その雷鳴を聞いていたら、「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」という映画を思い出しました。
主人公であるパーシー少年が、“ゼウスの稲妻”を盗んだという嫌疑を晴らすべく仲間と冒険の旅に出るというストーリーです。
物語のなかで、ある物を集めるために旅をするのですが(見ていない方のために、ぼかした書き方をしております)、そのワンシーンが妙に心に残りました。
パーシーたち一行は、ラスベガスのとあるホテル&カジノへと入っていきます。
そこは賭博に興じる客でごった返していました。
従業員が食べ物をのせたトレーを持って近づいてきて、パーシーたちに食べろと、しつこく勧めます。
それを取って食べると、パーシーたちはそこに来た目的をすっかり忘れてしまうのでした。
そして、ここにいるのは「楽しむため」なのだと思ってしまいます。
なんか聞いたことのあるセリフ!?
人生って楽しむためにあるのだ~!みたいな。
確かに、まったく楽しくなければ、やってられないでしょうが、人生ってそれだけなのかな~?
この世の美味しい食べ物を食べているうち、何か大切なものを忘れてしまったのかもしれません。
この世に来た目的を。
そうこうしているうち人生は過ぎゆき、あの世にいってアッと気がついて後悔するのかも。
そのシーンを見て、そんなことを考えてしまいました。
〝人生は楽しむためだけにある〟という考え方には胡散臭さを感じてしまいます。
そんなとき、パーシーは『目を覚ませ!』という父ポセイドンの囁く声を耳にします。
それで我に返った彼は、仲間とそこから脱出するのでした。
この人生においての私たちの目的は、輪廻から脱することではないでしょうか!?
ただ楽しみを追求するだけの人生では、脱する方向には行きそうにありません。
だから、真の自分(神=愛)をあらわすような生き方も必要であると感じるのですけどね。
一つの人生が上手くいったとしても、次の人生が上手くいくという保証はないわけで、狂ったメリーゴーランドのように降りられなくなったら嫌だわ!
もっとも、人生は一度だけと思っている人には通じない話かもしれないけど。
確かに肉体をメインに考えれば一度ととらえられますが、意識においては違うように思うのです。
雷から、このようなお話になってしまいました。ここら辺で。
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