以前の私は自分が嫌いでしたし、(毒父がつけた)名前も気にくわなかったので、自分の名前に「ありがとう」なんて、とても無理!と感じたと思います。
ところが最近は色々と浄化された(あるいは浄化した)せいなのか、自分のことを嫌っていないのに気がつきました。
名前についても(自分の好みではないので)満足はしてないまでも変なものではないし、父が父なりに考えてつけてくれたということを思って、とりあえず認めることができました。
なので自分の名前に「ありがとう」が容易く言えます。
この変化に自分でも驚いています。
「○○さん(または、ちゃん)、ありがとう」って平気で言えます。(変われば変わるものです)
その本には、さらにこんなことが書かれていました。(以下、紫色の文字は本より)
老人は、もし体のどこかが調子が悪かったら、自分の名前に「ありがとう」と言いながら、さらに調子の悪いところの名前に『ありがとう』を言うといいことが起こると話してくれました。 (文中の「老人」とはペルーの賢者のことです)
そんなこと考えたこともありませんでした。
調子の悪い部分というのは、自分の考え方とか行動によって重荷を負わされているところだとしたら、そこに対して、さらに『困ったものだ!』なんて念を飛ばしたら、その箇所はいっそう大変な状態になってしまうのかもしれませんね。
自分に対して「ありがとう」ということで周波数がかわり様々なことに良い影響がでるように感じました。
by ぱたぱたアニメ館
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事