白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

307. 片耳の男

2014年09月14日 00時18分27秒 | 神隠しの惑星
 花の咲き乱れる草原に点在する青い泉。私は長いことその泉のひとつにいた。でも花の匂いも鳥の声も水や空の青さも気づかなかった。何も見たくなかった。聴きたくなかった。感じたくなかった。誰とも会いたくない。話したくない。触れられたくなかった。天国のような美しい惑星で、私は長いこと、自分だけを憐れんで閉じこもっていた。

 だからその惑星で一番最初に私の見たものは片耳の男の顔だった。男、と呼んでいいんだと思う。その人はふさふさした長い耳としっぽを持っていた。私が生まれ育ったヨウロの森には獣人タイプの異星人はいなかった。でも不思議と怖くなかった。姿かたちの違いよりも、その男が傷だらけなのが気になった。手足も顔にも縦横に傷が入っていて、新しい傷から血を流していた。左の耳は長くてふんわりあごの下まで下がっているのに右の耳はザックリ切れている。だがその男は傷など気にしていないようだ。血のしたたる腕を伸ばし、私にお粥の乗ったスプーンを差し出す。

「ダール。ダール・ダン・リーム」

 その男の言葉はわからなかった。でもいつもそう繰り返す。

「リーム」

 私は黙ってしばらく男の顔を見ていた。差し出されたスプーンにぼんやり目を移す。

「ダール。ボー。エスダ・ボー」

 辛抱強くスプーンを差し出していたが、男はため息をついてお粥の椀を地面に置いた。杖をついてかなり苦労して立ち上がり、ひょこひょこと私から離れていった。どうやら泉のある石室から外に出かけたらしい。しばらくして戻ってくると、また苦労して私の傍に座って今度は何か赤いものを差し出した。

「ダール」

 赤くてツブツブしていて透明だ。ヨウロの森でよく摘んで食べたクマイチゴに似ている。男はひとつ自分の口に入れて見せた。

「ボー。エスダ・ボー。ダール」

 差し出しながら、あーんと言うように自分の口を開ける。私も釣られて口を開けた。男がそおっと赤い実を私の口に入れる。
 甘酸っぱい。見かけはクマイチゴそっくりだけど匂いが違う。ヤマブドウみたいな香りだ。

「ボー? (うまいか?)」

 男がすがるような目で問うので、私はまた釣られて答えた。

「ボー (うまい)」

 これが、私が最初に覚えたイドラの言葉だった。




 毎日少しずつ言葉を覚えて、毎日少しずつ健康になっていった。ひどい栄養失調で立つこともできなかったのが、石室の中を這って移動できるようになった。天気の良い午後には、男が私を抱き上げて石室の外の日当たりの良いところに連れて行ってくれた。そしてひとつずつ指さしながら私に言葉を教えてくれる。

「フォーグ(鳥)」
「ニース(トンボ)」
「ブルー(花)」

 私は自分を指さして、「スオミ」と言った後に男を指さした。男は何を聞かれたかわからなかったようだ。もういっぺん繰り返したら、やっと名前を教えてくれた。

「ムーア」

「ムーア」

 何だかうれしかった。誰もいない土地で、弱った自分を世話してくれているおじさんの名前がわかった。

「ムーア、ボー・ニル(こんにちは)」

 多分私は微笑んでいたと思う。とにかくその時知っている言葉で何か伝えたかった。ありがとう、という言葉はまだ知らなかった。おじさんの腕をぎゅっと握って、

「ボー・ニル、ムーア」と繰り返した。

 おじさんは挨拶を返してくれなかった。微笑み返してもくれなかった。何だか苦しそうな顔をして向こうを向いていたと思うと、急に立ち上がって茂みの方に行ってしまった。毎日、おじさんがその白い花の灌木に分け入って木の実を見つけて来てくれる。また木の実を見つけたのかな、と思ったが同時に何か言葉を間違えたのかもと気になった。気になったけれど、もうそれ以上目を開けていられなかった。寝床を出て1時間ばかり身体を起こしていただけで一日分の力を使ってしまった。私は眠りに落ちながら、おじさんに忘れずに聞いてみなくっちゃと考えていた。ありがとうって何と言えばいいのか。どうしておじさんはあちこちケガをして苦しそうなのか。どうして一度も笑ってくれないのか。どうしてこんな風に私を大事にしてくれるのか。

 忘れないできっと聞かなくっちゃ。でも今は眠い。引き込まれるように眠い。

 私には忘れていることがたくさんある。自分がどうしてここにいるのか。ここは多分ヨウロじゃない。首都の方では異星人が多いからこんなしっぽを持つ人がいたかもしれない。でもここは首都圏周辺の近代都市には見えない。石室にもその外にも、ここに来てから機械を見たことがない。暖房も料理も焚火なのだ。絵本で読んだ原始人みたい。ここはどこだろう。どうして私ひとりこんなとこにいるんだろう。お祖母ちゃんはどこ。ダディはどこ。ここはどこ。でも今は眠い。頭がしびれるように眠い。そして眠くなるといつも聞こえてくる声。

”今はお眠り。何も考えずにお眠り。元気におなり”

 そうだ、私はこの花畑に来る前、何日もこの声を聞いていた。この声だけを頼りにここにやって来た。でもムーアおじさんの声とは違うみたい。それに何人も一緒にしゃべっているみたい。歌うように。

”お眠り。元気におなり。今は何もかも忘れてお眠り”

 そうだ、元気にならなきゃ。そして聞いてみなくちゃ。あなたは誰。ここはどこ。私はどうしてここにいるの。



 私が元気になるにつれて、ムーアおじさんは元気が無くなるみたいだった。木の実を探して岩場を登るにも息が切れるし、もう私を抱き上げたりできない。代わりに私は身の回りのことが自分でできるようになった。ムーアおじさんに教えてもらって食べられるキノコ、コケ、芋の生える草、薬草も覚えた。毎日、朝と晩におじさんがお茶を淹れてくれていた。私用とおじさん用で薬草の組み合わせが違う。おじさんのは苦かった。お粥も作れるようになった。熾きから火を起こせるようになった。
 だんだん寒くなって来るとおじさんは咳き込むようになった。私は薬草のお茶や湿布を用意して手当てしたけれど、おじさんの顔色は悪くなっていくばかりだ。

 ある朝、おじさんは身体を起こすことができなくなった。身体全体が熱を持っていて息が苦しそうなので、布を水で濡らして頭に載せた。
「ムーア、お腹痛い? 水飲む? お茶もあるよ。お茶飲める?」
 私の言葉にも何も答えない。腕を伸ばして私の手を掴む。何か言いたそうなのに声が出ないようだ。
「なあに。何が欲しいの? ムーア、お水? コケモモのジュース作ろうか?」

 どうしたらおじさんが元気になるのかわからない。このまま死んじゃったらどうしよう。涙が出そうになったけど泣いちゃいけない。おじさんを助けなくちゃ。
 重いおじさんの身体を起こしてどうにか薬草のお茶を飲ませた。一口、二口、温かいお茶をどうにか飲み込んだものの、首を振ってそれ以上要らないという。身体を起こしている間に、炉辺に敷いていた温かい毛布を持って来てお布団の上にかけた。肩掛けももう一枚かけた。
「ムーア、寒くない? お水は?」
 おじさんは首を振ったが、そのまま急に咳き込むと床に両手をついた。ぐふっという声がしたと思うと、口から大量の血を吐いた。二、三回、ごっごっというような声を漏らしながら血を吐くとそのまま、血だまりの上に倒れた。
「ムーア! 痛い? 苦しいの? ムーア!」
 咳き込んで息が詰まっている。何とかおじさんの身体を横に向けて口の中の血がノドをふさがないようにした。毛布も服も血まみれだ。
「ムーア!」


 血まみれの床。血まみれの壁。血まみれの服。血まみれの手。真っ赤な顔。とぎれとぎれの声。震える手。

 私、知ってる。前にこんな風景を見た。

 眩暈で気が遠くなりそうになった。でも私の手を握るおじさんの手の力で、何とか意識をしっかりした。何とかしなくちゃ。


「助けて! 誰か助けて! ムーアが死んじゃう! ダディみたいに血まみれで死んじゃう! 誰か!」

 自分が声を出していたかよく覚えていない。とにかく精一杯叫んだ。助けを求めても、この土地ではおじさんしか知らない。でも誰かいるのを知ってる。子守唄を歌ってくれた声。優しい声。眠りの中で聞いていた。

