荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

彼岸過ぎの雑司ヶ谷霊園を巡るー2

2019年09月28日 | 散文

サトウハチローの後ろには池袋の高層ビルがそびえます。

 

戦前の「二人は若い」、戦後の「リンゴの唄」の流行歌で圧倒的な人気を呼んだ詩人です。母を詠んだ詩が多いのですが、実際は母に冷たかったそうです。若い日の無頼を心配した小説家の父紅緑は、現在の上池袋三丁目に所帯を持たせました。

 

ラジオドラマ「君の名は」の脚本家菊田一夫も同居していました。本郷弥生坂の上にも住居跡碑があります。

 

彼岸花が咲きはじめています。今年は季節の巡りが遅いです。

 

夏目漱石の墓です。

 

当時の雑誌「太陽」が募集した文化人の人気投票で毎年第一位になっていました。「こころ」に雑司ヶ谷霊園を描きました。「それから」はその続編です。

 

小泉八雲が東大を去った後の東大講師です。

 

秋が深まるとこのダンドウツツジが真っ赤に色づきます。

 

秋の風情の墓参の道を行きます。

 

金田一京助の墓です。私も国語辞典で随分お世話になりました。

 

アイヌ語また、アイヌの叙事詩「ユーカラ」の発掘や言語研究で業績を残しました。

 

若い日に新詩社の「明星」に加わり短歌に親しみます。中学の後輩石川啄木を短歌に誘い、物心両面で支えました。

 

京助が見る景色です。

 

日陰では彼岸花が開いています。

 

この話、続きます。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼岸過ぎの雑司ヶ谷霊園を巡るー1

2019年09月28日 | 散文

彼岸過ぎても夏日の東京です。供花がすぐに萎れてしまいます。先ずは永井荷風です。訪れる道筋上いつも最初に訪れます。

 

「雑司ヶ谷霊園マップ」の説明を引用します。はい、手抜きです。 墓を作るなら「浄閑寺に」と言っていた荷風の墓が父久一郎と並んでいます。

 

時代に背を向けて江戸趣味を追い、上田敏の言う「真の享楽主義者」としての生を貫きました。

 

近くには小泉八雲が日本で作った家族と一緒に眠っています。

 

父はアイルランド人母はギリシャ人アメリカで新聞記者などをした後来朝して帰化しました。

 

東大講師時代、哲学の講師ゲーベルと同僚でした。講師辞任の時、小説家の武林夢想庵らが留任運動をしたそうです。

 

泉鏡花の墓はいつ見ても端正です。逆光に立ちます。

 

10歳で失った母の鈴を生涯追慕し、師の尾崎紅葉を神格化するほどに仕えました。

 

芸者(本名すず)との結婚を紅葉に反対されたいきさつが小説「婦系図(おんなけいず)」に記されています。新派の舞台で多くの人の目に泪を誘いました。

 

後ろ姿も端正です。

 

すっかり秋の風情です。

 

 

墓地の道を次の墓所に移動します。

この話、続きます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする