自分を愛するときに条件をつけようとするのはエゴの仕業なのです。
神は愛の存在であり、私たちも愛の存在であるなら条件は必要ないのです。
(神が与えた)ありのままの自分をそのまま愛せばいいのだとわかりました。
今、至らない自分であったとしても、それを見捨てるような思いは「愛」とは言えません。
エゴがやろうとしているのは、正にそれですよね!?
自分に愛を注ぐのをエゴに妨害されたとき、私たちは愛の欠如に苦しむことになります。
様々な問題の原因を突き詰めていくと、そんな状態(愛の欠如)が見えてくるようです。
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