「こっちだ、スオミ。こっちに飛べ」

 男の人の声が聞こえた。

「こっちってどこ。どこに行けばいいの。おじさんは重いの。私、運べない」

「大丈夫だ。ムーアの手を握って、飛べ。君は飛べる」
 別の声が聞こえた。
「大丈夫。私たちを信じて。手を伸ばして」
 女の人の声も聞こえた。


 誰? ただ声が聞こえるだけで顔が見えない。でも私は知っていた。7人の声。5人の男の人と2人の女の人。優しい声。私を心配していつも歌ってくれていた。夢の中で。

「こっちへ!」

 私は手を伸ばした。そして落ちた。光の中に。おじさんと一緒に。




そこは上も下もない世界だった。まるで水の中みたい。冷たくも熱くもない。ぽおっと青く光る空間に、私とおじさんはいた。
 大きなまん丸い泡の中に、私たちは浮かんでいた。そしてその泡を囲んで7人の人が立っていた。

 立っていた、と言ってもその人たちの足元に床らしきものは見えない。彼らの下にも上にもほの暗い薄青い空間が広がっているだけだ。私たちの入っている泡が大きな電球のように光を放っていた。目がくらんで7人の人々の顔がよく見えない。

「スオミ、よく来たね」
「ずいぶん元気になって。ムーアに任せて良かったこと」

 穏やかに語りかけてくる彼らの様子がのん気過ぎて私はいらいらした。早くおじさんを助けて欲しい。でもこの人達は? 信用していいの?

「信用してくれていい」
 7人の中のひとりの言葉にショックを受けた。私の心が読まれている! そうだ、この人達を私、知ってる。この星に来る前から、私知ってる。

 星に来る前から? 私、どうやってここに来たの?

「そうだ。我々が君をここに招いた」

 そうだ、この人達がずっと語りかけてくれていた。私を助けてくれた。逃げて来た私を。でもどこから? ああ、でもそんなことどうでもいい。

「そんなこといいわ。とにかくおじさんを助けて! 血を吐いたの。震えているの。手が冷たくて……」

 7人は押し黙って私を見つめている。暗がりにいる彼らの顔はのっぺらぼうのように見えて表情が読めない。

「助けてもいい。でも君は本当にそれを望むかね?」

 私が望むかって? 当たり前じゃない! 私は腹が立った。

「おじさんを助けて! もしおじさんが死んじゃったら、ダディみたいに死んじゃったら私は」

 そこまで言って急に言葉に詰まった。そうだ。ダディは死んだ。血まみれで。このムーアのせいで。


 渦に巻き込まれたように、いっぺんに記憶が戻って来た。緑深いヨウロの森。私はそこで育った。お祖母さんと2人。

 5歳まで、私には母の記憶が無かった。2歳の時に亡くなった祖父のことは何となく覚えている。家のあちこちに写真が飾られていたし、祖母が折に触れて思い出話をしてくれていたからだ。祖母の話がまるで自分自身の記憶のように心に根付いている。2歳の私がわかったはずもない祖父の語りかける声や抱き上げてくれた時のパイプの匂い、がっしりした肩から見下ろす森の風景の鮮やかさをありありと思い描くことができる。でもそれは祖母が私にかけた魔法だった。
 祖母はそういうのが得意だった。近所の人が夢占いに来て、悪い夢だといい夢にすり替えたりしていた。私の記憶も、祖母がすり替えたのだ。私を守るために。

 私は生まれた時から逃亡者だった。父は特殊能力を持つ子供の神経生理を研究する若いドクターで、母は被験者だったのだ。父のいたアカデミーを創設したクラメル博士は、児童心理学者だった。その頃、特殊能力者は一定の割合で生まれていて、それほど珍しがられるわけでもなく、自閉症の一種ぐらいに思われていた。自分だけに見える色、自分だけに聴こえる声。不安にかられた時に動き出すオモチャ達。家族に気味悪がられ、自分でも能力を持て余して精神を病む子供も少なくなかった。博士は薬物や音楽療法、作業療法などを併用して、子供が能力をコントロールして周囲と折り合い、自立できる方法を探していた。
 母は祖母の勘の良さを受け継いでいた。祖父も祖母の風変りな能力に慣れっこになっていたし、その頃住んでいたロタヤ村は母のように”飛べる”子供がけっこういた。心を飛ばしたり、枯葉を自由自在に飛ばしたり、自分自身を風に乗せて飛ばしたり。だから母はあまり自分を特殊だと思わずに育ったのだ。クラメル・アカデミーの研究者は何年も、ロタヤ村の子供たちを観察していた。アカデミーの施設に入院している子供たちにも、この子たちのように伸び伸びと自分の能力を受け入れて前向きに人生を生きて欲しい。最初はそういう純粋な熱意だったのだ。
 私の母、エルミの能力は村の子供たちの中でも群を抜いていた。そして美しかった。銀色に輝く波打つ髪。澄んで明るく輝く湖のような瞳。父、カイが一緒にアカデミーに来て子供たちを助けてほしいとかき口説いた時、すでに父は母に恋していたんだと思う。そしてそれが悲劇の始まりだった。

