルで,『日本の被災者に羊をあげたい』という遊牧民がいると聞いて,現地にいる特派員が取材に行ったとのこと。遊牧民なので住所もわからず,84歳になる遊牧民のリーダーだった人に道案内を頼んだ。吸いこまれそうな青空の下,道のない草原に車を走らせ,リーダーの指示通りに右や左に曲がり,いくつもの小さな丘を越えると,遠くに羊の群れが見えた。その群れの中に,真っ黒に日焼けした顔をくしゃくしゃに崩した男性が立っていた。捜し求めたガンバートルさん(50歳)だった。『私の羊は300キロほど先にもあと700頭いる。1頭の羊はたいしたもんじゃないけどね。困っている日本人のことを,私が気にしていると伝えたいと思ったんだ。』
特派員は,(世界はとてつもなく広く,いろんな人が生きている。そして,ここにもまた,日本の被災者のことを思ってくれている人がいた。)と感じ,目頭がぐっと熱くなったとのことです。
→ 特派員の方と全く同感です。こんなに遠く離れた所でも,まるで身内の人のように遠い日本の被災者の方を想い心から心配している人がいるのですね。世界の広さと温かさを感じます。
◆カンボジアの地雷原だった畑で栽培した綿を,日本のNPOの支援を受けて紡ぐおばあさんたちが,3・4月で集めた義援金23万円を日赤と福島県浪江町に寄付しました。23万円は,おばあさんたちの工賃の3年分にあたるとのこと。『私たちは同じ人間。私たちもポルポト時代に(家族を失い故郷を追われ)苦しんだ。』というメッセージを込めた義援金だったとのことです。
→ 深い悲しみを体験したからこそ,被災した方々の思いを汲み取られたのですね。その思いの深さと温かさに心が打たれます。心のこもったとても尊い義援金ですね。
◆宮城県七ヶ浜町で国際交流員として働いていたアメリカ人女性マーティー・ミックエルリースさん(23歳)は,アメリカ大使館が原発80キロ圏からの退避勧告を出して用意したバスには乗りませんでした。『ここが私の家,残ります。』と決意し,震災以来避難所で献身的に働き,子どもたちから『マルちゃん』の愛称で親しまれています。
→ 写真では,笑顔のマルちゃんに体を預けるように微笑んでいる子どもたちが写っていました。献身的に働くマルちゃんだからこそ,子供たちにも信頼されているのだなと思いました。
◆釜石のラグビーのクラブチーム『釜石シーウェイブス』のキャプテン:元ニュージーランド代表のピタ・アラティニ選手(35歳)は,他の3人の外国人選手とともに釜石にとどまり,支援物資の運搬や病院での介助活動に取り組んでいる。『町あってのチームだから,仲間をおいていくことはできない。これからもみんなの笑顔がみられるよう,一緒に頑張る。』
→ 仲間という言葉は,こんなにも温かくて強い心のつながりを示す言葉だったのですね。『釜石シーウェイブス』というチームを,心から応援していきたいと思いました。
世界中の人々から,今もさまざまな支援の手が差し伸べられています。同じ地球に生きる人間として困っている人・悲しんでいる人・苦しんでいる人のために,何かをしないではいられない。そんな世界中の人々の温かい思いがまっすぐに伝わってきます。
特派員の記者の言葉ではありませんが,とてつもなく広い地球に とてつもなく心の温かい人々が とてつもなくたくさんいることに, 同じ人間としてぬくぬくと温かい気持ちになります。そして,こういった人々と同じ地球に住む同じ人間であることをとてもうれしく誇りに感じます。
今できることを実践していくことで,自らも人間であることを確かめていきたいものだと思います。