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徒然なるMama’s Diary

家族とワンちゃん 飲食 健康 そして趣味の事…
その場その時に感じる色々を書き記す

最近は☆インスタ☆で 遊んでいます~♪

2020年10月14日 | 徒然Diary
こんにちは 毎度ご無沙汰しています。
友人に勧められて 昨年の夏よりインスタグラムを始めることに・・・

ブログを始めたのが15年以上も前で あの頃はよく写真を撮ってましたよね~~
FBを始めた時は セキュリティー面の安心やらも手伝って また違った意味で頑張ってUPしてたのですが
周囲のUPを 見るだけで時間もお腹もいっぱいになり だんだんupの回数も減っていき・・・

そして一時は父の他界で やる気 0ゼロに

周囲がインスタインスタ やってても 
そう言う訳で 今更感しかありませんでした。。

で 取り敢えずアカウント作って 友達のUPに いいね する日々。。

昨年の今頃は 体調を崩すことも多々でしたが
今年の冬(コロナ禍の前)くらいから 何となく 面白くなって

やっと順調なインスタ生活がスタート

内容としては・・・
主に 飼い犬のヨーキー COCOちゃんを中心に写真や動画をUPしてます

 女の子だけどヤンチャなCOCOを レディに見える化作戦

 キッカケは 手作りマスク
    コロナ禍で 家に籠る生活 を如何に楽しくで 始めた手芸も だんだん趣味と言える様に~~


自身のことは インスタ内のストーリーズにUPした後 ハイライトに保存しているので 後からでも見れるようになってます。

ぜひ 遊びに来てください~~ お待ちしています~~
(インスタのアカウントが必要です)
↓ ↓ ↓ ↓
coco.naonao

『山崎』のハイボールと『最高級A5ランクの鹿児島黒牛』

2019年07月18日 | 徒然Diary


昨年の秋、福岡のとあるお店でウイスキーの“ハイボール”を初めて美味しいと思い飲めるようになりました。

注文して飲んだのは『山崎』のハイボールでした。。

スッキリしてて とても美味しい


そしてその時に食していたのは『最高級A5ランクの鹿児島黒牛

絶妙な組み合わせだと思いました。


“美味しい牛肉”好きの私としては 安酒は『最高級A5ランクの鹿児島黒牛』に失礼と思いましたので。。

その店に入る前に 別の居酒屋で和食を食べてましたが そこが今一つで ちょっと気分直しに何気に入った店でした。

そこそこお腹は満たされていたはずでしたが 酒も食事も美味しいいそのお店では

とにかく よく飲んでよく食べました


プレモル生 の後は『山崎』のハイボールを2杯、ラストにもう一回

あのお店 また行きたいです

福岡の大名にある 鉄板焼きの店です。(ネット検索したのですが名前がわからず 地図でマーク )




因みに『最高級A5ランクの鹿児島黒牛』の値段は記憶にないですが 絶対に九州価格、

「東京に戻れば 絶対に食べれないのだから~~。。今の内に食べておかないと

その思いだけで ガッツリ食べて帰りました。。



それで味を覚えた私は また別の機会に『白州』のそれを飲んでみました

もちろん こちらも美味しい

山崎』とはまた違ったサラッと感と深い味わいがありました。和食に合うと思いました。。


そして その次の機会に『知多』にトライ

山崎』とは 比べてはいけないと思いました。

しかし 食事には良く合ってました.


飲み物のお代わりとして『角』を注文したのを覚えています。

ただ 食事したお店が B級でしたので 最初のプレモル生のみが際立ってた記憶だけが蘇ります。


と、どうでもいい話なんですが

それから 遅ればせながらの自宅ハイボール と思って

方々探して回ったのですが“時 既に遅し”ですよ・・・

どーこにも売っておらず 世間では とっくに周知の事実で『』もなし

じゃ~ と『白州』探すもある訳もなく・・・

そしてこの夏 遂にGETしたのが『知多』でした


この話はまた次回に

投稿再開します。

2019年07月15日 | 徒然Diary
こんにちは、1年以上ぶりの投稿となります。

父が他界して とてもとても辛く寂しい日々でした。
しかし 既に 三回忌を終え4ヶ月が過ぎていまして そろそろ立ち直らなければいけませんね

他界して直ぐの頃は『ゆうれい』になってでも出てきて欲しいと人一倍怖がりな私でも思ったほどでした。
また 当初は 折角 夢に出てきてくたのに“声”のない役だったり 何か話そうとする瞬間に夢が終わる・・・