 何がきっかけだったのだろう。銀河連邦と植民星団連合と星間ゲート航路を一手に支配しているシュバルツシルト同盟の三大勢力が、互いにせっつき合ってそれなりに保ってきた均衡が崩れ始めた。そしてその頃、星団のある研究者グループが不思議な石を手に入れた。
 "ホタル石" それは燐光を放つもろい石で、辺境のパイロットの間でドラッグのように取引されていた。数ミリグラムの粉末を水を張ったコップに入れると薄青く光り始める。暗い部屋に集まってその光を浴びてトリップする遊びがヴェガ星系の小惑星都市で流行り始めていた。直射日光を浴びるとすぐに真っ白に劣化して砕けるその石は、黒い皮袋から出して水に入れても数時間でその光を失う。取扱いが面倒な上に、ほとんど表の商取引に出てこないシロモノだった。その上、”事故”が相次いで禁制品になってしまった。つまり適量を超えた光を浴びて死ぬ若者が後を絶たなかったのだ。そしてその現場は必ず、竜巻が直撃したように破壊されていた。
 その研究者グループは薬の売人を通じてわざと過剰量の石の欠片を流して、データを集めた。そして適合者を集めていった。適合者ーーーホタル石でトリップして周囲を破壊した者は97.6%、その場で死んでいた。脳内出血か心臓発作か、あるいは自ら壊した建物に押しつぶされて。あるいは錯乱状態で破壊行動を続けた末に他者に殺されて。石で”力”を発動させた被験者が生き延びて、無事に研究者の手に渡る確率は1%以下だった。それでも彼らは割と早くその事実に気づいた。適合者は生まれつきある因子、つまり勘が良いとか予知夢を見るとか、あるいは小さな物を浮遊させられるような、いわゆる特殊能力をもった人種であるということに。

「その頃、君の父親が働いていたクラメル・アカデミーに来た数名の研究者の中にミカル・マイリンクという男がいた。彼はカイより2つ年下ですぐ親しくなった」
「だがそのミカルは、つまり、その研究者グループの一員だったのだ。そして秘密裡にアカデミーの子供たちを被験者にしてホタル石の実験を進めた」
「データを集めても、”実用化”の可能性は無かったのですよ。星団が保有しているホタル石はごく限られた量だった。そして上層部が欲しいのは”軍団”だったから。それがーーー10年ほど前、産地不明で辺境でごく稀に流出しているだけだったホタル石のーーー2キロもの塊りが星団の手に渡った」

 薄青い上も下もない空間に浮かびながら、7人の顔の見えない人々は代わる代わる淡々と話している。

「その塊りを持ち出したのがムーアだった」

 知ってた。私、知ってた。
 この星に着いた時から。ムーアと会った時から。

「ムーアのひとり息子が高熱を出してね。彼は薬代が欲しかったのよ。ムーアは泉守りの家系で、ホタル石の管理者。ホタル石を祀るシャーマンであり族長の家の者だったの」
「彼らの住むイドラと、このペトリは二重惑星なのだ。我々はホタル石の力を使って、2つの星の間を行き来させていた。生き物や食物や薬草や、時には人も」
「この太陽系の恒星はまだ若い変光星で、1年の3分の2は通信遮断、航行不可能という星系なのだ。だからずっとペトリがホタル石の産地だと知られることはなかった」
「ムーアから石を買った人間は、ホタル石が錯乱に苦しむ子供たちの特効薬になるのだと説明していたの。実際、そう彼自身も信じているようだった。組織の末端にいる人間で、手に入れた薬が何に使われるか知らなかったのだと思うわ。もちろん高額の報酬にも踊らされていただろうけど」

