解脱を願う者にとって、本を読むことはどんな価値があるのでしょうか?
すべての聖典は、解脱を得るためには心を静かに保たねばならないと説いている。だから、すべての聖典の結論は、心を静かに保つべしということである。ひとたびこのことが理解されるなら、際限もなく本を読む必要は何も無い。心を静めるために、人はただ、自分自身の内に自己とは何かと問いつづけるべきである。聖典を読むことによっては、この探求はできない。人は自分自身の智慧の目で、自身の自己を知らねばならない。自己は(*9)五つの覆いの内側にあるが、書物はその外にある。自己は、五つの覆いをはぎ取ることによって探求されるべきものだから、それを書物の中に求めることの愚かしさは、言うまでもない。やがて、彼が勉強したすべてのことを、忘れ去らなくてはならないときが来るだろう。
『ラマナ・マハリシの教え(めるくまーる社)』 … 私は誰か ⇒続く
すべての聖典は、解脱を得るためには心を静かに保たねばならないと説いている。だから、すべての聖典の結論は、心を静かに保つべしということである。ひとたびこのことが理解されるなら、際限もなく本を読む必要は何も無い。心を静めるために、人はただ、自分自身の内に自己とは何かと問いつづけるべきである。聖典を読むことによっては、この探求はできない。人は自分自身の智慧の目で、自身の自己を知らねばならない。自己は(*9)五つの覆いの内側にあるが、書物はその外にある。自己は、五つの覆いをはぎ取ることによって探求されるべきものだから、それを書物の中に求めることの愚かしさは、言うまでもない。やがて、彼が勉強したすべてのことを、忘れ去らなくてはならないときが来るだろう。
『ラマナ・マハリシの教え(めるくまーる社)』 … 私は誰か ⇒続く
ラマナ・マハリシの教え | |
ラマナ・マハリシ/山尾三省(訳) | |
めるくまーる |