しかし ここ数ヶ月 時々登場する父には しっかりとしたセリフがあり しかも生きていた頃に 発していた聞き覚えのある
フレーズです。たった一言ですが 目覚めた時は とてもとても心が『ほっこり』して 素敵な一日が送れそうな予感さえします。

目覚めてしまえば 一日のルーティーンの始まりで『ほっこり』も何もあったものではありませんが。。

生前 この私のブログを楽しみにしていて 毎日の様にチェックしてくれてました。
私が FB(フェースブック)を初めて goo blog が疎かになってしまった時も チェックしてくれてて

もう お前 やめたんんか?」と言われ「う~止めてはないけど ちょっと別の・・・」と話した時の
父の声がしっかり聞こえてきます。

仏様になった父が 楽しみにしてるかもしれませんので
日々の色々を 以前の様に書いていきたいと思います。

早いもので COCOちゃんも 我が家に来て2年7か月が過ぎ
孫(父にとっての曾孫)も 来月早々に 2歳になろうとしています。

犬好き、子供好きだった父が「 COCOちゃん、アキ君の写真を見せて~」ときっと・・・



それにしても 年月の過ぎるのは早いですね。
その間 色々なことがありましたし 家族の環境もすっかり変わりました。

そして 私は 今 東京と仙台を行き来する生活をしています。
3月で定年した夫の次の仕事が 6/1より仙台でスタート(2年後に東京に戻る予定)

長男は結婚して独立してますし次男も 4/1より一般企業に就職し 地方での研修のため家を出ていますので
必然 そういうことに・・・

体調の方は ここにきてやっと、やっと安定してきています。とにかく上向き
その辺のことも書いていきたいと思います



と言う前置きで 本日はここまでです~~。。

書き記していたものが 下書きとして残ってました・・・。。

2018年05月09日 | 徒然Diary
タイトル ≪3月に他界した父のラストのこと・・・その5。。≫


≪本文≫

『2月の帰省時に 家族会議の結果 ブドウ糖の点滴を再開してもらうように医師にお願いしました。

緩和ケアのあり方(父自身の身体が死にゆく準備をしている訳であるので・・・)を理解し 飲食が出来なくなってももうそれは・・・
と仕方のないことと受けていたつもりでしたが 

次男から“何故?点滴をしないの?”“もう延命はしないんだね?”と 何気につぶやかれ
その言葉も無視できないと思ったので 2月12日 昼食の席で 弟家族や長男・次男ともう一度話し合い そうなりました。

医者の経験とデータ的には もう本人の寿命は決まってるので してもしなくても変わらないと思うが ご家族様が納得出来ないのならば・・・
と言うことでした。

この壁にぶち当たった人、家族は多いはずですが 皆さんどうされてるのだろう~~~


でも 私たちからすると 栄養補給のお陰で 少し元気になった父と会話を楽しめたことは とてもとても幸せなことだと思います。

このあと』


きっと、きっと、涙が止まらなくなり もう書けないと思って下書きとして納めたのでしょう~~
文章のラスト「このあと」の後に何が書きたかったか気になりますが 

私の記憶では 父の容態としては 昼間にアップしたブログ「あっという間の1年でした。。」の後半の内容につながるのだと思います。

何れにしても 折角書いていたものなので ここでアップしたいと思います。



あっという間の1年でした。

2018年05月09日 | 徒然Diary
父が他界し1年と2ヶ月が過ぎようとしています。
そして このブログも 1年近く未更新状態のままでした。

もしかしたら もうこのままフェードアウト?? なんて思ってましたが 本日 ふと〈こちらの編集ページ〉を開いてみましたら 
放置状態を反省し 何かしら書こうと思った次第です。。


父の49日を終え 幼馴染とも再会でき 少々ルンルン気分で帰京したのも束の間の1年前のこと
ちょっとした いえ ちょっとどころか 人生初くらいの嫌らしい~~ トラブルに巻き込まれ・・・ (;´д`)トホホホ 