 ホタル石の塊りを手に入れたことで、アカデミーでのミカルの実験は急速に進んだ。つまりより多くの被験者により多く投与できるようになったのだ。ホタル石の効果を持続させつつ、被験者の精神を損なわず、要求された力を発言させる研究。アカデミーでの薬剤治療や脳波コントロール、催眠療法のノウハウがそのまま応用された。コントロール法が確立するにつれて、ミカルはより強い能力者を被験体に選び始めた。そのひとりがスオミの母ーーーエルミだった。

「クラメル教授も君の父親も、当初ミカルの意図に気づかず研究に協力していたのだ。実際、ホタル石と数種の薬剤、額や耳に装着するコントロール器具のおかげで、重度の抑鬱状態や錯乱を繰り返していた子供の多くが日常生活を送って、才能を発揮できるようになっていた」
「その陰で、ミカルは軍部にプレゼンテーションを繰り返していた。ホタル石の適合者は、薬剤とコントローラーのさじ加減ひとつで、簡単に命令に従った。言われるままに、高速稼働しているリニア客車にテレポートして指示された要人だけを殺すことも、あるいはもっと単純に軍事ターミナルを指さすだけで破壊できた」

 私、知ってた。父はミカルの計画を知ると、すぐに母をアカデミーから連れ出して彼女の祖父母に預けた。そして連邦警察に情報を流して、被験者を保護を願い出た。

「だがカイとクラメル教授が協力を仰いだ捜査官がね、相手が悪かった。つまり星団勢力を削ぐ情報を集める同盟のスパイだったわけさ。そのどさくさに紛れてミカルの助手だったブラニクという女性が数名の被験者と数十グラムのホタル石を持ち出して同盟に寝返った。クラメル教授とアカデミーの研究者7名が殺された」

 そして私の逃避行が始まった。私を逃がすために、母も祖父も祖母も、そして最後に父もーーー私を脱出ポッドに押し込んだ直後に亡くなった。私はポッドで一週間漂流して、この顔の見えない7人に誘導してもらってこの惑星、ペトリにたどり着いたのだ。
 私は生まれた時から逃亡者だった。なぜなら私の能力が、アカデミーのこれまでの被験者の誰よりもーーー母よりも強かったからだ。

 ムーアは禁忌を破ってホタル石を売った後、代価を妻に託して姿を消した。ホタル石がつなぐゲートを抜けてーーーイドラからペトリに渡って隠遁していた。もう家族にも同胞にも合わせる顔が無い。そして間もなく、ホタル石が何に使われているか知った。

「それをムーアに教えたのは私たちだ。ムーアは命を絶とうとした。それを止めたのも私たちだ」
「死ぬよりつらい罰を受けろ。自分のしたことを引き受けろと言った」
「私たちはあなたがこの星に来るのを知っていたの」

 私、知ってた。言葉で伝えられたわけじゃない。でも彼ら7人の声も、ムーアの思いも、私には見えた。聞こえた。私を守って死んだ祖父母も、母も、父のことも、自分ひとり生き残ったことも、誰ひとり知る人のいない土地にたったひとりで流れ着いた絶望も、私を錯乱させた。真空の渦を生み出して自分自身の身体を切り裂いた。

 そんな私を抱きしめて、語りかけ、何とか食べ物を食べさせ、寝かしつけ、生きて行く気持ちを取り戻させたのはムーアだった。私のカマイタチに切り刻まれながら。


「彼を助けてもいい。だがスオミ、君はそれを望むかね?」

 ムーアは血まみれの毛布にくるまって足元に転がっていた。顔色はドス黒いといっていい。時々、指先や肩がぴくっと動くが、もう咳込んでいない。呼吸が細かった。

 右耳が半分しかない男。足が不自由で、身体じゅう傷だらけの男。おそらく内臓も何度もズタズタになったに違いない。そしてずっと私に話しかけ続けた。

「ダール。ダール・ダン・リーム」ーーー”食べろ。食べて、生きなきゃいけないよ”

 この人がいなかったら。私は今も、ヨウロの森で、両親や祖父母に囲まれて暮らしていたかもしれない。あるいは森にひっそり隠れ住む必要もなく、両親の故郷のロタヤ村で他の子供たちを転げまわり、空を飛んで遊んでいたかもしれない。
 この人がいなかったら。私はこの星にたどり着いて、自分のポッドの後ろに父のポッドが付いて来ていなかったと知った瞬間に、私は死んでいたかもしれない。真空の渦で自分自身を切り裂いて。

