年の離れた妹がずっと待っていた人が、杜に現れた。妹といっても血は繋がっていない。私の祖母が、“私たちに絶対必要な子なの。私たちにはなかった因子……魔女の系譜を継ぐ女の子。それに……とても優しい子なの!”と言って見つけて来た少女だ。我が家の養女として迎えて8年になる。彼女のおかげで祖母……桜さん(私たちの杜は女性がやたら多いので、役割でなくファーストネームで呼ぶ習慣がある)は随分元気になった。……訂正しよう。桜さんはもともと元気だった。結界の要という負担のために、身体は弱かったが、無敵だった。瑠那が来てくれて、桜さんはますます無敵になった。
真っ直ぐで優しい気質の子で、施設から引き取ってもらった、という気負いもあったのだろう。うちに来た当初など特に、いつもコマネズミのように走り回って、神社の雑用や家事を手伝っていた。桜さんや私を守らなくちゃ、という意識もかなり強かったと思う。鳶之助の育児も随分助けてもらったし、理屈抜きに可愛がってくれている。でもいつまでたっても、瑠那は本当の意味で私たちの家族にはなれてなかった気がする。つまり……瑠那は私や母、桜さんや祖父に甘えてくれないのだ。一番、気のおけない会話をしてるのは、のんちゃん……下宿人の望さんのようだ。麒次郎……私の最初の夫の弟で、今の夫なのだが、彼に対しても私よりよっぽど腹を割って話しているように思える。これは別の話になるけれども、瑠那に限らず、私に腹を割って話してくれる人はいない。私はどうやら、相手に緊張を強いてしまうようなのだ。まあ、私はいろいろ変わっているから仕方ない。私も変わっているし、私の家族も変わっているし、私の属する杜……住吉神社も、風変わりと言うにはいささか言葉が優し過ぎる、不可思議で不条理な事情を山程抱えている場所なのだ。私は妹が出来るのはうれしかったけれど、住吉に来ることで、うちの複雑な事情に瑠那を巻き込むことは、心配だった。私たちのために、瑠那を利用しているのでは? 利用するために養女にしたのでは? 何より瑠那が、そう感じているのではないか、ということが気懸かりだった。少しずつ瑠那は打ち解けて、私のこともサクヤと呼んでくれるようになったが、懸念事項が消えないうちに、彼女はイタリアで行方不明になった。行方不明というか、行方はわかっているけれども、日本に帰って来れない事情に巻き込まれてしまったのだ。こんな不安定な状況で、何年も、海外と日本で離れ離れになるなんて。私は心配だった。祖父がイタリアで、瑠那を預かってくれている人々と会って来た。祖父が信頼出来るというのだから、私たちも信じて待つしかない。それでも気を揉んでいたら、2人の姉が教えてくれた。大丈夫。瑠那は一人じゃない。いい友達が出来たし、陽気なピーターパンと、頼もしい魔法使いが一緒だから、と。
そして2年余りが経って、今こうして瑠那を追って、イタリアから朱い瞳の魔法使いが住吉にやって来た。彼……村主さんと一緒にいる瑠那を見て、あっけにとられてしまった。あの意地っ張りの瑠那が甘えている。どんな魔法を使ったのだろう。そして、くすっと笑ってしまった。確かに、彼は魔法使いだ。孤児になり、自分のクランを見つけられなかった淋しがりやの小さな魔女を任せるのに、こんな適した人材がいるだろうか。2人の母……葵さんと咲さんは、うれし涙を流していた。私もうれしかった。瑠那のためにもうれしかったし、魔法使いを住吉の陣営に迎えることになったのが、頼もしかった。いや、待って。村主さんは確かに瑠那の配偶者だけれども、だからって彼を私たちのややこしい事情に巻き込んでいいのか? 住吉を守ることは、確かに瑠那やこれから生まれる彼女の子を守ることになる。だからって、村主さんを利用するような期待を勝手にしていいのだろうか。
数日、彼を観察していて、村主さんはうちのややこしい状況を面白がるタイプではないか、という印象を受けた。つまり魔法使いとして、住吉の抱える事情は研究対象として興味深いのではないだろうか。機会を見つけて聞いてみることにした。彼の興味範囲から外れていたら、仕方ない。すっぱり諦めよう。離れの仮住まいでの暮らしが落ち着いた頃を見計らって、若い夫婦を私の部屋にお茶に招いた。私の部屋は籐細工のソファセットがあるから、長話をするのに和室で座るより楽だろう。私も瑠那も妊婦なので、失礼させてもらう。
村主さんは私のパソコンデスクや本棚や、床に積んでる洋書に興味がある風だったので、「どうぞ、好きに見て回ってください」と言ってみた。
「じゃ、遠慮なく」と言って、村主さんは私が想像したよりじっくり、本棚の本のタイトルまで読んでいた。
「ね、言ったでしょ。サクヤは見かけによらず、中味は理系、というか博士みたいよね。何でも知ってるし、何でも興味持つし」
「瑠那が理系の洋書と言ってたから、ナショナル・ジオグラフィックでも読んでるのかと思いきや、ネイチャーにサイエンス、学術論文のリプリント。分野も多岐に渡ってる。当ててみようか。お姉さん。あんたのやりたいのは、テラ・フォーミングだろう」
私はポカンとして、数秒呆気に取られたが、我に返ると笑い出してしまった。いつまでも笑いが止まらず、止まった時には私は涙を流していた。瑠那は驚いて、村主さんにかみついた。
「あんた、何言ったのよ」
「聞いた通りだ。俺は別にお姉さんをイジメちゃいない」
私はようやく呼吸が落ち着いた。涙をぬぐって、2人に微笑みかけた。
「ごめんなさい。うれしかったの。ずっと、長いこと、こんな話できる人がいなくて。村主さん、ありがとう。私の夢を当ててくださって」
瑠那は、私と村主さんの顔を交互に見て、まだ怪訝そうだったが、とりあえず村主さんの指摘で私が傷ついたりしたわけじゃない、と納得したようだ。瑠那と鳶之助は、どうも私に過保護で困る。
「長いことって……あ、鷹史さん!」
瑠那が口を押えた。
「そうなの。私が宇宙やロケットや、惑星開発なんかに興味を持つようになったのは、鷹ちゃん、あ、私の前の夫で鳶之助の父親なんですが、彼の影響でした。彼は宇宙人だったんです」
私はニッコリ笑ったが、瑠那は口をあんぐり開けた。そういえば瑠那にはまだ言ってなかったっけ? 何度も鷹ちゃんは宇宙人だと言った気がするけれど、冗談だと思っていたのかもしれない。でも鷹ちゃんは正真正銘の異星人だ。村主さんは、あまり驚いた様子を見せない。おそらく予想していたのだろう。さすが魔法使い。私はますます、妹の配偶者が気に入ってしまった。彼は信頼出来る。全部話して大丈夫。全部。2人の母……葵さんと咲さんに話していないことも。話して魔法使いの知恵を借りよう。私は蕎麦茶をひとくち口に含んで、喉を湿らせた。長い話になりそうだ。
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