* 近頃のNHKの番組には、ドラマ等でも「志を伝えて行く」「愛や思いを大切にして受け継いで行く」などの表現が良く出る。
無論相次ぐ大災害での犠牲者への鎮魂の意味はあろう。
他の理由として、歴史や伝統を過度に大切にする現政権への迎合も、何せNHKであり、当然あろうと思う。
併しその他にも在るかも知れない。
NHKにも良識を持った人は多かろう。世界の情勢にも明るかろう。大きなテロ組織やナショナリズム信奉国同士の衝突に依る核戦争とその結果としての人類の滅亡を予感し、折角脈々として営んで来たこの文明の終焉を見たくないと云う気持ちに基づいた、意識下のそして下意識での祈りがそれなのではあるまいか。
NHKの放送は世界に届いて居るらしい。電波に乗ってこの祈りが是非とも世界に行き渡るように、無力な私としては祈るばかりである。
* NHKの遣る事はわからない。
「これで解った、世界の今」という子供向けの番組を偶々見ていると、教室を模した部屋にアナウンサーとタレント二人の三人が居て、そこに講師が入って来る。講師はデスクであり、三人は拍手で送り迎えをする、見送る際には「有難う御座いました」とさえ言う。
タレントは部外者で講師はアナウンサーにとっては上司筋かも知れないが飽く迄内部の人である。妙な感じはするが何せ教室であり、先生に敬意を表する設定は強ち無理でもない。
一方、スポーツ中継等でゲストや解説者が熱心に喋っても、相撲など一部を除いては、相槌も碌に打たず返事さえしない事もある。ま、アナウンサーも自身のすべき事に気を取られて、遂そういう事が疎かに成ってしまうのかも知れない。
又ニュース等で中継地を呼び出す事がある。互いに返事もせずいきなり本題に入る。中継が終わっても挨拶もなく消え去ってしまう。見ている方が不快である。向こうは夜中という事もある。「御苦労様」くらい言っても罰は当たるまい。ま、これも電波という公共の宝の無駄遣いを避けようという事なのかも知れない。
それにしても成る可く一貫性、統一感をも重視して戴きたいものである。
無論相次ぐ大災害での犠牲者への鎮魂の意味はあろう。
他の理由として、歴史や伝統を過度に大切にする現政権への迎合も、何せNHKであり、当然あろうと思う。
併しその他にも在るかも知れない。
NHKにも良識を持った人は多かろう。世界の情勢にも明るかろう。大きなテロ組織やナショナリズム信奉国同士の衝突に依る核戦争とその結果としての人類の滅亡を予感し、折角脈々として営んで来たこの文明の終焉を見たくないと云う気持ちに基づいた、意識下のそして下意識での祈りがそれなのではあるまいか。
NHKの放送は世界に届いて居るらしい。電波に乗ってこの祈りが是非とも世界に行き渡るように、無力な私としては祈るばかりである。
* NHKの遣る事はわからない。
「これで解った、世界の今」という子供向けの番組を偶々見ていると、教室を模した部屋にアナウンサーとタレント二人の三人が居て、そこに講師が入って来る。講師はデスクであり、三人は拍手で送り迎えをする、見送る際には「有難う御座いました」とさえ言う。
タレントは部外者で講師はアナウンサーにとっては上司筋かも知れないが飽く迄内部の人である。妙な感じはするが何せ教室であり、先生に敬意を表する設定は強ち無理でもない。
一方、スポーツ中継等でゲストや解説者が熱心に喋っても、相撲など一部を除いては、相槌も碌に打たず返事さえしない事もある。ま、アナウンサーも自身のすべき事に気を取られて、遂そういう事が疎かに成ってしまうのかも知れない。
又ニュース等で中継地を呼び出す事がある。互いに返事もせずいきなり本題に入る。中継が終わっても挨拶もなく消え去ってしまう。見ている方が不快である。向こうは夜中という事もある。「御苦労様」くらい言っても罰は当たるまい。ま、これも電波という公共の宝の無駄遣いを避けようという事なのかも知れない。
それにしても成る可く一貫性、統一感をも重視して戴きたいものである。