父を亡くした悲しみから 全く立ち直れてないところに よくもまあ~ そんなトラブルを持ち込むものだと
その持ち込んだ連中(→かなり身近な連中)正直 そんなことしてたら、言ってたら 人生いいことないですよ


でも もう今となっては 謝ってきてるし心の優しいapapaさんは 何事もなかったかの様に接しているのです。。

ですので その連中が 誰でどんなイヤ~~~な事件だったかは書かないでおきます。

御浄土の父が 読んで悲しむかもしれませんし

『あ~~ 皆 色々なことがあるのだな~』と思って頂けると助かります~♪

そのトラブルの最中にも 私はそんな事を お首にも出さずに「父のラストのこと」を 涙、涙で綴っていました。
しかし、 ラストのラストの話は トラブルのこともあり 父の本当のラストの場面なので 書き始めると涙 書き始めると

書けませんでした。


と言う訳です。




父のラストの入浴の際 微熱でしたが 医者的には 腫瘍熱とのことでGOサインが

そしてその後 高熱になり 熱が下がらなくなりました。
点滴をして貰ってるのに 尿もでなくなり

その 尿が出ないことを もう体が枯れて行ってるから~ と
看取りの段階を主張していたが

私たちは この急な熱は おかしい?? と。

この熱は どこかしらの感染によるものではないのか?? との問いかけに 
腫瘍から来てると思うが もしかしたら肺炎かも知れないが 調べようがなく 抗生剤を出すにしても・・・ と 

このまま・・・ 安らかに~~ みたいな雰囲気を押し付ける様だった


40度を超える熱が 数日続く中 ある看護師が 父のお腹を押し 残尿があると気づき 

そこでやっと導尿すると 500mlもの濁った尿が出てきた。

細菌により 尿路感染症になっていた。


医者に
「癌で死ぬのは仕方ない、でも この感染が原因で死ぬのは耐えられない

と伝え 抗生物質を点滴してもらう。
薬が効いて 導尿から見える尿は 直ぐに綺麗になる。

熱も格段に下がる。



私たち 素人でも分かるようなことが どうしてプロたちがわからなかったのだろう~?
あくまでも ここは看取りの病院なので その病院に入院して 何か治療を求める家族は なかなかいないようだ。

多分 父と同じ様に感染から発熱するも あくまでも「腫瘍熱です!」 と言われれば 家族はそう認めるしかない訳で。

私たちの方が 医者や看護師にとっては 厄介だったかもしれない・・・ どうせ助かる病ではないのだから。。




熱も少し下がって来たので 父も私たちの問いかけに 頷いたりしてくれたが 日に日に衰弱してるのが分かった。

もう後 余命幾何か??

とっても 辛そうだった。

血圧が とても下がってきたが 昼になると何とか持ち直すを 2回すり返す。

そしてラストの日 3月13日の朝 またまた血圧が下がっていて もう今回は上がることはないかも? と医者に宣告され
私たちは その父の奇跡を信じて 傍にいるしかなかった。


その晩も 母と二人で病室に泊まるつもりで交代で帰宅し身支度を整えて 父の傍らで談笑していた。
父は目を閉じているだけで 耳は聞こえてる、という事だったので 私たちの話は聞こえていたと思う。


話の内容は 父と母の若いころのデートの時の笑えるエピソード
何回聞いても笑える

映画好きの父から映画に誘われるも 当日 父はお金がなく チケットを買わずに映画のポスターの前をウロウロして
母がチケットを買うと付いてきてた~~

中華料理屋さんで チャーハンを注文しソースをかけた父に 

そこの店主が「あんた タメよ! ソースかけたらタメ。。 ちゃんと味付いてる~」 と叱られた話。。等々

父の人柄を称賛しつつ 感謝の言葉も交えて母と仲良く談笑することで 父も安心してくれたに違いない



父が「はっ」と声を上げ

その瞬間 大きな目を見開いて そのまま閉じてしまった。

「お父さん、お父さん、、、」

何度も何度も声をかけたが もう 頷いてくれることはなかった。
時計を見ると 20時15分 だった。。