未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




マジすか学園(1の方)を見るまで、AKBについて全く知らなかった。

そういうグループが人気だ。程度の認識であった。もちろん、メンバーの名前も顔も解らない。

マジすか学園が始まった時の印象は、正直、

「くだらねー。こんなの一体、誰が見るんだよ。」

で、あった。

だが、うっかりと観てしまって、その認識が変わった。

「・・・これ、結構面白いね。」


一人で出ていても、AKBのメンバーだと解る娘が何人か出て来て、名前が解る娘も出て来た。

「AKB? 基本、高校生に興味ないけど、篠田麻里子は良いね。」


「マジすか学園ツー、始まるよっ!」的なTVスポットを見て、正直わくわくした。

そして回を重ねるにつれ、「ネズミ」に傾倒して行った。

なにせ、マジすか学園だから、演技が上手いのか下手なのかは、良く解らない。

だが、渡辺麻友の天性の表現力に圧倒された。

そして、現実の彼女以上に、「ネズミ」に惹き込まれて行った。

その深い孤独感。全てを否定しながらも、そこに残るかもしれない真実を求めてもがく姿に、深い愛おしさを感じずにいられない。


「ねずみがチューとなきゃぁ、ねこもニャァーと鳴くんすよ。」

私のプレイヤーでは「G線上のアリア」がヘビロテしている。

第11話はヤバかった。

このままだと、スーツの上にグレーのパーカーを着て、バックに大きな人形をぶら下げて通勤することになりそうだ。

最終回が待ち遠しい。



「前田はんに、部長の座ぁ託されてからこのかた、

好物絶って、天神さんに願かけましてん。

そやけど、今日ばかりはぁ、お祝いおす。

勝ぉ利の、手羽先やぁ。」

「ひと口で元通りかよっ。」「リバウンド、マジ怖ぇ~。」

「敦姉ぇーーーーっっ!!」


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権力者はなぜ「堕落」するのか:心理学実験
http://wiredvision.jp/news/201106/2011060319-trackback.html
 ノースウエスタン大学の心理学者Adam Galinsky氏らによる最近の研究を見てみよう。研究チームはまず、自らが大きな権力を手にした経験、あるいは自分に何の権力もないと感じた経験のいずれかを、被験者たちに語らせた。
 そしてその後、自分の額に「E」の文字を書くよう指示した。すると、権力を手にした経験を語った被験者のほうが、文字を(他人から見て)左右逆に書く傾向がはるかに強かった。この傾向は、権力の「視野の狭さ」が引き起こすものだと研究チームは主張する。権力を手にすると、世界を他者の視点から想像することが非常に難しくなるというのだ。


今回の首相退陣騒動。

国民から見れば、政界という閉じた世界で繰り広げた茶番に過ぎない。

その根底には、「首相など誰がやっても同じ。」との思いがある。

以前から野党の演説が嫌いだった。与党の批判をするばかりで、自分達は実効力のない綺麗事を並べているだけ。との印象が強い。

自民党が野党になってから、その思いが確定的になった。

自民党の基本政策など、党自体の活動内容には、野党になってもなんら変わりがないはずだが、その印象は大きく後退してしまった。

自民党の谷垣総裁は、もはや、言うこと為すこと一野党の総裁以上の何者でもない。

政治家は、なぜ、国民の気持ちが解らないのか。

「○○するのが国民のため。」と彼らが豪語する時、本心からそう思ってはいないのは自明である。

「○○するのが国民のため。だと、我々はちゃんと考えているんだよ。」とのアピールのつもりなのであろうが、それが全く的外れである。

的外れであることに、気付いていない。

いや、気付く必要性すら感じていないであろう。

「そう言っておけば、国民の支持が得られますから。」との助言を真に受けているのか?

「本当に、そんなことで、国民の支持が得られるのか?」と、疑問に思う暇すらないのであろう。

そもそも『国民』の中に、自分達は含まれていない。

国民が、茶番をどう思うか?

『国民』でない彼らの眼中には、そんな事を気遣う片鱗すらない。

ここは一つ、どれだけの政治家が、国民のことを少しでも考えてるのか、科学的なテストを実施してみるのも一興であろう。


「政治家を全員集め、どれだけ国民の事を考えているか、テストを実施しましょう。」
「テスト?」
「ええ。ノースウエスタン大学の実験です。」
「この記事に載っているテストを実施するのかね?」
「ええ、額に紙を当て『E』の文字を書いてもらいます。」
「『イー』と言われて、ピンと来るかね?」
「その心配は全くありません。その様なテストを受けなければならないとなれば、どの政治家も事前に問題を入手しようとするでしょう?」
「まぁ、そうだろうな。」
「そこで、それと解らないように、予め問題をリークしておきます。」
「『E』を書け。と?」
「はい。そして、その理由もです。」
「国民の立場に立ってものを考えられる政治家は、相手から見て正しく『E』と書き、自分本位な政治家は逆の『ヨ』を書いてしまう。と。」
「はい。そうすればどの政治家も、『だったら、初めから逆にして『ヨ』を書けばいーんだろ?』と、テストに臨むはずです。」
「それだと、皆が正解して、テストをする意義がなくなってしまわないかね?」
「ええ。その通りに実施すれば、そうなりますね。」
「その通りに実施すれば?」
「はい。実際のテストは『A』で行います。」
「『A』? 左右逆にしても、『A』は『A』だろ?」
「はい。ですが、『左右逆に書かなければ、国民の票を失う。との危機意識を持っている彼らは、思い余った末に『∀』と書くと思われます。」
「・・・いや、さすがに、それは無いだろ。」
「実は、学生を対象として実験済みです。学生を同様の状況に追い込んだところ、権力を手にした経験を語った学生の実に半数が『∀』と書いています。政治生命のかかっている緊迫した状況下においては、その割合はもっと高くなるはずです。」
「よかろう。テストの実施を許可しよう。」
「ありがとうございます。」

・・・

「いよいよだな。」
「ええ。全員がちゃんと、額に紙を当てましたね。」
「ああ。あの表情を見ると、全員が問題と対処方法を心得ているようだな。」
「はい。これで政治家の本性を白日の下に曝け出すことができます。」

・・・

「こっ、これはっ!!」
「・・・驚いたな。」
「・・・ええ。全く、予想外ですね。ちゃんと『A』と書いて下さい。って言いましたよね。」
「あぁ、私も聞いたよ。それに全員の顔に戸惑いの表情が浮かんだから、ちゃんと問題を聞いていたのは確かだろう?」
「『アルファベットのエー』と言われて、『A』が思いつかなかったのでは?」
「いくらなんでも、それはないだろう。」
「では、この結果は・・・」
「そうだな、政治家のもう一つの欠点。『状況が変わっても、一度決まったことを自分の考えで変更できない』という傾向が現れたようだな。」
「・・・そうですね。しかし全員がそのまま『E』と書くとは。。。」


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