「助けて」
 その言葉を口に出すと、涙が流れ落ちた。
「おじさんを助けて。何をした人でもいいの。おじさんは私を助けてくれたの。ずっと、おじさんだけだったの。私、おじさんに死んで欲しくない。助けて。助けてください」

「わかった。スオミ。君の願いを聞こう」
 その言葉が聞こえた瞬間、辺りが白く明るく輝いて、私は水流に巻き込まれた。今までほの暗い空間にいて顔の見えなかった7人ーーー彼らの身体が急に伸びた。髪や衣服に見えていたゆらめく影が消えて輪郭がはっきり見えた。長い長い首。長いしっぽ。なめらかなひれ。頭だけで私とおじさんが乗れるほど大きい。昔、図鑑で見た海に棲む恐竜みたい。でも彼らは半透明で青白くぼおっと光っているように見えた。

 7人の巨大な竜の真ん中に大きな泡が浮かんでいて、その中におじさんが漂っていた。私は水の中に浮かんでいたけれど……息は苦しくない。私は水の中で息ができる。試したことはないけれど、多分、宇宙空間でも平気だと思う。そんなこと、全部忘れていたけれど。

「ムーアはしばらく私が預かりましょう。石の光の傍で数日眠れば体力を取り戻すと思うわ。その後は薬湯治療ね」
 竜の中のひとりがおじさんの泡をのぞき込んだ。どうやらこの竜は女性らしい。

「君はこの星に来て、父親の死を知った時に自分を責めて錯乱が続いてね。それでしばらく記憶を塞いで、ムーアに任せたのだ。我々と接触するとテレパスでいろんな事情を知ってしまう。まずは何もかも忘れて体力を取り戻してもらおうと思った」
 ミナトと名乗った竜が説明した。
「ムーアは泉守りの家系なので薬草にも詳しいのよ」
 先ほどの女性の竜が付け加えた。彼女はククリと名乗った。
「あなたがムーアになついて良かったこと。きっと彼にとっても救いになったと思うわ」
 もうひとりの女性の竜、スセリが付け加えた。

「救い……だって私はおじさんを傷つけたわ。あの耳も足も。記憶は無くても、きっと私はいっぱいおじさんを責めてしまった。八つ当たりしたのかもしれない。私は消えてしまいたくて、おじさんを巻き込んでしまった」
 涙が止まらない。おじさんをなじりたいのか、おじさんに謝りたいのか、自分でもわからない。でもおじさんに死んでほしくなかった。
 私はまだ、”ありがとう”という言葉を知らない。あの時、おじさんにありがとうと言いたかったのに。私が笑いかけると、何故おじさんが苦しそうに目を背けたのか、今わかった。何故おじさんが私に笑い返してくれなかったか、今わかった。

 ううん。私、知ってた。わかってた。心を閉ざしても、どこかでーーーおじさんを信じてた。おじさんが好きだった。おじさんにありがとうと言いたかった。

「何、慌てなくていい。まだ時間はあるさ」
 カリコボがのんびりした声で言う。
「さてな。臓腑にできものがあるようだ。しばらく療養しなくちゃならんが」
 ヤマワロもおじさんの泡をのぞき込んでいる。
「まあ、もうしばらく寿命はあるだろう」
 ノヅチが付け加える。寿命……イドラの人々はどのぐらい生きるのだろう。おじさんは何歳なんだろう。あとどのぐらい、一緒にいられるんだろう。
「スオミ。おまえ、ムーアの世話ができるのか?」
 ヤトと名乗った竜が私の顔をにらむように見る。私はちょっとむっとした。
「できる。おじさんに薬湯の作り方を習ったもの。薬草もわかるようになったわ。それに」
 私は7人の竜を見渡した。
「あなたたちが教えてくれるんでしょ。おじさんがこの水から出られるようになったら、私、看病する。きっと元気になる」

 ヤマワロとカリコボが頭を震わせている。どうやら笑っているようだ。
「さて。そんなに気張るな。もちろん我々も助けるよ」


 おじさんはそれから半年、私と一緒に暮らしてくれた。おじさんが亡くなった後、遠い星からこの惑星に船が下りて来た。もうない星の記憶を持って。でもそれはまた別の話。これからの話。お隣りのイドラーーー神隠しの惑星のお話。










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